リュシー達の慌ただしい1日 中編

 
「おねえちゃん、だぁ〜れ?」


 ――朝。
 あれ程高かった熱も漸く下がり、ホッとしていたのも束の間。目を覚ましたトオルさんの一言に固まった。
「え? トオルさん、今なんと……」
 耳が悪くなったのか? と思いつつ、確認。
「だからぁ〜。おねえちゃんはだぁ〜れ?」
「………………」
 聞き間違いでは無いらしい。
 キョロキョロと辺りを見まわすトオルさんは、ここどこ? と言いながら、もう1度私に質問する。
「えぇー……私の名前は、リュシーナ・オルグレン……リュシーです」
 何が起きたのか分からないが、取り合えず、答える。
「りゅしー……」
「あ、あの、トオルさん?」
 何故そんな事を聞くのだろうと聞きたくても、トオルさんは私の顔をジーッと見つめ、それから「すごーい!」と叫んだ。
「りゅしーのおめめ、ちがういろぉ!……きれ〜」
「……は?」
 自分の瞳を見ながら、ウットリしたように言うトオルさん。
 私の思考は完全に停止した。


 一体全体、何が起こっているんだ?


 徹夜で起きていたから、自分の頭がおかしくなっているんだろうか? それとも、これは夢か?
 私は軽〜く現実逃避をしかけた。
 しかし、ベッドの上の御仁は止まらない。
「いいなぁ〜いいなぁ〜。とおるも、きれいなおめめがほしかった!」
 口を尖らせ、ブーブー文句を垂れる。
「べつにね……バァーや、かおるといっしょのおめめが、いやっていうんじゃないの。でも、ジィーは“がいじんさん”で、きれいなみどりいろのおめめをしていて、おかあさんやおにいちゃんもおなじおめめなの。おとうさんは、ちょっとうすいちゃいろだけど」
 ここでの“バァー”、“ジィー”は、きっと祖母と祖父の事だろう。
 トオルさんは、舌っ足らずな言葉で更に熱く語る。
「でねでね、れいのバァーも“がいじんさん”で、おめめがハチミツいろなの! すっごいきれいなの!! とおる、くろだから、りゅしーみたいなきれいなおめめ、うらやましぃ」
「……有難う……ございます」
 自分の瞳が綺麗だと褒められたので、頭を下げた。
 顔を上げると――黒くて大きな瞳が、キラキラと輝きながら私を見詰めていた。

 以前、トオルさんは私の瞳を見て、『宝石みたい』と言ってくれた。
 あの時、私はその言葉を聞けてとても嬉しく思った反面、私が話した過去を聞いて、同情してそう言ったのではないだろうか? と後になってから考えていた。
 だが、今目の前にいるトオルさんの、私の瞳を見るキラキラとした目を見ると、あの時は本心でそう言ってくれたのだと分かった。

 しかし、しかしだ――。
「あの、トオルさん……」
「なぁ〜に?」
 首を傾げるトオルさんに、私は、ふと、思いついた事を聞いてみた。
「トオルさんは、今、おいくつ……何歳ですか?」
 恐る恐るといった感じで聞いてみたら、トオルさんは胸を張ってビシッと右手を私に突き出し、親指だけを掌に付けた。


「よんさい!!」


「よ…………」
 余りの衝撃に、“よ”の後が出て来なかった。
「このまえ、よんさいになったばかりなの!!」
「………………」
 えっへん! という感じで自分の年を語るトオルさんを見て、私は遂に言葉が出なくなってしまった。

 4歳になったばかりという事は、つい最近まで3歳だったと言う事で………………。

 何でかは分からないが、体だけではなく、精神年齢までもが子供の頃に戻っている。
 よって、自分達の事は全く覚えている訳が無く。

 嘘でしょ!?

