リュシー達の慌ただしい1日 前編

 
 異世界からやって来たトオルさんが私の前に現れてから、今日で5日が過ぎた。
 トオルさんに「魔法を教えてほしい!」と言われ、一昨日からレイさんを交えて教えていたのだが……。
「中々熱が下がらないわね……」
 寝ているトオルさんを起こさない様にしながら、そっと額に手を置いた。
 リンゴの様に真っ赤になった顔を見降ろしながら、思ったより高い熱に、眉間に皺が寄っていく。
「……リュシー……さん?」
 手を置いた事によって目が覚めたらしい。
「すいません。起こしてしまいましたね」
「うぅん。……リュシーさんの手、気持ちいぃ」
 ニコッと笑うトオルさん。つられて、私も一緒になって笑う。

 ここ最近、私は格段に笑う回数が増えた。
 それも、作り笑いなんかじゃない“本当の笑顔”。

「うぅー。でも、熱なんて十何年ぶりかも」
「そうなんですか?」
「うん。私、あんまり風邪とか引いた事無いんだよねぇ。いわゆる、健康優良児だったの」
「凄いですね。でも、今回の発熱は、風邪とは少し違うんですけどね」
 そう、今回のトオルさんの発熱は、風邪を引いているわけでも、精神的な疲れが原因というわけでもない。


 魔力の封印解除が原因であった。


 封印されていた魔力を一気に解放するまでは良かったのだが、魔法薬を食べて体が小さくなっていた為、魔力を受け入れる器(体)の大きさと、魔力の量が合わなくなり、体が驚いてしまったのだ。
 大きな魔力を持って生まれる事が多い王族や貴族などの子供なども、今のトオルさんと同じ状態になる事がある。


 つまり、『子供』特有の発熱なのだが……小さくなった事を気にしているトオルさんには、言えない。


 だから、同じ魔法の練習をしているレイさんは、至って元気にしている。
 それにしても、下がるわけでもなく上がり続ける熱に、顔を顰める。

 解熱薬を飲ませるべきか?

 そう思って、薬剤を置いている部屋に解熱薬でも取りに行こうと、腰掛けていたベッドから立ち上がった時――。
「トオル様の熱は風邪から来るものではないので、明日には下がります」
 氷嚢を手に持ったデュレインが現れた。
 デュレインは私の横に来ると、手に持っていた氷嚢をトオルさんのおでこに乗せた。
「でも、ここまで熱が上がったら……」
「大丈夫です」
「解熱剤を少し飲ませたら、少しは良くなると思うの」
 だから、薬を持ってこようと思う。と言った私に、トオルさんの頭を撫でていたデュレインが、呆れた様な目を向けた。
「……風邪じゃないのは分かっているでしょう? 急に魔力を解放したのと大きな魔法を使った事による反動が来ただけよ。だから、薬は必要無い」
「でも……」
「でも、じゃないわ。ここには、ルルが作った魔法薬しか置いていないでしょう? もしかしたら、トオル様は魔法薬を受け付けない体なのかもしれないのよ?  今はルルもいないんだから、勝手に薬を与える事は出来ないわ」
「………………」
 デュレインの言葉は正しい。それは、私も分かっているからグッと押し黙る。
 そんな私達をボーッと見ていたトオルさんは、はて? と首を傾げた。

「デュレインさん、何か……口調が変わってない?」

 2人が対等に話してる……? との言葉に、いち早く反応したのはデュレインだった。
「トオル様、それは幻聴です」
「……幻聴ぅ?」
「はい、そうです。私はこの屋敷に使えているメイドです。対等に話せるはずがございません」
「…………デュレイン」

 いけしゃあしゃあと嘘を吐く目の前の人物に、私は頭痛がして来た。

 しかし、
「あぁ〜幻聴かぁー。そうだよねぇ」
 トオルさんはデュレインの話に納得した。
 熱に浮かされているからか、正常な判断能力が低下しているらしい。
「それはともかく……トオル様、かなり汗をおかきになったみたいですね」
「熱が高いから仕方がないわ。脱水症状にならない様に、水を飲ませた方がいいわよね」
 トオルさんの頬に張り付いた髪の毛を、人差し指でよけているデュレインを見ながら、近くに置いてある水差しとコップを取ろうと立ち上がろうした時、
「それよりも、まずは汗を拭かないと」
 そう言ったデュレインが、「ちょっと邪魔」と言って私をベッドから離した。次に、ポヤァ〜ンとした表情のトオルさんに「1度汗を拭きましょう」と言ってパジャマを脱がし、近くに用意していたタオルで手早く体を拭いた。それからアイロンが掛けられたパリッとしたパジャマを着せると、寒くないようにとフカフカした大きなタオルでトオルさんを包み、私に「持ってて」と言って持たせる。
 やる事が無い私は、トオルさんを抱きながら額に乗っている氷嚢を落とさない様にしているしかなかった。
 そして、汗でぬれたシーツを新しいのと交換し、皺が出来ない様にピシッと整える。
「はい、こっちに寄越して」
「……ん」
 もう1度私からトオルさんを受け取ると、ゆっくりベットの上に横たえた。
 新しく変えたばかりのシーツの冷たさが、火照った体に気持ちよかったのか、トオルさんはふぅーっと息を吐いていた。
「……ありがとう、デュレインさん」
「いえ、これが私の仕事ですから」
 そう言って、微笑みながらトオルさんの頬に手を当てる。
「まだやり残している仕事がありますので、私はこれで失礼いたしますが……何かありましたら、ベルでお呼びください。直ぐに参ります」
 デュレインはそう言うと、スクッと立ち上がり、私に向き直って、
「お水、飲ませてあげて下さい」
 トオルさんと話す時とは違い、そっけない言葉で近くに置いてあった水差しとストロー付きのコップを指さした。
「………………」
「それでは」
 言う事を言うと、スタスタと歩き去って行くデュレイン。
 しばし呆然とするも、ハッと我に返り、アセアセとコップに水を入れる。
「トオルさん、今、お水をお持ちしますね」
 コップに半分位水を入れて、トオルさんの元に向かおうとしたのだが、水差しの横にある小さな瓶に目が止まる。
 何だろう? と思って瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐと――。

「……蜂蜜?」

 フワッと甘い匂いがした。
 この瓶を用意したのはデュレインだろうか?
 ふと疑問に思ったのだが、私はコップの中に蜂蜜を数滴垂らした。
 唯の水を飲むよりも、甘い飲み物の方がいいだろうと思ったのだ。
「はい、トオルさん。飲んで下さい」
 私はトオルさんの上半身を起こし、彼女の小さなお口にストローを当てた。

 チュルルル〜……ゴックン。

「ふぅ〜っ。ありがと、リュシーさん」
「いえ、もうよろしいですか?」
「うん」
 私は、コップを近くのテーブルに置き、もう1度トオルさんを寝かした。
「苦しくなったら、言って下さいね?」
「……は、い」
 着替えもした、水分も取ったで眠くなってきたのだろう。トオルさんの瞼がどんどん落ちて行く。
「眠いなら寝て下さい……今日は、ずっと私が付いています」
 頭を撫で続けていると、トオルさんの呼吸がゆっくりとしたものとなり、本格的な眠りに着いた事が分かった。

「……トオルさん。明日には、熱が下がっているといいですね」

 私は、寝ているトオルさんの額にキスを1つ落とす。
「おやすみなさい」
 あどけない寝顔を見詰めながら、お休みの言葉を掛ける。


 しかし、あの時コップに入れた蜂蜜の様な液体。
 それによって、とある非常事態が起きる事を――この時の私は知る由もなかった……。
 

inserted by FC2 system