公園のベンチに座り、私は項垂れていた。
 快晴の青空なのに反して、私の周りにはドロドロとした重い空気が渦巻いている。
 そんな私の周りを、雀がチュンチュンと鳴きながら飛び回っていた。
 いつもなら可愛いと思う鳴き声も、今は疎ましい。
 雀から視線を外し、少し離れた場所にある自動販売機に目を向けると――公園の噴水で子供達を遊ばせているママさん達の、熱ぅーい視線を集めているクロフォードさんがいた。
「う゛ぅーっ。何でこんな事に……」
 頭を抱えながら悶えていると、両手に小さなペットボトルを1つずつ持ったクロフォードさんが、こちらに戻って来るのが見えた。
 どうやら、お気に召した飲み物が買えたらしい。
 キラキラと輝く笑顔で私に近付くクロフォードさんを、どんよりとした表情で迎える私は、本日何度目か分からない溜息を深々とついていた。


 今から数時間前――。

「京野さん、今日からクロフォード君の下に就いて働いてくれ」
 朝の朝礼が終わった後に部長に手招きされて、「何でしょう?」と伺えば、そんな事を言われた。
 はい? と首を傾げると、部長は自分の隣にいるクロフォードさんを指差して、「今日から、彼の下に就いて働いてね」と言ってくれた。

 いきなりなんでそんな事に!?

 驚愕しながらチラリと彼に視線を向ければ、爽やかスマイルをもらってしまった。
 その瞬間――。


 鋭い視線がグサグサグサグサッ!! と私の背中に突き刺さる。


 殺気の籠もった鋭い視線を生まれて初めて向けられた私は、ゴクリッと息を呑みながら、そーっと後ろを振り向き――パッと前に向き直る。
 私の後ろでは、彼の周りをいつも取り囲んでいる美女軍団が、ギラギラした目で私の事を睨んでいた。

 こ、怖いよぉ〜!

 ビクつきながら、部長に私以外の人に頼めないか聞いてみるも、別に難しい仕事でもないんだよ? と言われた。
「クロフォードが必要とする書類を集めたり、外回りの時には、荷物を持って一緒に回ってくれればいいだけだよ」
「あのぉー。お言葉ですが……それでしたら、私ではなくても、他の方でもいいのでは?」
 私がそう言うと、背中に刺さる視線が少しだけ緩くなる。
 その事にホッとしたのも束の間、「でも、これはクロフォードたっての願いでね……」と言う部長の言葉に、緩んだ視線が先程よりも更に鋭さが増した様な気がした。

 ひぃぃぃいぃぃっ!?

「ぶ、部長……あ、の……」
「それに、昨日クロフォードが探していたモノを、一緒に探して見付けてあげたそうじゃないか。その事もあって、是非に、と言う事らしいよ?」
 そうだったよな? とクロフォードさんに確認する部長に、彼は「はい」と頷いた。
 部長を見て頷いたクロフォードさんは、私に視線を合わせると、「昨日は、大変お世話になりました」と言って笑った。
「京野さんの人となりを見て、私の仕事を手伝って頂くなら、この方だと思いました」
「え、えぇ!?」
 一体何の話しですか!?
 私は彼の言葉に、目を白黒させる。
 お世話になったって? 私の人となりを見たって……何の事!?
 そんな事をグルグル頭の中で考えていたのだが、ハタと気付く。


『お世話になる』→ 彼の足を踏んだり、蹴ったり、頭に出来たタンコブを触ったりして、彼に快感を与えた事。
『私の人となり』→ 痛みの快感に酔いしれる彼を見ても、ドン引きしたり、蔑む事などをしなかった。


 私は頭を抱えたくなった。
 心の中で、

 あ、あれはお世話になったって言わないわよぉー!!

 と叫んでいたが、現実には口をぱくつかせていただけであった。
 そんな私を見たクロフォードさんは私に1歩近付き。
「これからよろしくね、琴海ちゃん」
 にっこりと笑ってそう言った。
 この時からだ。

 この時から、私はこの爽やかスマイルが怖いと思うようになった。



「はい、琴海ちゃん。ミルクティーでよかった?」
 丁度回想が終わった頃に、クロフォードさんが戻って来た。
「あ、はい。……有り難うございます」
 良く冷えたペッドボトルを受け取り、頭を下げた。

 顔を上げれば、ニコリと素敵に笑うクロフォードさんのお顔が間近にある。

 スィっと顔を横に向けて、その微笑から目を逸らす。
 部長の命令で彼と共に働く事になった後の美女軍団の反応が、今頭の中で蘇って来た。
「急な事で悪いんだけど、これから梶原商事に行くから付いて来て」とクロフォードさんに言われた時の、あの美女軍団の視線!


 私の体は、この鋭い視線で穴が開くのでは?


 と思えるほどであったが……この麗しい顔を見れば、皆様方の反応も頷ける。
 会社に帰ったら、またあの鋭い視線を浴びることになるのか……と溜息を付いてから、ふと、彼は何を買ったのだろうと手に持っているペットボトルを見れば――手に持つ缶コーヒーの、ロゴの下に小さな文字で『無糖、ブラックコーヒー』と書かれているのが見えた。
 どうやら彼は、外に出てもブラックコーヒーを買っているらしい。
 コーヒーを一口飲んで「美味しいね」と言ってはいるが、口に入れた瞬間、眉間がピクッと動いたのを私は見逃さなかった。
 苦手なものを、何でそんなに無理して飲むのかな?
「……あの、クロフォードさん」
「何? 琴海ちゃん」
「ブラックコーヒーが苦手なら、無理して飲まない方がいいんじゃないですか?」
「ぐごほっ!?」
 急に咽たクロフォードさん。コーヒーが器官に入った模様。
 ハンカチを手渡して背中を擦っていると、咳が収まったのか、涙目のクロフォードさんが私を見上げる。
「こ、琴海ちゃん……どう、して……げほっ、その事を……?」
「……あの、以前クロフォードさんが、コッソリお砂糖を入れているのを見た事があって」
 私がそう言うと、「うわぁー、見られちゃってたのか」と俯き、両手で顔を覆った。よく見れば、耳が真っ赤である。
 どうやら、無理してブラックコーヒーを飲んでいたのを知られていた事が、相当恥ずかしかったらしい。

 暫し、私達の間に無言の時間が流れる。

 私は、ふぅ〜っと息を吐き、まだ飲んでいないミルクティーをクロフォードさんに差し出す。
「これ、良かったら口直しにどうぞ」
「……え?」
「口の中、まだ苦いでしょう?」
「あぁ、うん。……ありがとう」
 素直にお礼を言う彼の顔に、ドキッと心臓が跳ねた。
 そう、クロフォードさんの顔は、私好みのカッコいい顔なのだ。そんな風に笑い掛けられたら、グラついてしまう。

 いけないわ、琴海! この人は、私とは別次元に生きている人なのよ!!

 そんな事を思いながら頬を叩いて正気に戻ると、私は書類が入って重くなったカバンの肩ひもを肩に掛け、ベンチから勢いよく腰を上る。
「休憩は終わり! さっ、そろそろ行きましょ――」
「おぶっ」
 身体の向きを変えようとしたら、変な音が聞こえた。
 え? と思って斜め下に視線を落とすと。


 クロフォードさんの頬に、カバンの底の角がめり込んでいた。


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