第6章 黒狼 12

 
「あ、待て!」


 ロズウェルドがこちらに向かって手を伸ばした姿を最後に、一瞬にして視界は変わる。
 目を閉じ、次に開けたら――住み慣れた家の前に、私達は立っていた。
「ここがご主人様達のお家ですか?」
 不思議そうな顔をして家を見詰めるルヴィーに、零は「そうだよ」と頷きながら、疑問に思った事をルヴィーに聞く。
「何でここが分かったの?」
「うふふ。それは秘密です♪」
 そう言って、じゃれ付くルヴィーに、「うわっ、ちょっとあんまり抱きつかないでよぉ〜」と珍しくタジタジな零。
 そんな2人から視線を外し、つい先ほど自分の下僕になった少年に目を向ける。
 レキは、ずぅーっと私を見詰めていたのか、直ぐに視線がバッチリと合う。
「ご主人様、どうしましたか?」
「あのさ、レキ」
「はい、なんでしょう?」
「レキって、普段は人型なの? それとも獣型?」
 急な話の振りに、レキは頭を傾げたが、「ご主人様に逢う前までは、獣型で過ごしてました」と正直に答えた。
 それがどうかしましたか? と聞かれ、私は唸った。

 レキの獣姿――3m以上あるのではないだろか、と思わせる巨大な体躯。

 もしも、あの姿でここら辺を歩かれたら……凄い騒ぎになるに違いない。
「あのさ……獣型でも、もうちょっと小さくなれない?」
 それじゃぁいかんだろう、という思いで私がそう聞くと、レキは「出来ますよ」と即答した。
 そして直ぐに「やってみせましょうか?」と聞いて来たので、私は「んじゃ、やってみて」と頷いた。
 レキは、私と繋いでいた手を離すと数歩後ろに下がり、目を閉じる。
 すると、レキの足元から黒い風が巻き起こり、レキの体全体を覆う。
 ヒュン、と言う風の音が鳴り、黒い風がレキの周りから消え去った後に出て来たレキの姿に、私は目を見開く。
 そこにいたのは何と――。


 尻尾をパタパタ振って、お行儀良く座っている――小さな子犬(狼)。


 レキは立ち上がって、尻尾を振りながら私の方へトコトコと歩いて来たが、途中で何か違和感があったのか、立ち止まって自分の体を見回していた。
「あれ? 小さくし過ぎたかな?」
「………………」
「いつもはこういう事しないから、やり過ぎちゃった」
「………………」
「ちょっと待ってて下さい、ご主人様。今、もうちょっと大きくしま――むぎゅ」
 レキがもう一度体の大きさを変えようとする前に、私はガバッ! とレキに抱き付いた。
 だってだって!


「かーわーいーいー♪♪」


 子犬ぐらいの大きさのレキを抱き上げ、レキの顔に自分の頬を当ててスリスリしながら「可愛い」を連発する私。
 初め、私の行動に驚いたレキは尻尾をピンッと立たせて緊張している様であったが、次第に慣れて来たのか、パタパタと大きく左右に振っていた。
「ご主人様、オレのこの姿……気に入りました?」
「もぉー超気に入ったよ!」
「えへへぇ〜♪」
 小さくなったレキを可愛がる私と、私に抱きかかえられて嬉しそうに尻尾を振るレキ。


 そんな私達を、少し離れた場所からジーッと見詰める2対の金の瞳が。


「…………ご主人様」
「なにぃ? ルヴィー」
「ご主人様も、ああいう風な小さな獣が好きですか?」
「へ?」
 零は急に何を言い出すんだと思って、ルヴィーを見降ろす。
「うぅーん。私はどっちかって言うと、レキみたいな子犬より、アイリッシュウルフハウンド(全犬種中最大の体高)みたいな大型なのが好きなんだよねぇ〜」
 大きい方がカッコいいじゃん! と語る。
 そう、零は私とは正反対で、小さくて可愛いモノより、大きくてカッコいいモノが大好きなのであった。
 友達には「見た目と中身が反対だったら良かったのにね」と、良く言われていた。
 うん。私もそう思う。

「分かりました!」

 ルヴィーは1度大きく頷くと、零の腕から体を離し、レキと同じ様にその場から数歩下がって目を閉じる。
 すると、ルヴィーの足元から黒い風が巻き起こり、それがルヴィーの体全体を覆い隠した。
 風が収まってそこから現れたのは――。


 キラキラと輝く金の瞳に、艶めく漆黒の毛を身に纏った――大きくて、とても綺麗な狼が立っていた。


「うぉぉ!! かぁっこいぃ〜♪♪」
 大きな狼になったルヴィーに、零は興奮した様子で駆け寄った。
 ルヴィーの周りをぐるぐる回り、すごいすごぉ〜い! と言って彼女の首周りに抱き付いていた。
「うわぁー。こんなに大きいと、零でも背中に乗れるんじゃない?」
 レキを抱っこしながらルヴィーの近くに近寄って、私が見たまんまの感想を述べると、零に顔を擦り寄せていたルヴィーが「もちろん乗せれますよ」と教えてくれた。
 レキもルヴィーも、体の大きさを自由に変える事が出来るらしく、この位の事なら朝飯前なんだとか。
 へぇー、凄いなぁ。と感心していたら、


