受難の日々の始まり

 
 窓が1つもない薄暗い部屋の中、数本の蝋燭の光だけを頼りに、僕は床に描かれた召喚魔法陣の前で、長ったらしい呪文をかれこれ30分以上も唱えていた。
 しかし長い。長いにも程がある!
 カラカラに乾いて来た喉を意識しないようにしながら、呪文を唱え続ける。

 僕は、王家の中では珍しい――魔力が少ない者であった。

 だから、父や母が持つ強力な魔力を引き継いだ上の兄達より身体の成長速度が速く、兄達がまだ10歳にも満たない外見なのに対して、僕は年相応の外見であった。
 両親はそんな僕を他の兄弟達と分け隔てなく接してくれたし、兄達も兄達で、僕より小さいのに『兄』として魔法を教えてくれたり勉強を教えたりしてくれていた。
 しかし、家族以外の者達は、魔力が少ない僕を『王家の一員』としては認めてはいなかった。
 他の人間よりも学問を学び、剣術を磨き、上に立つ者の勤めとしての話術を学び続け、城に来る貴族の子息達には負けない位の力を付けるも――誰も、『フィード・エッジ・ゼイファー』という“僕自身”を認めてくれる人はいなかった。
 だから、考えた。
 人に認められるには、どうしたらいいのだろうと。
 そして、考えに考えた結論がこれだった。


『ヴァンデルッタ』と契約を交わす――。


 獣人の中で1番位の高い『ヴァンデルッタ』と契約を交わす事は、王であってもそう容易く出来る事ではない。
 魔力が少ない僕がそれを成し遂げたら、認められるのではないかと考えたのだ。
 しかし、魔力が少ない僕が召喚魔法で呼べる獣人といえば、精々『エルゲード』くらいだ。
 だが、僕には“あるモノ”があるお陰で、もしかしたら『ヴァンデルッタ』を呼べるかもしれないのだ。
 僕は胸元で揺れる、紫色の涙形をした石が付いたペンダントに視線を落とす。
 これは、父が昔、親しい友人から貰った物らしい。なんでも、元は唯の屑石だったらしいのだが、その人がこの石の中に膨大な量の魔力を込めたらしく、いまでは滅多に手に入らない、魔石に変化した稀少な石とのこと。
 これを父か貰った時、僕は真っ先にこの『ヴァンデルッタを召喚して、皆をぎゃふんと言わせるぞ! 計画』(長い)を思い付いたのであった。

 しかし、

 何度やっても失敗ばかり。
 今回で計35回目の召喚魔法である。
 30分以上も呪文を唱えているのに、うんともすんとも反応が無い。
 室内を見回すと――3宰相の1人であるギィースが、壁に寄り掛かりながら腕を組んで此方を見詰めていた。
 その他には、ギィースと同じ『主がいない黒騎士』達が数人部屋の中にいた。
 彼らは“紋様を持つ者”と契約を交わした黒騎士であるのだが、肝心の『主』が何故か彼らの側にはいなかった。聞いた話によれば、数十年前に何処かに行ったっきり、戻って来ないんだとか。
 そんな黒騎士達がなぜこの部屋にいるのか首を傾げつつも、僕は呪文を唱え続けるのだが……魔法陣の変化は未だ無し。
 今回も失敗かと首を思った僕は、ふと、机の上に置いていた魔法薬が入った瓶に視線がいった。
 僕はツカツカと机に近づくと、ぐわしっと瓶を掴んだ。
 そして――。


 魔法陣に向けて、魔法薬が入った瓶を次々と投げ付けた。


 周りで僕のやる事を見ていた黒騎士達が、気配でぎょっとしたのが分かったが、気にしない。無視だ無視。
 魔法瓶が魔法陣の上で割れるたびに、ボフンッと音を立てて変な煙が立ち上がる。
 部屋中に異臭が充満した所で、僕は一旦、呪文を唱える事を止めて魔法陣を見詰める。

