もっと……強く踏んで――。



 今のは幻聴だろうか、と思いつつ、はふぅ〜っと艶やかな溜息をつく彼の顔を見上げる。
 目に入って来たのは、ターコイズブルーの瞳を隠す、髪の色と同じプラチナシルバーの睫毛だった。
 うわぁー、凄く長ぁ〜い! 羨ましいなぁ……、とか思いながら見続けていると――。


 クロフォードさんの目がパチリと開いた。


 あっ、目が合った。
「………………」
「………………」
 暫し、2人で見詰め合う。
 よく見ると、彼の目には今まで私を見詰めていた様な――熱の籠もったものがキレイに消え去っていた。
 そりゃもぅ、キレイさっぱりと。
「あのぅ……クロフォードさん?」
「…………あっ」
 クロフォードさんは目をパチクリと瞬かせると、今自分が何をしたのか思い出したのであろう。


 サーッと顔が青くなった。


 ピンク色の肌から白い肌に戻り、次に青くなったのをポカーンと眺めていると――。
「うぉっ!? あの、そ、の……ご、ごめん! ……って、うわぁあぁ!?」
 クロフォードさんは驚いた声を発すると、私の腰からパッと腕を外し、慌てながら離れようとしたのだが――。


 自分の足が私に踏まれている事を、彼は忘れていた。


 私に足を踏まれた状態で、上体だけが後方に傾いて行く。それはもぅ、スローモーションのようにゆっくりと。
 うわわわわ!? と言いながら、腕をグルグル回して何とか体勢を整えようとするも――どう見ても、持ち直すのは無理な状態にまでなっていた。
 危ないっ!
 私はそんな彼を助けようと手を伸ばしたのだが……。


 彼が倒れる寸前に、足の上に乗せていた右足を、ひょいっと上に上げてしまった。


 踏んでいた足の支えが無くなった結果、彼の奮闘も虚しく、勢いよく後ろに倒れた。しかも、倒れる途中に近くにあった机の角に頭をぶつけていた。
 右足を軽く上げ、手を伸ばした状態で暫し固まる私。
 助けようとしたのに、なぜか足が勝手に上がっていた。
 多分、巻き込まれて一緒になって倒れるのを、無意識に避けた結果であろう。

 私って、意外にも薄情?

 そんな事を考えていたのだが、床で頭を抱えて悶えているクロフォードさんを見て、我にかえる。
「だ、大丈夫ですか!?」
 慌てて駆け寄り、彼の横にしゃがんでオロオロと顔を覗く。
 机の角にぶつけて相当痛かったのか、クロフォードさんはギュッと目を閉じて「う゛ぅぅーっ」と唸っていた。
 ガンッ! と凄い音が聞こえたから、そりゃ痛いだろうとは思うが、ぶつけた場所が場所なので、私は「気分が悪かったりしませんか?」と声を掛けながら、彼の後頭部にそっと手を当ててみた。
 そこには――。


 大きなたんこぶが、やぁ! と顔を覗かせていた。


 あまりの大きさに、ぎょっと目を見開き、頭から手を離そうとしたのだが、彼の手がそれを阻んだ。
 驚きながら彼の方に目を向けると、


「ん、あっ……触るの、止めない、で……」


 私の手首を掴みながら、トロン、とした目で私を見上げてそう言った。
「え?」
「…………う? ……あっ……」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
 又しても、無言の時が静かに流れる。
 しかも、今度は気まずい空気が私達の周りを取り巻いていた。
「あ、あのぉ〜……クロフォードさん?」
「な、なんだい?」
 思い切って声を掛けると、心なしか、彼の表情は引き攣っている様に見える。
 ドキドキしながら、私は思っていた事を聞いてみる。
「あの、クロフォードさんって……痛いのが好き、なんですか?」
「え?」
「あ、違っていたら御免なさい! ……その、先程足を踏んでいた時も『もっと踏んで』と言われていたので、そうなのかなぁ〜? と、思いまして」
 最後の方をもごもごしながら言っていると、突然クロフォードさんが笑い出した。
 急に笑い出した彼に、もしかして打ち所が悪かった? と驚いていると――。

 私の手首を掴みながら、ゆっくりと起き上がる。

 クロフォードさんは起き上がると、クスクス笑いながら私の顔を覗き込む。
「ねぇ、こんな俺を見て……引いたりしないの?」
 そう聞いてきたクロフォードさんの顔は、笑っていたが……瞳は、何かを恐れている様に揺れていた。
「いぇ、別に、引いたりはしませんけど……そのぉ〜、ちょっと驚きました」
「ちょっと?」
 首を傾げ、きょとんとした顔で聞いてくる彼の顔は、意外にも幼く見えた。
 そんなレアな表情を見れて、少し嬉しくなる。
 ホントは、ちょっとどころか、かなり驚いたんだけど……それは言わなくてもいいだろう。
 そんな事を思っていると、クロフォードさんがポツポツと話し出した。


「俺は、外見がこんなだからいつも周りに女がいてさ……女を選ぶにも、選り取り見取り状態だったんだ。……だから、と言う訳でもないんだけど、13歳から今の歳になるまで、彼女がいなかった事なんて無くて……」

 それは自慢ですか? と突っ込みたくなるが、彼の話は続く。

「でも、何故か付き合う彼女のほとんどが、俺にSadism……加虐性的な事を求めて来るんだ」
 その言葉に、私は「あぁ、そう言えば……」とあっちゃんが言っていた事を思い出す。
「クロフォードさんの声で苛められたい、と言う女性が多いって聞きましたね」
「そうなんだよ。普段気の強い女性に限ってその傾向が強くてね。ベッドの中で俺が言葉責めするだけで、蕩けそうな表情をするんだけど……俺はそんな彼女の顔を見ても、満たされないんだ」
「…………はぁ」
「どちらかと言えば、思いっ切り冷めた目で見られながら、耳元で囁かれる様に言葉で責めて欲しいぐらいなのにさぁ」
「………………」

 手首を掴まれたまま、急に他人のベッド事情を聞かされても、私は何て言ったらいいのか分かりません。
 しかも、何気に凄い事を言ってません?

「あの、つかぬ事をお聞きしますが……クロフォードさんは、『S』……ではないんですか?」
 思った事を聞けば、彼は瞬きしてから、「いぇいぇ」と、首と片手を振ってこう言った。


「俺は、Masochist……つまり、『M』なんだ。――それも、“ド”が付くほどの」


 何か吹っ切れた様な顔をして、『ドM』宣言をしたクロフォードさんは、
「でも、演技としてなら、『S』にもなれるけどね」
 と、爽やかな顔をしてそう言った。


inserted by FC2 system