第1章 出会い 05

 
 この世界に来て、初めての人間に出会いました。それも可愛い女の子。
 だけど、会った瞬間に男と間違われて悲鳴を上げられてしまうなんて、世界広し……いや、異世界広しとはいえ、私しかいるまい。
 その私は今、頭を下げていた。



「怖い思いをさせて、ごめんね」

 相手に言葉が通じない事は分かっていたけど、私はそう言わずにはいられなかった。
 悪気は無かったとはいえ、この子に怖い思いをさせたのだから。だから、私は頭を下げて謝った。
『………………』
 しかし、待てど暮らせど目の前の少女からは、何の反応も無かった。
 ?????
 不思議に思って顔を上げると、少女は私の胸を凝視していた。それから、私の胸を触った自分の手を見て、感触を思い出すかの様に握ったり開いたりを繰り返していた。
 ……ちょっと、いくら私を男だと思っていたとはいえ、その態度は酷くない?
 顔が引き攣りそうになるのを何とか抑えつつ、私は腰に巻いていたジャンパーを外して少女の肩に掛けてあげた。
 周りを見渡しても、この子が着ていたであろう服が見当たらないからだ。こんなスケスケの格好で人前でいるのは嫌だろうと思った、私の配慮である。
『……×××』
 肩に掛けた瞬間、又ビクリと震えたが、しばらくすると、俯きながら何か呟いた。  多分、ありがとうとか言ったのかな?  ジャンパーの前を合わせながら、耳まで真赤に染めて恥ずかしそうに俯く少女の姿は、目茶苦茶可愛かった。
 可愛いっ。可愛すぎるっ!!
 目の前にいる少女のあまりの可愛さに、私の顔の筋肉は限りなく緩んでいたと思う。私はこう見えて、可愛いものが大好きなのだ。
『×××××??』
 ポヤーンとしていたら、何か話しかけられた。
『××××?××?××××……』
 ……えっと。何をおしゃべりで!?
『×××?××?×××××?……×××!!』
「えっ……えぇー……えーっと……」
 私が女だと思って緊張が解けたのか、何かいろいろ話し掛けてくれる。私は少女の表情やジェスチャーから、何を言いたいのか頑張って読み取ろうとしてみるが――。
 ……サッパリわからん。
 腕を組みつつ、少女を観察していたら、少女が私の左手にある痣に目を止め――。

『×、×、××××〜!!!!』

 また絶叫した。
 うぐわっ! ……こんどは何っ!?
 破壊力抜群の叫び声をさっきよりも至近距離で浴びたため、私は今度こそ鼓膜が壊れるんじゃないかと思った。
 耳を押さえながら身悶えていると、少女が私の左手の痣から、私の顔に目を向ける。そして、私を見つめながら『ト、ト、ト……』と、言いだした。
 今度の発音は聞き取れたぞ! でも、とととって!?
 耳から手を外し、首を傾げながらも少女が何を言いたいのか辛抱強く待つ事にする。すると、少女は意を決したように口を開いた。
『トー』
『×××? ××××??』
 少女の言葉を遮る様に、誰かの声が聞こえた。
 すると、すぐ近くの茂みから、少女より少し年上と思われる少年が出て来る。
 おぉ、異世界人第2号だ。
 まず目に入ったのが、燃える様な色をした深紅の髪だ。あんな色は初めて見る。瞳は、私の瞳と同じ色をいていた。次に下に視線を下げると、着ている服と腰に佩いている剣に目が止まった。少年が着ている騎士っぽい服も剣も全部真っ黒で、所々銀色の刺しゅうが施されていた。
 ハッキリ言って、カッコいい。まだあどけなさが残る顔をしているが、この少年にはなかなか似合っていた。
 少年を観察するように見ていたら、彼の右手には黒いローブみたいな物があった。もしかして、この女の子の服でも持って来てくれたとか?
「知り合いが来てくれたのかな? 良かったね。さっきは何か言いたそうにしてたけど……どうせ理解出来ない――」
 驚いた表情をしながら後ろを振り返っていた少女に、私は笑顔でそう言いながら立ちあがろうとした瞬間。
 ヒュンッ。という音と共に、私の頬に軽い痛みが走った。
 驚いて顔を上げると、少年がいつの間にか剣を鞘から抜き取り、切っ先を私に向けていた。
 そして、有無を言わさず襲いかかって来た。

 な、なんでぇーっ!?

