ひゅ〜、どろどろどろどろどろ……。


 ホラーハウスでお馴染みの音を聞きながら、私達は入り口の前に立っていた。
 アレクさんのワクワクとした表情を見ながら、私は泣きたくなる。

 あぅぅぅ……入りたくないよ。

 逃亡しようにも、アレクさんに恋人繋ぎをされた手でガッチリと掴まれている為、逃亡は不可。
 こうなったら、直接交渉しかない!
「あの、あの! アレクさん、やっぱり」
「はいっ、お待たせしましたぁ〜! 次のお客様、どうぞお進み下さい!」
 手に力を入れ、彼の注意を引こうと試みようとした時――落ち武者の格好をした男性スタッフに、いいタイミングで遮られた。
「さっ、それじゃあ行こうか、琴海ちゃん」
「うぅぅ……はい」
 こうして、数十年ぶりに私はホラーハウスなるものに足を踏み入れたのである。



「っひぃぃぃ!?」

 目の前に突然現れた、着物を着たおかっぱ頭の女の子を見て固まる。
 あまりの恐ろしさに、繋いでいる手を自分の胸元に持って来て、ぎゅ〜っと握りしめた。
「う゛……っと、大丈夫? 琴海ちゃん」
「は、はひ。大丈夫です」
 ドッドッド、と早鐘を打つ心臓を押さえつつ、何とか頭を縦に振る。
 その際、アレクさんが変な声を出した事を気にしている余裕は無かった。
 女の子はニッコリ笑うと、すぅ〜っと消えてしまった。
 どこに行ったのか気になったが、繋いだ手はそのままに、アレクさんの腕に自分の腕を絡ませながら廊下の先へ進む。
 恐怖心に呼吸が荒く、早くなり――視界も狭くなる。
 ビクつきながら、廊下の角を曲がれば……。

「おねぇーちゃん。あ〜そ〜ぼぉ〜」

 先ほど目の前に現れた、あのおかっぱ頭の女の子が……目から血の涙を流しながら、あはははと笑いながら近づいてくるではないか!
「ふぎゃぁぁぁっ!?」
「あぅ!」
 アレクさんと繋ぐ手に、んぎゅーっ! と更に力が篭り――無意識に爪も立てていたらしい。
 頭上から、また変な声が聞こえてきたが、
「い゛ーや゛ぁー!」
 私は後ろから尋常じゃないスピードで追いかけてくる女の子から逃げるのに必死で、悲鳴を上げながら反対側の廊下へと駈け出す。
 アレクさんは私に手を引かれながら、「はぅ!」とか「あぐぅっ!?」とか変な悲鳴を上げていた。
 そんな感じで、私達はホラーハウスの中を叫びながら懸命に移動していた。
 途中、足を掴まれたり、頭上から降って来た変な物体に頭を触られたりしていたが、その度に私は奇声を発したりしながらアレクさんに抱きついていたりしていたのだった。
 もう、恥ずかしいとか思う暇がなかった。
 怖い〜!! 怖すぎるよぉ〜。
 私は目を瞑り、アレクさんの腕にくっ付きながら思った。


 何で、お金を出してまで、こんな怖い思いをしないといけないのか――と。


 ホラーハウスに入る前に、トイレに入ってて本当に良かった。
 そして、もう二度とこんな所には来るまい。
 半べそをかきながら、そんな事を思っていたら、
「はぁ、はぁ、はぁ〜っ。……もう、終わりだから。大丈夫だよ」
 息を切らした感じのアレクさんに、頭を撫でられながら出口はもう直ぐだと言われる。
 はて? そんなに走ったかな? と首を傾げるも、恐怖心で鈍った心は鈍感になっているらしく、そこは何とも思わなかった。
 アレクさんが言う通り、もう出口が近いのか、周囲が大分明るくなってきた。
「出口だ!」
「うん。頑張ったね、琴海ちゃん」
「はい」
 やっと、この恐怖から開放されると――気を抜いた瞬間。
 天井から、何かが逆さ吊りのまま落ちて来た。

「う゛お゛ぉぉあ゛ぁぁ゛ぁ!」

 顔が所々溶けたゾンビの顔が、顔面すれすれにある。
 ドロリとした緑色の皮膚。
 右の目玉は飛び出し、左は真っ黒の空洞になっている。
 私は近くにいたアレクさんに飛び付いて(その時、私の頭と何かがガツンとぶつかった)抱きつくと。


「あぎゃぁぁあぁぁぁ、ぁ、ぁ……ぁ……はふぅ」


 今までに無い程の悲鳴を上げながら、私の意識はブラックアウトした。




 ざわざわとした喧騒に、意識が浮上する。
 重い瞼を徐々に開ければ、暗闇ではなく、青空が見える。
「あぁ、起きた?」
「……あれ? ここは? いままでホラーハウスにいましたよね」
「ホラーハウスはもう出たよ。出口の前で、琴海ちゃん意識を失っちゃったんだよ」
「え? それは……ご迷惑お掛けしました」
 人通りが少ない木陰に置かれているベンチで、アレクさんの肩に頭を預けて寝ていた私は、恥ずかしくて顔が熱くなってくる。
 肩から顔を離せば、心配そうな顔をしたアレクさんが私の顔を覗く。
「それより、気分は? 気持ち悪くない?」
「はい、大丈夫です」
「それは良かった」
 ニコっと笑うその優しげな表情に、釣られて私も笑いそうになった時、ふと、アレクさんの顎が赤くなっているのが目に入る。
「あれ? アレクさん……顎、どうしたんですか?」
 私がそう聞いた瞬間、彼の瞳が熱を持ったように潤む。

 う゛っ!?

 私、何かいけないスイッチ押しちゃった?
 口元を引き攣らせていると、私を囲むようにして背凭れに両手を付けたアレクさん。
 麗しいお顔が接近中!
 近い近い近い! と背凭れに思いっ切り顔を反らせるも、限度がある。
 ふぅっと、熱い息が首元に掛かった。
「琴海ちゃん、俺……あんなに焦らされたの初めてだよ」
「へ?」
「気付いてなかった?」
 アレクさんはフフフと笑うと、私の目の前に左手を持って来た。
 何だろう? と目を細めて見てみれば――彼の指や手首には、うっすらと赤い手形が付いており、手の甲には、くっきりと爪の形が付いていた。
「………………」
 これはもしや……と、伺うように視線を上げれば、ウットリとした瞳とかち合う。
「そう、これは琴海ちゃんに付けられた跡だよ」
 その言葉に、どんだけの力でアレクさんの手を握っていたのよ私! と心の中でツッコむ。
 慌てて謝ろうとした時――アレクさんが手首に唇を寄せ、赤くなった跡をぺろっと舐めた。
 アレクさんが手首を舐める仕草がとてもエロく見えて、ドキッ! っと心臓が高鳴るが、
「琴海ちゃんが驚いて叫ぶ度に、程よい痛みが断続的に続いて……もぅホントにたまらなかったよ」
 続く言葉に、心臓の音も平常のリズムに戻る。

 そうだった。この人はこういう人だった。

 忘れていた彼の性癖に、ガックリと項垂れる。
 そんな私にお構い無く、彼は頬を染めてこう言うのであった。


「でも……出口の所で顎に食らった頭突きが凄く快感で…………クラクラするくらい、一番気持ち良かったよ♪」


 それは唯単に脳震盪(のうしんとう)を起こしかけてクラクラしていたんでしょう。
 と、ツッコミたかった。
 やはり、彼は真正(しんせい)の変態なのだと、認識を新たにした私なのであった。


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