私達は、あのガタゴトと揺れる粗末な荷馬車から、四頭立ての豪華な箱馬車に乗り移っていた。
天蓋つきの車両で、両側には窓とドアがついている。
あまり凝った内装はしていないが、イスのクッションはとても柔らかいし、荷馬車とは違って振動がまるで感じない。それに、大人4人が乗っても十分寛げるスペースがある。
そんな馬車の中――。
片側に私とロズウェルドとトーニャが座っており、その向かい側にピンク色の髪を持つ少年と銀縁眼鏡を掛けた神経質そうな男性が座っていた。
彼らは何かの書類を見ながら、難しい顔をして話し合っていた。
少年の名前は、レクサス・アーガルディアーノと言って、私達に護衛の依頼をして来た『アーガルディアーノ』の新頭取らしい。
宝石商の頭取と言うから、腹が突き出たオッサンをイメージしていたのだが……。
この少年は、パッと見は16か17歳位だろうか?
癖っ毛かと思われたぴょこぴょこ飛び跳ねる髪は……あれは寝癖か?
その隣にいるのが、レクサス君の秘書であるアダンさん。見た目、30代前半の男前な人だ。が、眉間に皺が深々と刻まれている。
向かい側に座る私達なんて、全く目に入らないようだ。
私とロズウェルドとトーニャの3人は、そんな2人の護衛を任され、彼らと同じ馬車で移動する事になった。
零とミシェルは、宝石が積まれた馬車の護衛を任されている。
「トール、疲れてないか?」
「んー? 大丈夫」
ボーッと外を眺めていたら、トーニャに声を掛けられた。
「それより、ゴメンね。足、疲れるんじゃない?」
私は今、トーニャのお膝の上に座っている。私が膝から落ちないようにと、お腹周りをトーニャの腕が囲っていた。
トーニャの胸元に凭れながら、顔だけ上に上げてそう聞くと、ポンポンと頭を撫でられた。
「羽の様に軽いよ」
本当は、自分1人で座りたいのだが、椅子の表面がツルツルした素材が使われていて、ケツがずり落ちていくのだ。何度も座り直している私を、見兼ねたトーニャが私を膝の上に乗せてくれた。
その時、ロズウェルドも同じ事を思って手を伸ばして来たのだが、トーニャの方が一足早かった。
軽く頭を撫でられながら、掌は肉球じゃないんだなぁ〜と思っていると、隣で腕を組みながら外を眺めていたロズウェルドが口を開いた。
「トーニャ、疲れただろ? 代わるよ」
私達の話を聞いていなかったのか、ロズウェルドがトーニャに向かって両手を突き出した。
どうやら、トーニャに代わって私を膝の上に乗せてくれるらしい。
「別に疲れていないから構わないぞ?」
私の頭を撫でながらそう言うトーニャに、ロズウェルドの右眉がピクリと上がる。
「代わるって」
「気にするなって」
声のトーンがちょびっと低くなるロズウェルド。それを、にやにや笑いながら見詰めるトーニャ。
なにやら、私の頭上でバチバチと花火が散っている様な感覚が……。
「あ、あのぉ〜」
不穏な空気を察したのか、仕事の話し合いを一時中断して、レクサス君が不安そうな顔をしながら私達に声を掛けて来た。
「そろそろお昼の時間ですし、この辺で一度馬車を止めて、昼食でも取りませんか?」
気を使ってそう言ってくれたらしい。しかし、ロズウェルドは首を振った。
「いや、俺達は護衛としてここにいるのだから、気にしな――」
ぐぅ〜っ……ぐぎゅるるぅぅぅ。
気にしないでくれ、とロズウェルドが言い終わる前に、私のお腹が盛大に鳴った。
長ぁ〜く鳴り続ける、腹の虫。
「「「「「………………」」」」」
全員の視線が一気に私に集まる。沈黙が痛い。
狙ったかのような腹鳴りに、恥ずかしさでカァーッと顔が熱くなった。
なぁ〜んでこんな時に鳴るんだよぉ!?
