第5章 ギルド 09

 
 パチッと目が覚めた。
 いつもだったら、目が覚めても30分はボーッとして頭が働かないのに、今はいやに頭がハッキリしている。
「……えぇーっと、何で自分のベッドで寝てんだ?」
 記憶が確かなら、零と2人で酒盛りしていたはず。
 はて? と首を傾げるも、記憶が途中からプッツリ切れてて訳が分からない。

 これが世に言う――酔っ払って記憶を無くした。って言うやつなのか?

「それにしても、今何時なんだろう」
 部屋の中はまだ暗い。窓の外を見ると、光り輝く星達と下弦の月が見えた。
 異常な位スッキリした頭に首を傾げつつ、私はベッドから降りてパジャマを脱いだ。クローゼットの中に入っている服を取り出して身に着けると、部屋をそっと後にする。
 皆グッスリ寝ているのか、家の中はシンと静まり返っている。
 私は、足音を立てない様に家を出た。そして、家から少し離れた所で足を止める。
 ふぅーっと息を吐き、それから深呼吸をして肺に新鮮な空気をいっぱい入れる。

「転移魔法か……」

 今日からギルドで働く事になるにあたり、パートナーとして自分に付く事になった青年を思い浮かべる。
 虚弱体質で体の線も細い、深窓の令嬢っぽい麗しの美青年。
 ロズウェルドとミシェルが現れてから、ロズウェルドが何度も行なった転移魔法を思い出していた。
 確か、転移魔法は高度な魔法で、自分1人を転移させるだけでも難しいと聞いた事がある。それを、彼はやすやすと何度もやってのけた。
 それだけで、彼が優秀な魔法の使い手である事が分かる。
「転移魔法。これって、使えるとメッチャ便利だよね」
 そう。地球と違い、こっちの世界には自動車はおろか自転車も無い。移動手段はもっぱら馬。
 乗馬は嫌いではない。むしろ楽しくて好きだ。が、スピードを出して走られると、振り落とされるんじゃないかと思って体に力が入り、かなり疲れるのだ。
 しかぁ〜し! 転移魔法があれば、行きたい所へぱぱ〜っと行けて、疲れる事も無い。体力気力も削られず、時間も省けてとってもお得。これを使わない手はない。
 そう。私が何故外に出たのかと言うと、転移魔法の練習をする為に外へ出たのだった。


「さてと、どこへ行こうかな?」
 転移先の場所をまずは決めないといけないのだが、まさかこんな時間に誰かの元に行く訳にはいかない。
 どうしようかと悩んでいる時に、ふと、先ほど見た下弦の月を思い出す。
「そうだ、お月見をしよう!」
 この世界は排気ガスというものが無いので、地球にいた頃より星空が素晴らしく綺麗なのだ。
 思いたったが吉日。
「どこか、綺麗な星空が見えるスポットへ!」
“どこ”と言う明確な場所も考えずに魔力を使った私。それは、数秒後に後悔することになる。




 体が淡い光に包まれる。そして、視界が変わった。
 ふわっと体が浮いたと思ったら、重力の法則で体が落下する。
 そして――。

 ザッボーンッ! と体が水の中に沈んだ。

「んがぼがぼ? がぼっごぼっ、がぼ?」
 急に何が起きたのか分からないのと、息が出来ないので頭の中はパニックに。
 なになになにっ? 何が起こったの!?
 目を開けても、暗くてどちらが上なのか下なのか分からない。息を吸えない苦しさと、口を開けた時に入って来た水で噎せそうになる最悪な状況。
 がむしゃらに手足を動かすが、何も掴めずに水を掻くだけ。
「ぐっ、ぐぅぅぅぅ……ごぽっ」
 最後まで止めていた息が吐き出される。


 ――死。


 その言葉が頭の中で浮かんだ瞬間、誰かに体を掴まれた。
 グンッと体が水の中から引き上げられ、空気が一気に肺に流れ込む。
「……がはぁっ! ごほ、げほっげほげほっ!!」
 少し水を飲んだらしく、水面から引き上げられて地面に降ろされた時に、水を吐き出してしまった。
 吐いて噎せこんでいる間、誰かがゆっくりと背中を擦っていてくれた。
 息が出来ずに苦しかったのと、助け出されなければ、本当に自分はあのまま死んでいたのではないのだろうか? と言う恐怖感に、無意識に体が震え、止めどなく涙が流れ出て来た。