 ……変化無し。

 うむ。今回も失敗らしい。
 魔法陣に魔法薬(なんの効果があるのか分からない)をかけたら、何らかの反応があるのではと考えたのだが……。
 唯単に異臭を生産しただけであった。
 僕は深い溜息を吐きながら淡く光る魔法陣に手を翳し、それを消そうと、そう思ったその時――。
「なっ!?」
 魔法陣の中に描かれている紋様が勝手に動きだし、鮮やかに煌き出したのだ。
 円形の魔法陣が瞬く間に変化し、紋様が木の枝のように枝分かれしていく様を、呆けたように見ている事しか出来なかった。
 そして、僕の目の前に、今まで生きてきた中で見た事も無い様な魔法陣が出来上がっていた。
 僕が発動した魔法陣より倍以上に大きくなった魔法陣は、白い光を放っていた。
 少しの時間だけ呆けてしまったが、ハッと我にかえると、僕は魔法陣に向かって両手を翳して呪文を唱えた。


 お願い。誰か僕に力を貸して――。


 呪文を唱えながら、僕は心の中で願いを込める。
 すると、僕の心の声に反応するように、光が次第に強くなっていく。


 ここだよ。僕はここにいる。早く、僕の元にやって来て――。


 無意識に、僕はペンダントを握っていた。
 掌から、温かくて優しい感じのする魔力が流れ込んで来る。
 うわぁ……っ。
 一気に自分の魔力が跳ね上がったのが分かった。
 僕は握っていたペンダントを離すと、全魔力を掌に集めて魔法陣に叩き付ける様にして叫んだ。


「我が呼びかけに応えし者よ、我が前に現れいでよ!!」


 すると、魔法陣が目も開けられないぐらいの眩い光を発した。
 これはイケる!
 と、目を眇めながら魔法陣を見詰めていた僕であったが、それから何故か魔法陣が反応しない。
 ん? と首を傾げながら、魔法陣に意識を集中させたら――。

 召喚対象に……何か張り付いている?

 一時的にだが、一気に魔力の量が上がった僕は、そんな事までも分かる様になっていた。
 ふむ。と考えた僕は、更に魔力を魔法陣に注ぎ込んだ。ドバーッとね。
 すると、僕の目論見が当たったのか、召喚対象に張り付いていたモノは何処かへと飛んでいった。
 そして、変化した魔法陣が仄かに光るその中央に――。


 1人の可愛らしい女の子がきょとんとした顔で立っていた。


 やった! 成功したぁ!!
 僕の頭の中では、盛大なファンファーレが鳴り響いていた。
 余りの嬉しさに、意識をどこかへ飛ばしている僕の耳に女の子の驚いたような声が聞こえて来た。
「……え? は? ここ、何処?? ……えぇ!?」
 きょろきょろ辺りを見回しながら、「森にいたのに……」とか「透ちゃぁ〜ん!」と叫んでいる女の子に、僕は慌てて声を掛ける。
「あ、あの! 僕は君を召喚した召喚者です」
「……召喚者?」
「はい、獣人のヴァンデルッタである貴女と契約を交わしたく、召喚させて頂きました」
「……獣人? 契約??」
「是非、僕と契約し…………ん?」
 召喚成功イェーイ! と喜んでいた僕は、女の子の顔をよく見てから、あれ? と首を傾げた。
 机の上に置いてあった蝋燭立てを手に持ち、女の子の顔に近付けて、その顔をよぉ〜く見てみる。


 …………瞳の色が……金、じゃない!?


 ガァーンッと、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が襲ってきた。
 ヘナヘナと床に崩れ落ちる。
「ちょ、ちょっと!? あんた大丈夫?」
「……大丈夫」
 浮かれていた気持ちが、いきなり地の底にまで叩き落され、ちょっと凹んでいるだけだから。
「ふぅーん。まぁ、いいや。ねぇ、それよりここ何処? 私、透ちゃんと一緒に森の中にいた筈なんだけど」
 僕は項垂れつつも、間違って召喚してしまった女の子にきちんと説明した。間違って召喚してしまった者としての、責任でもあるし。
 ふむふむと大人しく話を聞いていた女の子であったが、その「透ちゃん」と言う人物――多分僕が魔力を大量に注いで弾き飛ばした人物の話をした瞬間に、彼女の雰囲気が変わった。
「……弾き飛ばしたって、何処に?」
「分かんない」
「じゃあ、透ちゃんの無事は確認出来ないってわけ?」
「うん」
 僕が頷いた瞬間、バチンッという音がしたので驚いて顔を上げると――女の子の右手が火傷をした様に赤く腫れていた。
 魔法陣から出ようとして、結界に右手が触れたのであろう。
 僕は慌てて、魔法陣から出ることが出来ないのだと説明するも、女の子は「煩いっ!」と言って結界を殴りつけた。
「やっ、止めるんだ! 君の手が酷い事になる」
「それじゃあ、私をここから出して! 透ちゃんを探しに行かなきゃならないんだから!!」
「分かった、分かったから、もう叩くのは止め――え゛ぇっ!?」
 女の子をどうにか止めようとした僕は、自分の目を疑った。

