第6章 黒狼 08

 
 私は今、零達の元に戻る為、暗い洞窟の中をレキに手を引かれながらテクテクと歩いている。
 数m先には、蛍光灯より少し淡い光が、私達を先導するように浮いていた。
 ボーッとしながら歩いていると、小石に躓(つまず)いて転びそうになるも、右手をしっかりと握っていたレキに支えられる。
「大丈夫ですか? ご主人様」
「う、うん。……大丈夫」
 レキは私の体をささっと点検して異常が無い事を確認すると、もう1度右手を握って歩き出した。
 テクテク歩きながら、私の頭の中では『ご主人様』と『下僕』という言葉がグルグル回っていた。
 そんな頭で、下僕って……男の召使って意味だよな? と、手を繋ぐレキを横目でチラリと見詰める。


『ヴァンデルッタ』


 魔力は王族以上あって、姿は人間とほぼ同じ。
 だけど、ヴァンデルッタの瞳は金色で、人間には無い色だから直ぐに分かる……って、フィードがそう言っていたのを思い出す。
 レキは、あの巨大な狼の姿から、見た目が10歳位の男の子に変わっていた。
 髪は、襟足が少し長い位の私と同じ黒髪。
 少し丸い顎先に華奢な体が幼さを感じさせるが、見た事も無い様な綺麗な金色の瞳は、高い知性が秘められている様に煌めいていた。

 すっごく綺麗だよねぇ。

 金色に輝く瞳に暫し見とれてい私であったが、ハタと正気に戻る。
 おっと、いけないいけない。頭を振ってもう1度レキを見る。
 人間の姿のレキは狼の時とは違い、立ち上がっても、チビになった私が少し見上げる位の高さしかない。
 しかし、やっぱりと言うべきか何なのか、レキも将来が楽しみね? って言うぐらい整った顔をしていた。
 そんな男の子に『ご主人様』と呼ばれる私。
 元の姿に戻った私が、レキに「ご主人様〜」と言われる場面を想像してみる。
「……………………」


 なんか、イケナイ世界に足を踏み入れちゃった様な気分になるんだけど……。


 眉間に皺を寄せて、これからどうしよう……と唸っていると――。
「ご主人様」
 ん? と顔を上げてレキを見ると、金色の瞳と目が合う。
「ご主人様、そんな難しい顔をしてどうしたんですか?」
 心配そうな顔をしてそんな事を聞かれてしまった。
「むぅ……いやね? 別に心配事ってなもんでもないんだけど」
「けど?」
「そのぉ〜。『ご主人様』とか『下僕』と言う言葉がちょっと……」
 聞き慣れない、言われ慣れない言葉に抵抗を感じる。
 主従なんて関係より、お友達とかはどうでしょう?
 うん。それがいい! と提案するも、レキは――。

「嫌だ」

 ぷいっとソッポを向かれてしまった。
 主従関係でなければ嫌らしい。
 なんでぇ〜!?
 名前を付けてって言われたから、気軽に名前を付けちゃっただけなんだけど。
 それがまさか、こんな事になろうとは思いもしなかった。
 はぁ〜っと肩を落とした時、レキが「あ、半身の治療が終わったみたいです」と言った。
 レキの半身から、治ったと言う思念が届いたらしい。
「そっか。良かったね、傷が治って」
「はい」
 それじゃあ早く零達の元に戻ろうと言う事になり、呼び名がうんぬんの話はそこでお開きになってしまった。



「うぇぇぇぇ!?」
 零達の元にもう少しで着くと言う時、零の悲鳴が聞こえて来た。
「零、どうした!?」
 私は握っていたレキの手をバッと離し、急いで零の元にまで駆け寄る。
 少しカーブした道を駆け抜け、零の姿を確認した私は――ポカンと口を開く事になる。

「……あのぉ〜。零、その子は誰?」

 私は、尻もちを着いた零と、そんな零にギューッとしがみ付く女の子に指を指しながら聞く。
 零は私を見ると――。


「と、透ちゃん! 狼が人間になったぁー!!」


 しがみ付く女の子をペイッと放り投げて私に駆け寄って来る。
 べシャッ……と地面に倒れ伏した女の子が、少し可哀想だった。
「あー……零、放り投げるのはちょっと酷いんでない?」
「だって! 急に抱き付いて来るんだもん!!」
 ビクビクしながら私の背後に隠れて女の子を見詰める零に、私は状況確認をする。
 私達の目の前には、先程まで傷付いて横たわっていた狼がおらず、代わりに、レキにとっても良く似た女の子がいた。
 前髪をまゆ毛の所で切り揃え、胸元まである長いストレートの黒髪。
 そして、『ヴァンデルッタ』の象徴でもある煌めく金色の瞳。

 多分、て言うか、絶対レキの半身でしょう。

 零に放り投げられ、うりゅりゅ、と目元に涙を溜める女の子を見詰めながら、私は零に声を掛ける。
「あのさー。もしかしなくても、さっきの傷付いた狼に名前付けたっしょ?」
「な、名前? うん、付けた。『ルヴィー』って」
 だって、名前が無いって言うんだもん。と説明する零に、溜息が出た。
 零も私と同じく、この狼族の『ヴァンデルッタ』――ルヴィーのご主人様になってしまったのである。
「零、その女の子は狼族の『ヴァンデルッタ』だよ」
「狼族? 『ヴァンデルッタ』??」
 私の言いたい事が分からないのか、首を傾げている。
「忘れたの? ほら、フィードが言ってたじゃん。獣人に名前を付けると、名前を付けた人がその獣人の主になっちゃうって」