「もう大丈夫だよ」
「どこか、痛むのか?」


 小さくなって丸まる様にして蹲っていたら、誰かに優しい声を掛けられた。
 え? と思って顔を上げる前に、ふわっと体が持ち上げられた。
「もう大丈夫。怖くないよ」
 強くも無く、かと言って弱くも無い力でギュッと抱きしめられた。
 そして、震える体を労わる様に、ゆっくりと背中を擦られる。
 げほげほと咳き込みながら、自分を抱き締める人物に視線を上げると――。

 月の光できらきらと輝く銀髪に、優しく細められた琥珀色の瞳を持った青年がいた。

 誰? と口を開く前に、横から溜息が聞こえた。
「全く、脅かしやがって」
 声の方に顔を向けると、そこには――。

 白い、純白の髪にオレンジ色の瞳を持った青年が、呆れた顔をして私を見ていた。

「怪我は無いか?」
「だ、い……じょうぶ」
 少し掠れた声でそう言うと、その人は私の頭をポンポンと撫でた。


 漸く体の震えも止まり、正常な思考が戻って来た所で、私は今の状況が有り得ない位恥ずかしいものだと思い至る。
 そう、今私が置かれている状況は――。
 大きな木の根元に、2人の青年が座っている。いや、その内の1人――銀髪の青年は少し寝そべった状態だ。
 そんな銀髪の青年の胸の上に、全身ずぶ濡れ状態の私がうつ伏せにだら〜んと乗っかって寝ているのだ。
 私が落ちない様に、青年は抱き締める様にして背中に腕をまわしている。
 2人は何も言わないが、頬に掛かる濡れた髪を耳に掛けてくれたり、泣いて腫れた瞼を優しく拭ってくれたりと、私に凄く優しく接してくれる。
 誰なんだろう? と思うが、まずはこの状況をどうにかせねば!
「…………あの、もう大丈夫」
 顔を上げて、乗っかっている青年を見て後悔する。


 ぎゃーっ。また美形だよ! しかも、か、顔が近いぃっ!!


 ピキッと固まる私に、銀髪美青年はニコッと微笑む。
「ホント? それは良かった」
「えぇ、もう本当に大丈夫なので、降りますぬうぇぇぇぇぇ!?」
 ガバッと青年の胸元から起きて、降りようとしたのだが、隣にいた青年に捕獲される。そして、強制的にまた銀髪青年の胸元にうつ伏せに寝かせられた。
「馬鹿、急に起き上がるな。分からないかもしれないが、今のお前は、魔力が急激に減少して危ない状態にあるんだぞ」
「ほえ? 魔力の減少??」
「お前、転移魔法を使う時、きちんと場所を特定して転移したか?」
 その言葉に、していないと首を振る。
「今はまだ知らないかもしれないが、転移魔法は大量の魔力が必要で、人によっては、たった10歩の距離を転移しただけでも倒れる奴がいるんだ。それを……こんな小さな体でどれだけの距離を転移して来たんだか」
 最後は呆れた様に溜息を吐かれた。
「お前の魔力が極端に減っている状態だから、今、ヴィンスが自分の魔力を強制的にお前に与えているんだ」
「魔力を与える?」
「あぁ、ヴィンスは名をヴィンス・オルク―ドと言うんだが、オルクード家の者は、主に他人の魔力を押さえたり封じたりする事が出来る。が、それ以外に自分の魔力を他人に与える事も出来る」
 へぇーっと思いながら顔を上に上げて、自分に魔力を与えてくれているらしいヴィンスさんを見る。
 ニコッと微笑まれたので、こっちもにへらっと笑う。
「あの、ありがとうございます」
「いいんですよ。それより、気分はどうですか? 気持ち悪かったりしませんか?」
 琥珀色の綺麗な瞳で見詰められながら、片手で頬を軽く撫でられ、私の喉がゴキュッと変な風に鳴った。
「だ、大丈夫」
「そう。でも、魔力がまだ足りないから、もう少しこのままで我慢してね」
「う、うん」
 また背中に両腕を回されて、抱き締められる。


 何なんだ、この甘ったるい雰囲気は!