 愕然とする。
 ただただ、固まっている事しか出来ない私。
 暫くして、私の瞳から興味がそれたのか、トオルさんが不安そうな顔をして辺りを見回した。
「ねぇー……おとうさんと、おかあさん。どこ?」
「それは……」
 親を探すトオルさんに、何と言ったらいいのか分からずに言葉を濁していると――。


「よっ、リュシー。トオルの調子はどう?」


 片手に花束を持ったジークが、ノックもせずに突然部屋に入って来た。
「ジーク、ノックぐらいしろ」
 次に、ハーシェルが眉間に皺を寄せ、ジークに注意をしながら入って来る。彼は、果物がたくさん入った籠を手にしていた。
「「それで、トオル(さん)は?」」
 ハモルようにして聞いて来る。
 そんな2人を見て、厄介な奴らがやって来たとげんなりする。
「お? 起きてんじゃん。って事は、熱は下がったんだな」
「あぁ、それは良かった」
 何も言わない事を気にする事も無く、スタスタと部屋の中を突っ切って来る2人。ベッドに近づいて、私の後ろに隠れているトオルさんを見る為に、ヒョイと顔を覗かせる。
「トオルさん、甘い果物でも食べませ……」
 ハーシェルが籠の中から果物を1つ取り出し、食べないかと言おうとしたのだが、
「う゛ぅぅぅ〜っ。おとうさん。おかあさん……」
 大きな瞳に涙を溜め、今にも大泣きしそうなトオルさんを見てピタリと止まる。

「「え゛!?」」

 ギョッと目を見開き、暫し沈黙。
「…………えーっと」
「どういう事ですか? リュシー」
 グスッ、グスッ、と鼻をすすっているトオルさんから目を離さずに、2人がトオルさんの状態について説明を求めて来る。
 しかし、私だって、
「分からん」
「何だよそれ。お前、今までずっとトオルの側に付いていたんだろ?」
「そうだけど……昨日までは普通だった。寝るまでいつも通りに話していたんだ。それが、起きたら―」

「うぇぇぇぇん!! おとうさん! おかあさん! どこぉ〜?」

 四歳児になっていた。と言おうとしたら、遂にトオルさんが泣きだした。
 それはそうだろう。今のトオルさんは子供。親がいなければ不安がるのが普通だ。しかも、寝起きだし。
「は!? え?」
「ト、トオルさん!?」
 しかし、トオルさんが4歳児になっているとは知らない2人は慌てふためく。
「ど、どうしたんですか?」
「ヒック、ウグッ。……ど、うして、ヒック。いないの? う゛ぅっ……にぃーも、かおるも……ヒック。い、なぃ……う、うわぁーん」
 おかーさぁーん! と泣きながら叫ぶトオルさん。
 そんな彼女を宥めつつ(あまり効果は無いが)、2人にトオルさんが4歳児になっている事を説明した。
「何でそんな事に……って言うより、どうすればいいんだ」
「分からない。……ハーシェル」
「私にどうしろと!?」
 親に会いたいと泣き続けるトオルさんに、どう対処したらいいのか分からない私達。

「何とかしろ」
「無理だから」
「ジーク、お前なら出来る」
「ハーシェル」
「だから無理だって。それより、女であるリュシーナの方が適任なんじゃないの?」
「……やれ、これは命令」
「「おま……命令なんて卑怯だぞ!」」

 などと、3人で言い合っていたそんな時――。
「何の騒ぎ?」
 冷静沈着。何を考えているのか分からない感情欠落人間。口を開けば毒。鉄面皮。等々と、周りの人からそう噂されている人間がやって来た。
「どうして、トオル様が泣いているの?」
「それは……」
 いつもと変わらぬ表情でそう聞いて来るデュレインに、私は掻い摘んで話した。話を聞き終わったデュレインは、何かを考えながらトオルさんを見詰めた。そして、泣き続けるトオルさんにゆっくりと近づく。
「トオル様、泣かないで。そんなに泣いてしまうと、目が腫れてしまいます。可愛い貴女には、涙は似合いません」
 流れる涙を親指でそっと拭き取り、優しい声でそう語りかけるデュレインに、周りにいた私達は戦慄した。
 何だ、何が起きているんだ!? 今見ているのは夢か幻か幻聴か……? と私達はお互いの視線で語り合う。
 見た事も無いデュレインの態度に、ジークは「こいつが他人に気遣う言葉を掛けるだなんて……明日は空から槍が降って来るな」と、ポツリと呟やいた。