 地面を蹴って距離を取ってから、構えを取る。ある意味もう癖だ。だけどそれを見た少年は私に戦う意思があると思ったのか、さらに激しく切りかかって来た。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私が何したって言うのよ!?」
 泣きそうになりながら訴えるが、少年は構わずこちらに向かって来る。
 ものすごい速さで襲ってくる切っ先を、私は持ち前の反射神経でかわしていく。これも、小さい頃からやっていた空手の賜物だろう。
 だがしかし、日ごろの運動不足がたたって、足がもつれて派手に地面に後ろから倒れてしまった。
 しまっ――。
 急いで起き上がろうとしたが、目と鼻の先に切っ先を突き付けられて、動けなくなってしまった。
『×××××?』
 少年は息も切らさずにこちらを見ながら、何か話しかけてきた。
 くっそう。息ひとつ切らしてないなんて。
 すぐに殺す気は無いって言うのは分かっていた。いくら私が空手有段者で強いと言っていても、それは素手相手の場合であって、実力のある剣の使い手相手に戦うには、たかがしれている。私がギリギリで避けれたのも、たぶん何で私がここにいるのか聞き出すために、彼があまり本気を出していなかったからだろう。
『×××××?』
 何も言わない私にイラッとして来たのだろう。さらに切っ先を顔に近づけてきた。
「だから、何を喋ってんのかわかんないの、よっ!!」
 最後の“よっ”と共に、相手の顔に土を投げつけてやった。
『××!!』
 多分、卑怯とか何とか言ってるんだろうけど、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだから、なんだってするわよ!
 相手が怯んだ瞬間、剣を握っている手を蹴りあげて、手から地面に落ちた剣を遠くに蹴り飛ばた。そのまま止まらずに、相手の鳩尾辺りに回し蹴りをかましたが、相手がまだ何とか持ちこたえるのを見ると、懐に飛び込むようにして顎先を殴りつける。
『――!』
 顎にパンチを食らって流石に足に来たらしい。後ろに数歩よろめくと、ドサリと尻もちをついて倒れた。
「っかぁー。疲れたぁー」
 膝に手を当てながら、息を整える。
 チラリと少年を見ると、地面に倒れたまま頭を振っていた。結構強めに殴ったから、軽い脳震盪でも起こしているかもしれない。
「あぁーったくもう。今日は本っ当〜についてないわ」
 溜息をつきつつ、剣が落ちている方に行って剣を拾うと、そのまま少年の前まで行った。
『……××××!』
 右手は零を止めた時に転んで擦りむいているので、左手で剣を持って少年の前に立つと、少年は歯を食いしばってこちらを睨みながら何か叫んだ。
 殺すなら早く殺せとか言ってたりして。……うっわぁー。私ってそういう奴に見えんのかな?
 気になって、少し離れた所にいる少女に目を向けたら、顔を真っ青にしてこっちを見ていた。

 マジかぃっ!

 私は急いで座り込んでいる少年に剣を突き返す。君にこれ以上危害を加えるつもりはないんだよ。という意味合いを込めて。
 もちろん、切っ先の方じゃなくて、握っている柄の方を相手に向けてだ。
 少年は驚いた様に剣と私を見ていたが、私の左手の痣を見て動きを止めた。
 ん? どうしたのかな。そういえば、女の子もこの痣をみて何か言おうとしてたような……?? っていうか、腕が痺れてきたんだけど。
 剣を持っている左腕がプルプルと震えてきた。面倒になって剣を地面にでも突き刺しておけばいいかなと思った私が、体を少し動かした時、茫然とした顔で少年がこう言った。

『トール?』


 まるで、私に確認をするかのように聞いてきた。
 “トール”
 多分、トオルと言いたいのだろう。
 高校の時の英語の先生が外国人の人で、私の名前をよくトールと言っていた。トオルがトールに聞こえると言っていたのを覚えてる。でも、私とこの少年は今初めて会ったばかりなのだ。私の名前を知っているはずがない。なのに、どうして?
「ねぇ、何で私の名前を知って――」
 少年に声を掛けたとたん、視界の端に何かが光った様な気がした。嫌な予感がして体を傾けたが、少し遅かった。
 トスッという軽い音が耳に入ったとたん、左肩に激痛が走る。
「う゛あぁぁぁあぁぁっ!」
 痛みを堪えて左肩を見ると、ナイフのような物が深々と刺さっていた。体を傾けていなかったら、心臓に刺さっていたところだった。

 ――怖い。

 この世界に来て、初めてそう思った。
 遠くの方から誰かが歩いてくる足音が聞こえる。そいつがこのナイフを放ったんだろう。でも、顔を確認したくても痛みで目が霞んで来た。
 少年と少女が何かを言っている声が聞こえるが、その声も遠くなってきている。
 もう、いやだ。誰か助けて。誰でもいいから……。
 心は限界に来ていた。