 結界にヒビが入ってるぅ〜!?

 対獣人用に強化した結界を、普通の女の子が素手で殴ってヒビを入れたのだ。驚かないはずが無い。
 ガシャンッ! という音がして、結界が完全に砕けた。
 魔法陣から女の子が1歩足を踏み出した時――僕の前に誰かが立ち塞がった。
 黒騎士の誰かだ。きっと、女の子が何をするのか分からないから、自分の主ではないとはいえ、この国の王子である僕を護る為に立ち塞がったのであろう。
 しかし、
「ぐわぁっ」
 一瞬にして、僕の前から消えてしまった。
 何が起きたのか分からず瞬きしていると、僕の目の前には、女の子が片足を上げた体制で静止しているのが目に入った。
 横に顔を向けると、先程まで目の前にいた黒騎士の青年が、床に倒れて脇腹を押さえながら悶絶していた。
 どうやら、この女の子があの黒騎士を蹴り倒したらしい。
 たらたらと、背中に嫌な汗が流れていくのが分かった。
 女の子は足を下ろすと、僕の顔を見詰めた。先ほどまで興味津々といった感じで僕の話を聞いていた時の表情が消え去り、見詰める瞳は怒りによって燃えていた。
 1歩後退すると、女の子も1歩前進する。
 女の子が完全に魔法陣から出てきた瞬間、部屋の中にいた他の黒騎士達が動いた。


「目障り」


 女の子はボソリとそう呟くと、自分の倍以上はある男達をものともせずに鋭い攻撃を繰り出す。
 その様子をぽっかーんと眺めていたのだが、女の子がその辺にあった椅子を持ち上げて振り回し、それをぶん投げた事によって我にかえる。

「あ゛ぁーっ!?」

 腹の底から出した僕の声に、ピタリ、と全員の動きが止まる。そして、女の子も含めた数人分の視線が一気に僕に集まる。
 しかし、そんな事は今はどうでも良かった。
 だって、だって――。


 女の子がぶん投げた椅子が魔法陣に当たって――魔法陣が消えてしまったのだ!


 嘘だろう!? と思って魔法陣があった場所にまで駆け寄るも、そこにはもう白く光る魔法陣は無かった。
 床に手を当ててみても、魔力の欠片さえも残ってはいなかった。
 あれほどの魔法陣をもう1度出来るかと言えば、答えは『否』だ。ペンダントを見ると、石にはもう魔力が残っていないようであった。

 もう、これで、『ヴァンデルッタ』を召喚することは叶わない……。

「ふにゃあぁぁぁ………」
 茫然自失で立ち尽くしていると――女の子の気の抜けた様な声が聞こえて来た。
 なんだぁ? と思って振り向いてみたら……。
 ギィースの胸元に、力が抜けたかの様に倒れ込む女の子が目に入った。しかも良く見ると、ギィースは女の子を自愛の籠もった眼差しで見詰めていた。

 …………はい?