「おかあさんにあいたい!」
 デュレインに向かって、そう言ったトオルさん。私達は、その言葉に何と言ったらいいのか分からなかったけれども、デュレインならどうするのかと見守っていると――。
「トオル様のお父様とお母様は、今、お買い物に出掛けているんです」

 なんの捻りもない、月並みないい訳だった。

「おかいもの? いつかえってくるの?」
「少し、遠くに行かれましたので……明日にならなければ帰って来られないかと」
「……そんなぁ〜。とおる、おいていかれたの?」
「別に、トオル様だけを置いて行ったわけではありませんよ。今はいませんが、レイ様もこちらにいらっしゃいます」
 レイさんの名前が出た瞬間、トオルさんは一気に安堵したような顔をした。自分だけが置いて行かれたのでは無いと思ったのだろう。
「レイ様は今、私達以外の者と外に出ておりまして、夕方辺りに帰って来ると思います」
 だから、心配しないでください。との言葉に、トオルさんは腕でゴシゴシと涙を拭い、「わかった!」と頷いた。
「それではトオル様、1度お顔を洗い、朝食にしましょう。お腹、空いているでしょう?」
「うん。おなかすいたぁ!」
 今まで泣いていたのが嘘の様に笑うトオルさんを見て、一先ず安堵する。が、デュレイン。何であんたはそんなにトオルさんの扱いが上手いんだ?
 そんな私達の気持ちも知らず、2人だけの世界は広がる。
「ねーねーおねえちゃん。おねえちゃんのなまえは、なんていうの?」
「私は、デュレイン・オルクードと申します。――デュレインとお呼びください」
「でゅ、でゅ……でゅれ……」
「呼びにくい様でしたら、『デュー』でも構いませんよ」
 舌が回らないトオルさんの為に、デュレインがそう言うと、トオルさんは嬉しそうに「でゅー」と呼んだ。
「でゅー、おなかすいたぁ」
「食事の用意は出来ております。下に行きましょう」
「うん!」
 ピョンッとベッドから降りて、自分からデュレインの手を繋いだトオルさん。
 いつものトオルさんであれば、警戒してデュレインに近寄りもしなかったのに……。
 元に戻った時に、この事を知ったらどう思うんだろう?
 そんな事を思いながら、仲良く手を繋いで歩く2人を見ていたら――。


「りゅしー。りゅしーも、いっしょにいこぅ?」


 くるりと振り向き、小さな手を私に向ける。
「私もいいんですか?」
「うん。もちろんだよ!」
 私は、差し出された手にそっと自分の手を重ねた。

 ギュッ。

 えへへ。と笑いながら、トオルさんが握る手に力を込めた。
 右手に私の手。左手にデュレインの手を握ると、
「なんか、おとうさんとおかあさんと、てをつないでいるみたい」
 そんな事を言われた。
 この場合、どちらが父親なのだろうか。それより、相手がデュレインと言うのがちょっと……。
 と、思うも、鼻歌を歌いながら、繋いだ両手をブンブン振り回す勢いで歩くトオルさんを見ると、まぁ、そんな事はどうでもいいか。と思えて来た。
「あ、おにいちゃんたちも、いっしょにいこうよ」
 部屋を出ようとした時、首だけ後ろに向けたトオルさんが、ポカンとした表情で突っ立っていた男2人に声を掛ける。
「え? 私達も一緒に?」
「いいのかい?」
「うん。ごはんは、おおぜいでたべるとおいしいんだよ」
 だから、一緒に行こう。と言う言葉に、ジークとハーシェルは1度顔を見合わせてから、嬉しそうに私達の後に付いて来た。
「なにがでてくるのかなぁ〜? あ、とおるね、きらいなたべものないんだよ」
「本当? トオルは偉いんだね」
「えへへ〜♪」
 ジークに頭を撫でられながら褒められて、くすぐったそうに笑うトオルさん。
 その顔を見て、一緒に笑う私達。


 こうして、子供になってしまったトオルさんとの1日が、始まったのであった。 
 

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