顔を真っ赤にさせて、俯きながら、ぐぅぐぅ鳴り響く腹を擦っていると――背中が揺れた。
どうやら、トーニャが笑っているらしい。
「……それでは、この辺で昼食にでも致しましょう。食料は沢山ありますので、貴方達もご一緒にどうぞ」
くくくっ、と笑いながら、アダンさんがそう言った。
「あぁ、悪いな。――トオル」
呆れた様な声が聞こえた。顔を上げると、苦笑したロズウェルドが私を見ていた。
「腹が減っているのに、気付かなくて悪かったな」
こうして、室内に立ち込める不穏な空気は払拭されたが、私は恥ずかしさでこの場から消え去りたかった。
「ご馳走様でした〜」
レクサス君達が用意してくれた昼食をガッツリ食べ、「美味かったぁ」と腹を撫でる。
食べ終わったお弁当箱を持って、ロズウェルドの元へ行く。彼は、ミシェルとトーニャ、それに、アダンさんと一緒にこれからの移動ルートに付いて話し合っていた所だった。
「ロズウェルドー。食べ終わったよ〜」
声を掛けると、ロズウェルドは振り向いて微笑した。
「腹は満杯になったか?」
「うん」
「そうか、良かったな」
そう言うと、頭を撫でられた。
「俺達は今、これからの移動について少し話し合うから、少し待っててくれ」
「分かった。――あ! あのさ、俺、喉渇いたから、あそこにある川の水を飲んで来てもいい?」
休憩場所から少し離れた所にある小川に向かって指を指すと、零と2人で行くならいいと言われた。
了解! と敬礼のポーズをとってから、零の手を取って小川まで歩きだしたのであった。
川縁にしゃがんでから、両手で水を掬って口元へ運ぶ。
ゴクゴクゴクッ……ぷはぁ〜!!
「このお水、ちょー美味い!」
手の甲で口元を拭ってそう言うと、同じ様にして水を飲んでいた零も頷いた。
「うん。水道水とは違って、やっぱり天然水は甘みがあって美味しいね。……あぁ、透ちゃん。ほっぺにお水が付いてる」
「ん? ありがとう」
ハンカチで顔をふきふきされている時、何気なく視線を上に向けたら、
「………………ん?」
高い木の上に、ちらりとピンク色が見えた。よく見ると、太い枝に腰を降ろし、幹に背を預けたレクサス君が見えた。
「どったの? 透ちゃん」
「あぁ、あの木の上にレクサス君がいる」
木の上――私が指さす方に零の視線も上がると、「あ、ホントだ。何してんのかな?」と首を傾げた。
私達に見られている事に気付いていないのか、レクサス君はボーッと遠くを眺めていた。
気になった私達は、レクサス君に気付かれないよう、そっと木をよじ登った。
「なぁーにしてんの?」
「うわぁっ!?」
後ろからヒョイと顔を覗かせてそう聞くと、驚いたレクサス君が枝からずり落ちた。
「うぎゃぁぁっ!?」
「「!?」」
下半身をバタつかせて、必死に枝に掴まるレクサス君の服を、慌てて掴んで引っ張り上げる。
「あ、焦った……」
胸を押させえてそう言う零に、私も深く頷く。
寿命が3年は縮んだぞ。危うく、護衛対象を死なせる所だった。
「驚かすつもりはなかったんだけど……ゴメン」
ペコリと頭を下げると、「あぁ、いいんだよ」と頭を振られた。
「何してたの?」
零が首を傾げながらそう聞くと、「空を見ていたんだ」と言った。
レクサス君が空を見上げたので、私達も一緒になって空を見る。
「「「………………」」」
えぇーっと、空がどうしたんだ?
ギルドを出発した時より、少し曇っている位だが……。
2人で首を傾げていたら、レクサス君が空を見ながら「これから荒れるな」と呟いた。
「風の向きも変わって来ているし……それに、雨の匂いが強くなってきている」
匂い!?
くんくんと鼻を鳴らしながら、別に匂わないけど? てか、雨に匂いがあるのか? と思ったが、レクサス君の真剣な顔に突っ込みは出来なかった。
「それは本当?」
「うん。間違いないよ」
「分かった。それじゃあ、その事をロズウェルド達に知らせないと」
「そうだね、そんなに凄い雨が降るなら、移動ルートも変わるかもしれないし」
自分達は一度、ロズウェルド達の元に戻ると言ったら、
「あ、それじゃあ僕も一緒に帰ろうかな。僕が説明した方がいいだろうし」
皆で一緒に帰る事になった。
そんじゃ、帰りますか。と、立ち上がった時――。
「――あっ」
幹から足を踏み外してしまった。
ぎょっと目を見開いて手を枝に伸ばすも、その時にはもう体は落下していた。
零とレクサス君が私の手を掴もうと、2人同時に腕を伸ばしたが、指先をかすっただけだった。
たぁ〜すけてぇぇぇぇ……って、転移魔法があったじゃん私!