 銀髪青年の胸の上で固まっていると、隣にいる青年に頭を撫でられた。
「寒いだろ?」
 そう言うと、彼は何かの呪文を唱え、一瞬にして私と銀髪青年の濡れた服を乾かしてくれた。
 そんな事が出来るなら、初めからやってくれたらよかったのに……とは言いません。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 またぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
 この頃、頭を撫でられ過ぎて、禿げるんじゃないかと言うのがもっぱらの悩みだ。

 ――しかし、この人達は一体誰なんだろう。

 胸元に頬をペタンとくっつけて、トクントクンという青年の心臓の音を聞きながらそんな事を思う。
 どうやら今私が居る場所は大きな湖の辺(ほとり)らしく、こんな夜遅くに人がいる様な場所では無い。
 顔を少し上げて、白い髪の青年に視線を送ると、彼はずっと私を見ていたのか、直ぐに視線が合って「どうした?」と聞いて来た。
「あの……ここは、どこですか?」
「ここか? ここは、王都から少し離れたダールと言う深遠の森の中だ」
「……俺がこんな事を聞くのもなんなんですが、どうしてこんな所にいるんですか?」
「あぁ、それはな」
 白髪の青年はひょいと肩を竦めて、「月見」と言った。
「………………」
「あ、その顔は信じてないな」
 ええ、全く信じられません。
「嘘じゃない。本当に月を見に来ていたんだ。ここは王都からかなり離れているから誰も来ないし、絶好の場所なんだ。それに、仕事で疲れた時になんかに、たまに来るんだよ」
 確認の為に銀髪青年の方を見ると、ホントだよと言われた。
「そうなんですか……実は、俺も同じで、あの月が綺麗だなって思って。……それで、適当に転移してみたら」
「あそこの湖に落ちたと」
「……はい」
「はぁ〜。今度からは、無闇に転移魔法を使うなよ。今回は俺達がいたからいい様なものの、もし誰もいなかったら……お前、今頃そのまま溺れ死んでたぞ」
「………………」
 その言葉に、水の中で溺れた時の記憶が蘇って体がまた震える。
 そんな私を、銀髪の青年が少し体を起して、震える私を抱き直した。
「まぁまぁ、終わった話は止めましょう。この子だってきちんと分かっていますよ。――ね?」
 コクンと頷く私に、銀髪の青年は優しく微笑む。
「そんな事より、私達の事を何も話していませんでしたね」
「あぁ、そう言えばそうだったな」
 銀髪の青年の言葉に、白髪の青年が頷く。
「私は、ヴィンス・オルク―ドと言います。隣にいるちょっと偉そうな感じの人間が、ディオ」
 銀髪の青年――ヴィンスの説明に、ディオが「おいっ、なんだその説明の仕方は!」と抗議するも、ヴィンスはにこやかな顔をしてスルー。
「君の名前は?」
「あ、俺の名前は透……トオル・ミズキです」
 ヴィンスに凭れる様にして自己紹介をしていたら、ディオの前に赤い蝶――連絡蝶が現れた。
 ディオは蝶に二言三言話すと、「用事が出来た」と言った。
「俺は先に戻る。悪いがヴィンスはトオルを家に送って行ってくれ」
「分かった」
「そんな、俺1人で帰れるよ」
 助けられて、魔力まで貰っておいて、そのうえ家まで送ってもらうのは気が引けてそう言ったのだが、「馬鹿かお前は」とディオにデコピンされた。
「漸く魔力が溜まったって言うのに、そんな小さな体で慣れない転移魔法を使ったら、また魔力が無くなっちまうだろうが」
「う゛っ」
「はぁ〜。いいか、子供は大人を頼ればいいんだよ」
 ディオはそう言うと、自分が身に着けていたネックレスを外して、私の首に掛けた。
「これをトオルにやるよ。これは、俺の家に伝わる物で、自分の魔力が半分以上減ると赤く光って教えてくれる」
「え? でも、ディオさんの家に伝わるって……そんな大切な物もらえない」
「ディオでいい。まぁ、確かに大切なものだが、トオルは自分の魔力がどれだけ減っているのか分からないんだろ? そんな危なっかしい奴には、絶対必要なものだ。持っておけ」
 ディオはそう言うと、スッと立ち上がって「んじゃな」と言って転移魔法を使って消えてしまった。
 首に掛けられたネックレスの先端に付いている石を持ちながら、ポカーンとディオが消えた場所を見ていたら、
「それでは、そろそろトオルの魔力も溜まったようですし、帰りましょうか」
 私を抱きながら、「よいしょ」と言って立ち上がるヴィンス。
「……俺、こんな凄い物、もらえないよ」
「いいんですよ。くれるって言うんですから、ありがたく貰っておけば。さっ、転移しますよ」
 ヴィンスは渋る私を無視して、自分達の周りに転移魔法陣を展開。視界は一瞬にして変わる。そして、目の前には我が家が。
 ここで1つの疑問が。


