人間とは『学ぶ生き物』だと、私は思う。
買い物に出ようと買い物袋を持って玄関の扉を開けたら、激しい雨が降っていた。
なので、今日は止めようと扉を閉めようとした時――。
「ちゅうぅぅ……」
足元で、ぬれネズミが蹲っていた。
「………………」
扉を開けたまま、暫し固まる。
ネズミなんぞ家の前に出ようものなら、魔法でもってその存在そのものを消し去ってしまうのだが……。
大きな黒い瞳で私を見上げ、か弱い声で鳴く声は、正にネズミだ。
しかし、足元にいるぬれネズミは、体毛が変わった色をしていた。
私はぬれネズミを見下ろしながら、溜息が自然に出てきた。
「本当に学ばない人間ね……カーリィー」
私はもう1度溜息をつくと、『赤毛のぬれネズミ』の首根っこを摘まんで、家の中に戻った。
「それで? 今度は何を食べたらそんな姿になったと?」
部屋の中に入る前に、ずぶ濡れの体にタオルを適当に巻き付けて、ソファーの上にポイっと放り投げる。
ぬれネズミ――カーリィーはタオルの中から顔を出してブルブルと顔を振ってから、私の質問にネズミ語で「ちゅー! ちゅちゅちゅーっ!!」と喚き立てる。
こちらの言葉を聞き取ることは出来るらしいが、話すことは出来ないらしい。
「ちゅちゅー! ちゅっちゅちゅちゅー!!」
「………………」
「ちゅちゅちゅちゅ、ちゅーちゅ、ちゅーっ!」
「………………」
「ちゅーっ、ちゅちゅー!!」
「………………」
ぐるぐる巻きにされたタオルから顔と手を出し、カーリィーは両手でソファーをバンバン叩きながらちゅーちゅー叫ぶ。
ハッキリ言って、耳障りだ。
煩い、と一言呟けば、途端に静かになる。
「全く……どうせ、ルルが作った菓子をそのまま食べたんでしょう?」
「…………ちゅうぅ」
「そんな声を出しても、何とも思わないわよ」
トオル様でもあるまいし。
私は食器棚の奥に隠してある魔法薬が入った小瓶を数個取り出し、その中から数粒手に取ると、何も入っていない小瓶に移して、その中に更に液体の魔法薬を注ぐ。
瓶の口に栓をして、適当に振る。
中の液体の色が変化したのを確認してから、タオルに包まれたカーリィーを取り出す。
そして、人差し指と親指でカーリィーの口をこじ開け――無理やり飲ませた。
ジタバタ藻掻くが、そこは無視だ。
瓶に入った魔法薬を全て飲ませると、カーリィーの目がカッと見開いた。
そして――。
「おぉえぇぇーっ! なんつー激マズなモンを飲ませやがる!?」
人間語を漸く喋れるようになっていた。
ペッペッと、口の中に残っているらしい魔法薬を吐き出すカーリィーに、私はデコピンをした。
「い゛だっ!?」
「ネズミ語から人間語に話せるようにして上げた私に、まず初めに何か言う事は?」
「…………ありがとうございます」
「よろしい」
私は手に持っていたカーリィーをポイっとソファーに投げ捨てる。
「投げんなよ! ――ってか、聞いてくれよデュレイン!!」
「別に聞きたくない」
「ルルのヤツがさぁ〜」
漸く普通に話せるようになったカーリィーは、息継ぎなしでルルの愚痴を言い続ける。
聞く気がない私は、それを無視して今日の夕食の準備に取り掛かる。
買い物に行けなかったので、有り物で作るしか無い。
棚から鍋を取り出し、水を入れて火を付けたところで――。
「た〜っだいまぁ〜」
トオル様が帰って来た。
「いやー、外は凄い雨だったよ」
「お帰りなさいませ、トオル様」
「お帰り、トオ――」
「ネズミー!?」
部屋に入ってきたトオル様が、嬉しそうに声を掛けようとしたカーリィーを見て「ぎゃー」と声を上げる。
そして、
「ネズミが家の中にいるって有り得ないし!」
トオル様はそう言うと、掌をカーリィーに向けて魔法を放つ。
「外に行け!」
「え? ちょっ、ま――」
カーリィーは、未だ雨が激しく降り注ぐ外に放り出された。
「………………」
“あの”ネズミがカーリィーだとは気付いていないトオル様は、「さっすが異世界。赤いネズミって初めて見たわ」とか言いながら、着替える為に自室に行ってしまった。
カーリィーについて分かっている事。
・何年経っても、ルルが作る魔法薬入りの食べ物を食べる馬鹿。
・魔力は高いが魔法はからっきし駄目で、「トールは俺の剣で守る!」といつも言っている。
・トオル様を慕っている――というか、懐いている。大人姿のトオル様は『姉』という存在で、子供姿のトオル様は『妹』という存在らしい。
私は一旦火を止めて、窓から雨が降る外を覗く。
ソコには――。
ヒゲと尻尾をぺちょりと地面に垂らしたカーリィーが、目に涙を溜めながら、トオル様がいる2階を見詰めていた。