 目の錯覚かと思って、袖でごしごし擦ってもう1度確認するも、やはり、変わらず。
「……あのぉ〜、ギィースさん? 何をしているんでしょうか?」
「ん? レイが興奮しているから、強制的に魔力を抑えている所ですが」
「……レイ?」
 って誰ですかぁ〜? と首を傾げると――。


「はい。私達の主です」


「……………………………………は?」
「ですから、レイは私達の主である――“紋様を持つ者”なんですよ」
 ギィースはそう言うと、レイが着ている服の前を少し開いて見せた。
 一瞬目を逸らそうとしたが、肌蹴た所から現れたモノに――目が奪われた。
 右側の鎖骨から首の上まであるアレは……初めて見るが、紋様で間違いないだろう。
 と、言うことは本当にこの女の子がギィース達の……主!?
「フィード様、我らの主を召喚して下さり有難う御座います」
「え? あ、はい。どう、致しまして?」
「この御恩は一生忘れません」
 ギィースがそう言うと、レイにボコられていた他の黒騎士までもが頭を下げた。
「それで、フィード様にお礼をしたいと思います」
「……お礼?」
 ギィースは女顔負けの麗しい顔でニコッと笑うと――魔力を抑えていたレイの耳元でコソコソと何かを囁いていた。
 魔力はもう抑えていないのか、レイはギィースの元から離れ、自分の足でしっかりと立ち、ギィースの話を聞きながらウンウンと何やら頷いている。
「あのぉ〜、別にお礼なんかしなくても……」
 いいよ、と言おうとしたら、レイがギィースの側から離れて僕の目の前にまでやって来た。
 そして、掌を左胸――心臓の位置に置いてこう言った。


「えぇーっと……汝、フィード・エッジ・ゼイファーを、瑞輝零の名によって――守護者である黒騎士に叙する」


 心臓を中心にして――身体中にあり得ない程の魔力が流れ込んで来る。
 ぎょっとしながらレイの顔を見ると、彼女は「ねぇ〜、これでいいの?」と言いながら、僕の胸から手を離してギィースに声を掛けていた。
 襟元のボタンを数個外し、人差し指で引っ掛けて胸元を除くと――心臓の辺りに、刺青をしたかのような紋様がちょこんとあった。
「……………………ギィース、これは一体」
「おめでとう御座います。貴方も今日から黒騎士です」

 なんだそりゃ!?

 僕が顔を引き攣らせていると、レイが僕を指さしてこう言った。
「フィード! 私は透ちゃんを探したいの、手伝え!」
「仰せのままに、我が主……へ?」
 彼女の前に跪き、頭を下げる様にして主君に対する礼を自然の動作でやっていた。それも無意識に。

 なんだこれ!?

「ふむ。やはり、“今のレイ”と直接契約した場合の方が、強制力が強いらしいな」
「何の話だよ、ギィース!」
「いえ、こちらの話です」
「ねぇ、そんな事より、早く透ちゃんの居場所を探さないと!」
「あぁ、それなら知っております。彼女は安全な所に保護されているので、心配しなくても大丈夫ですよ」
「ホント!?」
「えぇ」
 僕を無視して、話はどんどん先に進んでいく。

 おい、ちょっと待てお前らっ。

 愕然とする僕に、ポンッと誰かが労わるように肩を叩いた。
「諦めろ。我らの主は『我が道を驀進しまくる方』だ。俺達の常識は通じない。しかも、それを咎めもせずに喜んでその後を従うのが“あの”ギィースだ」
 俺達にはどうする事も出来ない、と言われた僕は、この後の自分の人生がどうなるのか不安になった。
 黒騎士は主の“命令”はその時の状況次第で『否』と言える事が出来るが、“本気の命令”の時は絶対に従うようになっていた。
 そう、先ほど僕が彼女の前に無意識で跪いた時の様に。


 そして、僕の懸念は直ぐに現実のものとなる。


 ウェーゼン国の王都に着いて直ぐ、ちょっと目を放した隙にレイが居なくなってしまったのだ。
「あぁんの馬鹿!」
 僕は他の黒騎士達が静止するのも聞かずに、勢い良く馬車から飛び出していた。
 頭の中に浮かぶのは、呆れるほどに我儘な事を強要する、幼い顔をした自分の主で――。
「くそっ、心配なんてしていないんだからなっ! これは、強制的に付けられた『誓約印』のせいなんだからな!!」
 誰も聞いていないのに、迷子になった主を探しながら1人で怒っていた。
「あの猛獣め、見つけたらただじゃ済まさんっ!」



 多分僕はこれから一生、このどうしようも無いほど我儘で自己中で人を散々心配させる『主』に――振り回されるのだろう。
 







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