「だ、れか……助けてっ!!!」

 悲鳴のような叫び声を上げたとたん、足元から“黒い風”が巻き起こった。
 魔法陣も詠唱も何もなく、突如として出現した“黒い風”に、近くにいた3人から息を呑むような音が聞こえて来た。
 私を中心にして渦巻く“黒い風”は、動けないでいた3人を軽く吹き飛ばしてから、私を優しく包み込んだ。
 それはまるで、大切なものを壊さないようにするようで。
『×××!!』
『×××××!』
 全てを“黒い風”に包まれる直前、少年と少女が何かを言っているのが見えたが、耳を塞いで顔を背けた。
 もう、何も見たくはないし、聞きたくもなかった。
“黒い風”は私の気持ちを汲み取るかのように、その場から私を連れ去ってくれた。





「なんにもない……」
 私は暗い世界で漂っていた。
 キツク閉じていた目を開けると、360度どこを見ても、暗くて何もない所にいた。
 どの位この場所にいたのか分からないが、暗闇でも不思議と怖い気持にはならなかった。それどころか、この場所にずっといたいとさえ思えてしまう。
 とても大きな存在に守られているような気が、この暗闇からしたからだ。
 でも、
「ここにずっと1人でいるのは、嫌だなぁ」
 どんなに心地いい場所であろうと、誰もいない孤独な世界で、人は生きてはいけないのだ。
 しかし、そう呟いた瞬間、又しても悲劇が起こった。
 今までフワフワと暗闇の中を浮いた感じで漂っていたのが、急に体に重力が戻って下に落ちたのだ。

「ふぎゃぁぁぁ……グエッ」

 多分、1メートルぐらいの高さから落ちたんだと思うけど、一瞬のことだったので受け身が取れず、背中から落ちて息が止まりそうになった。
 息が吸えなくてもがきながらも、今度はどこ? という思いで目を開けて動こうとしたら、先ほどまで感じていなかった肩の痛みが復活した。
 いったぁーいっ!!
 左肩の傷口辺りを押さえながら、体を丸めて痛みを堪える。額に油汗が浮かんで来た。
「……もう駄目」
 さっきは出血の事を考えてナイフを抜かなかった。けど、今は中指から肘の上辺りまで痺れるような痛みが出てきていた。もしかしたら毒が塗ってあるのかもしれない。
 私は震える指で左肩に手を伸ばす。
 引き抜くときは一気に抜けば、痛くない。痛くない、はず……女は根性よっ!!
 あと少しでナイフに手が掛かるという所で、誰かが私の手を掴んだ。


「待って、今ここでそれを抜いてはだめよ」


 誰だろう? 掴んでいる手をたどって顔を横に向けると、そこには1人の女の人が立っていた。
「ここでは応急手当もできないから、辛いだろうけど、もうしばらくそのままにしていて」
「……あなたは……だれ?」
 かすれた声で呟く様に言うと、腰まである青銀色の髪と右目に黒い眼帯をしている印象的な女性は、心臓がある辺りに左手を当て、
「私はリュシーナ・オルグレンと申します。以後お見知りおきを」
 そして、もう大丈夫ですよ。と言った。
 私の頬を撫でながら、優しい微笑を向けてきた女性を見て、私は泣きそうになった。

 本当は怖かった。誰かに助けてほしかった。

 巻き込まれて異世界トリップなんかしちゃって、森の中に1人きりにされるし、初めて会った人とは言葉も通じず、しまいには襲われて命の危険にまでさらされた。
 零の様に“呼ばれて”こちらの世界に来たわけじゃないから? だから、こんな目に会うのだろうか。
 そう私は思い始めていた。

 だから、今1番言ってほしい言葉が聞けるなんて思いもしなかった。

 私は、眼帯をしていない藍色の瞳を見つめていたが、徐々にその色がボヤけてくる。
 泣くつもりはなかった。
 だけど私の涙腺は決壊したのか、1度流れ出した涙はなかなか止まらなかった。
「あぁ、泣かないで。もう大丈夫だから、どんな事が起ころうと私が絶対守ってみせますから。だから……」
 リュシーナと名乗った人は、優しい手つきでポロポロと流れ落ちる涙をそっと拭くと、私の瞼に手を載せて何かを呟いた。
「今は、ゆっくり休んでください。そして、……で、……すから。……も、いま…から大丈夫ですよ」
 徐々に遠のいていく意識の中、彼女が何を言っているのか分からなくなってきた。
 そして、彼女が最後に言った“大丈夫”という言葉を聞いてから、私の意識は途切れた。

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