意識を集中して転移魔法を発動しようとしたが――。
あ゛ぁぁぁぁ! 魔力を封じられていたんだった!!!!!
重大な事を忘れていた。
「ふぎゃぁぁぁ!!」
腹の底から悲鳴を上げた。
この高さから落ちたら骨折? いや、複雑骨折か? つーより、打ちどころが悪かったら最悪死ぬ!? と、叫びながらも、頭の中では冷静にそんな事を考えていた。
迫りくる地面に、ギュッと目を閉じ、衝撃に備えて体を丸めた時――。
「透ちゃん!」
ハッと目を開けると、零が枝から飛び降りて、落ちる私の体を空中で抱きとめた。
「ば、馬鹿!」
小さな私を庇うようにして、零は私を懐に包み込む。
そんな事をしたら、零が――。
「れ、零……いやぁーっ!!!」
自分のせいで零が怪我をするなんて、そんなのは絶対にいやだ!
その時の私は、無我夢中だった。
何をどうやったのかは分からないが――もう地面にぶつかる、という時、私の左腕が凄く熱くなって……。
私は魔力を使って転移した。
待てど暮らせど、衝撃が全然来ない。
薄っすらと目を開けると――私は零に抱かれた状態のまま、地面に横たわっていた。
「えぇーと?? どこだ?」
辺り一帯は真っ暗闇で、ここが何処なのかさっぱり分からない。
「透ちゃん、怪我は無い!?」
「うぉっ?」
キョロキョロ辺りを見回していたら、急に肩を掴まれて驚いた。
「だ、大丈夫だよ」
「よかったぁ〜」
ほっと溜息を吐き、私の体に異常がないか一通り調べてから、零はハタと辺りを見回した。
「ここどこ?」
遅いよ。
「分かんない。だけど、凄く暗いから地下道とか洞窟とかそんな所かもね」
「それにしても、暗過ぎ。―炎よ」
零がハンドボール位の大きさの、火の球を出した。
辺りが明るくなる。
「思ったより広いね」
「うん。それよりどっちが――」
出口なんだろうと言おうと思ったら、急に体の力が抜けて、膝から崩れ落ちてしまった。
零が焦って私を抱き起こす。
「え、え? なに? どうしたの、透ちゃん」
急に私が倒れてしまったので、零は半泣き状態になってしまった。
そんな零を落ち着かせる為、私は大丈夫と言って、零の腕から離れた。
「大丈夫だよ。……多分、小さい体なのに、転移魔法を使って魔力が極端に減っちゃったからだと思う」
昨日もそんな状態になったんだと言ったら、少しは落ち着いたらしい。
「気分が悪いとか、頭が痛いとか、そう言うのは無いんだね?」
「うん。体がダルイ感じがするだけ」
まるで、体が鉛になってしまったかのようだった。
「そんな状態じゃ、透ちゃん歩けないでしょ? ほら、おんぶしてあげるから、背中に乗って」
「うん」
しゃがむ零の背中に、私はのろのろと乗っかった。
よっこらせ、と掛け声を上げて立ち上がり「どっちに進もうか?」と聞かれる。
「ん〜。零に任せるよ」
「任せといて! 私の勘はすんごいんだから!」
そう言うと、「ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な……」と指を振りながら、『な』で決まった方角へ体を向け、火の球を2m程先に飛ばしながらテクテクと進んで行った。
勘はどうした、勘は?
20分程進んだ時――。
進む先の方に、何かの気配を感じた。
「……零」
警戒を含んだ声で零に声を掛けると、零は一つ頷いて火の球の大きさを野球の球より一回り小さくした。
なるべく足音を立てない様に慎重に進んで行く。
少しカーブになった道の先で、そーっと顔を覗かせる私達の目に飛び込んで来たものは……。
地面に敷き詰められた藁の上に、傷だらけで横たわる黒い狼と、見上げるほど巨大な体躯を持つ黒狼がいた。