「ヴィンスさんは、何で俺の家の場所を知っているんですか?」
 

 それまでのにこにこ顔が、ピキッと固まる。
「………………えぇーっと。そ、それはですね……あっ、トオルが転移してきた魔力の残滓を辿ったからですよ!」
 なんか、今思いついた言い訳っぽいですね。
 ヴィンスの顔をジーッと見ていると、あっ! と言って家を指す。
「家の明かりが付いていますね。誰か起きているのでは?」
「え゛っ!?」
 ぎょっと家を見ると、確かに家に明かりが灯っている。誰が起きているんだ?
 そう思っていたら、そっとヴィンスが私を地面に降ろした。
「さっ、家の人が心配していますよ」
 家の方に行く様に軽く背中を押される。
「ねぇ、ヴィンスさん」
「ん?」
 クルリと振り向いて銀髪の青年を見上げ、「また、会える?」と聞くと、彼は優しい顔をして「えぇ、もちろんです」と答えてくれた。
 そして、私の視線に合わせる様に跪く。
「トオル、君にこれをあげる」
 彼は、自分の腕に嵌めていた2つの腕輪の内1つを外し、私の左腕に嵌めた。
「私達に会いたくなったら、この腕輪に言葉と魔力を込めてみて。そうしたら、僕がこの腕輪を通して、トオルをあの湖の所へ連れて行ってあげる」
「ホント!?」
「うん。その時は、ディオも連れて来るよ」
 彼はそう言うと、立ち上がって自分の周りに転移魔法陣を展開する。
「いつでもいいから連絡して。……それじゃあね」
「うん」



「お帰りなさい、トオル様」

「うひょぅ!?」
 ヴィンスが消えたと同時に、急に後ろから声を掛けられ、ビクッと飛び上がる。
 そろりと後ろを振り向くと、そこには言わずもがなの――。
「でゅ、デュレインさわぁぁ!?」
 いつになく、乱暴な感じで抱き上げられた。そして、「どこに、行かれていたんですか?」と無機質な声で問われ、私は固まる。

 ――デュレインさんが、怒ってるぅ!?

 何も言えないで固まっていると、デュレインさんは先程ヴィンスから貰った腕輪を冷え切った目で眺め、次に、底冷えがする様な冷笑を浮かべた。
「どうやら、トオル様はこんな真夜中に出歩くほど、目が覚めてしまったようですね」
「あ、あの。デュレインひゃん?」
 怖くて口が回らない私に、デュレインさんはニッコリと笑う。
「では、朝まで私が話し相手になります」
 そう言うと、デュレインさんは私を抱えたまま玄関の方へ歩いて行く。

「朝までゆっくりじっくり……話し合いましょう? トオル様」

 ふふふと笑う顔を見ながら、私は誓った。
 デュレインさんに無断で外出するべからず――と。
 

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