「………………あぁー、何かそんな事も言っていた様な、無かった様な?」

 そんな昔に聞いた話は忘れたと言う零に、ガックリと肩を落とす。
「あぁそう、でも、その子は狼族の『ヴァンデルッタ』で、零が『ルヴィー』と言う名前を付けたから、零がルヴィーのご主人様になっちゃったんだよ」
 それで合ってるよね? と涙目の女の子に確認を取ると、コクンと頷かれた。
 女の子は服についた土埃を払うと、俯きながら零に近づいて来た。
「あ、あの、私は狼族の『ヴァンデルッタ』――ルヴィーです。名前を付けて頂いた事により、主従の契約が成立いたしました」
 不束者で御座いますが、よろしくお願いしますご主人様。とスカートの端を持って腰を下げるルヴィー。
「あ、はい。よろしくお願いします」
 つられて、零も頭を下げていた。

「良かったな、『半身』」

 そんな2人を見ていたレキが、ルヴィーに声を掛ける。
「うん! でも、もう『半身』って言わないで。私には『ルヴィー』って言う名前があるんだから」
「分かった。それじゃあ、オレの事は『レキ』と呼んでくれ」
「レキね、分かったわ」
 獣人2人が何やら呼び名の確認をしている時、零が私の肩を揺さ振った。
「と、透ちゃん、もしかしなくても、あの男の子って……」
「うん。レキって言うんだ。……名前付けて、契約しちゃった」
 アハハ……と渇いた笑いを溢していると、零が「え? あんなにデカかったのに、人間の姿だと子供なの!?」と驚いていた。
 驚く所はそこなのか。
「ん? そう言えば、『ヴァンデルッタ』って……」
 何かを思い出したのか、零が顎に手を当てながら唸る。
「どうした?」
「いやね? 確か、フィードがずーっと契約を望んでいた獣人って『ヴァンデルッタ』だったよね?」
「ん? そう言えば……そうだったね」
「だよね? でさ、『ヴァンデルッタ』を呼び出すのに何度も何度も召喚魔法をやってるけど、何度も何度も失敗してるよね?」
「……そうだね」
「思いもよらずにルヴィー達と契約しちゃったけど、家に帰って、私達がルヴィー達と契約しちゃったってフィードが知ったら……」

「………………拗ねるな」

 むぅーん。フィードに何て言おう。
 今後の事を考えると、頭が痛くなってきた。
 そんな時、レキとルヴィーが声を掛けて来た。
「ご主人様、ここから少し離れた場所で、ご主人様達を探索する魔法が働いています」
「今は、私が結界を張って逸らせていますが、どう致しますか?」
 その言葉に、私達は「あっ!」と声を上げた。

 今まで、すっかり忘れていた。ロズウェルド達の事を……。

 だらだらと嫌な汗が流れて来る。
 ロズウェルドの側を勝手に離れた為に、今の私は、チビにされて魔力まで封じられたのだ。
 もう勝手に側を離れませんと言った側から、約束を破ってしまった私。それも、2度目。


 絶対怒ってるぅ〜!


 次はどんな「お仕置き」なるものが待っているのかと震えて来る。
「ヤバい。早くロズウェルド達の所に帰らないと」
「そうだね、急にいなくなっちゃったから、心配してるかも」
 チビの私は転移魔法を使うと魔力が極端に減っちゃうから使えない――と言うか、今は封印されているから使えないし、零は転移魔法を使った事が無いから無理。
 よって、歩いてロズウェルド達の元に行く事にした。
 零と手を取り合って洞窟を抜けだそうとした時、ルヴィーが待ったを掛けた。
「ご主人様達は、この探索魔法を放っている術者の元に行きたいんですか?」
 そうだと頷くと、ルヴィーは「それでしたら、私にお任せ下さい」と言った。
「私が、その者の元に連れていきます」
 ルヴィーはニッコリ笑うと、指をパチンと鳴らした。
 その瞬間――。


 私達は暗い洞窟の中から、険しい顔をしたロズウェルドとミシェルの近くに転移していた。


 ロズウェルドとミシェルが、急に現れた私達に驚いた様な表情を浮かべた。
「トオル!」
「レイ!」
 次に、怒った顔で近づいて来た。

 うわぁ〜。やっぱり怒ってるしぃ!

 零と2人で、近づいて来るロズウェルド達をビクビクしながら見ていると――。
 私の前にレキが、そして、零の前にルヴィーが、スッとロズウェルド達から庇うようにして立った。
「何だい? お前達は」
 ミシェルとロズウェルドは、一旦足を止めて、私達の前に立ち塞がるレキ達を訝しげに見詰める。
 そんな2人を見ながら、レキは1歩前に足を進めた。
「誰だ、お前は。この方に害をなす者か!」
「……何だお前は」
「答えろ!」
 急に現れて怒鳴りつけるレキに、ロズウェルドは不審な表情をするも、腕を組んでレキを見降ろす。
 そして一言。


「保護者だ」


 最早、『パートナー』とは言って貰えないらしい。
 ちょっとショック。
「分かったらそこから退け。俺はトオルと少し話さないといけない事があるんでね」
「話なら、そこで話せばいいだろう?」
「そんな事、無関係なお前には関係ない事だろう?」
 だから早くそこをどけと、シッシと手を振るロズウェルド。
「……無関係?」
 そんなロズウェルドを、レキはキッと睨みつける。
「無関係じゃない! 何故なら、オレは――」
 次の言葉が分かった私はレキの口を押さえるべく、手を伸ばしたのだが――いかんせんチビ過ぎた。
 手が、口に届かなかったのである。
 よって、レキの怒声が辺り一帯に木霊した。



「オレはご主人様の下僕だぁー!!」
 

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