「玄関前で、何を騒いでいるんですか?」


 ハッとして、声のした方に振り向くと――。
「何です? その犬は」
 家の中から出て来たデュレインさんが、腕を組んでレキとルヴィーに抱き付いている私達を無表情で眺めていた。
「あ、デュレインさん。実はですね」
「何ですか、その犬は」
 私が声を掛けるも、彼女は表情1つ変えずに、同じ質問をして来る。
 ……う゛ぅぅ。何か怖いんですけど。
「2人共、その犬を何処から拾って来たんですか?」
 何も答えない私達に、デュレインさんはレキとルヴィーを順番に見てから、ゆっくりと私達に視線を戻した。
 そして、腕を組んで質問の答えを待っている。
 ピリピリとした空気が私達の周りを覆う。
 ゴクリッ……っと喉が鳴った。
 だって、この状況はまるで――。


 捨て犬を拾って来た子供が、玄関前で親に「何処から拾って来たの、家では飼えないから戻して来なさい!」と怒られている状況に似ているのだ!


「えぇーと、このコはですねぇ」
「……デュレインさん、実は」
 今まであった事を正直に私達が話そうとした時、

「おいコラ人間! 誰が犬だ!」

 がるるるる……と唸り声を上げながら、レキがデュレインさんに咆えた。
「オレは犬じゃない! 狼だ!! どこをどう見たら犬に見えるんだよ!!」
 私の腕の中で唸り声を上げるレキを見降ろしながら、デュレインさんは無表情で「どこからどう見ても、犬」と言ってのけた。
 ギャーギャー煩く騒ぐ2人にどうしようかと悩んでいると、バサリ……と何かが地面に落ちる音がした。
 皆が一斉に音のした方へ顔を向ける。


「……何で……『ヴァンデルッタ』が、ここに2頭も……いるんだ?」


 騒ぎを聞きつけて、家の中から出て来たフィードが、レキとルヴィーを見ながらそう呟いた。
「あっ、フィード……これはそのぉ〜」
「………………」
「実は……」
 手に持っていた本を落とし、プルプル震えながらレキとルヴィーを凝視しているフィードに、零はポリポリと頭を掻きつつ何か声を掛けようとするも、フィードは「契約……したの?」と小さな声で呟いた。
 私達は正直にそうだよと答えた。
 それから、今までの事――零と一緒に木の上から落ちた所から、レキ達と契約し、そして此処に至るまでの経緯をフィードとデュレインさんに簡潔に説明した。
 黙って話を聞いていたデュレインさんは、心底呆れましたと言わんばかりに深く溜息を吐いていた。
 そして、その横にいるフィードは俯いて肩を震わせていた。
「……フィード」
 私達は、フィードがどれ程獣人の『ヴァンデルッタ』と契約を結びたがっていたのかを知っている。
 ここ数カ月、あの小汚い部屋の中で、私達を元の世界に帰す魔法陣を探しながら、朝から晩まで色々な召喚魔法を唱えては――失敗していたのも。

 それなのに――。

 別に獣人と契約したいと思ってもいない私達が、契約するのが難しいと言われている『ヴァンデルッタ』とアッサリと契約してしまったのだ。
 ……もしかして、泣いちゃった?
 と、俯いたまま肩を震わせている少年を、どうしようか? と思いながら見詰めていると――。


「こんのぉ、ボケ共がぁーっ!!」


 泣くのでもなく、拗ねるのでもなく、何故か怒っていた。そして怒鳴られた。
 どうやら、余りの怒りに肩が震えていたらしい。
「ちょ、ちょっと、あんた、なに急に怒ってんのよ?」
 ギッと鋭く睨みつけられて、ちょびっとビビった零が、ルヴィーの首にしがみ付きながらオズオズとフィードに声を掛けると、
「うっさいわボケ! アホ! 間抜け!!」
 唾を飛ばす勢いで反撃された。
「前に僕言ったよね!? 気軽に名前を付けるなって!」
 確かに言われた。だけど、その事は彼らと契約を結んでしまった後に気付いたのであって、それまで、す〜っかり忘れていたのだ。
 アハハ。ごめんごめん、と2人で謝る。
「お前らは獣人と契約する――という意味を、分かって無い!」
 ぎゃんぎゃん私達に説教をしていたフィードであったが、急にがっくりと肩を落とした。
「はあぁー……もういい。契約を交わしてしまったのなら、もうどうする事も出来ないし」
 そう言うと、フィードはフラフラとした足取りで家の中に入って行ってしまった。
 フィードの哀愁漂う背中を、見えなくなるまで眺めていると――。

「トオル様、レイさん、話は大体分かりました。しょうがないので、そこの犬2匹、家で飼ってもいいですよ」

「ホントですか? ありがとうデュレインさん!」
 しょうがないですね、と言った感じでデュレインさんが家の中に入っていく後を私達も追う。
 これからの生活に、新たな住人が2人(匹)増え、益々賑やかな異世界生活になる事だろう。
 しかし、
「オレは犬じゃない!」
 家の中に入ってからも、レキはずーっとデュレインさんと2人で、『犬』と『狼』の違いについて熱く(?)語り合っていた。



 ――夜。

 夕食を食べ終え、自室へレキを連れて、ベッドの上でごろごろとしていたら、レキが「ご主人様」と声を掛けて来た。
 ピョンとベッドの上に飛び乗って来たレキを見ながら「どした?」と聞く。
 小さな足でトコトコ近づいて来ると、眉間に皺を寄せながら左腕に嵌められている腕輪に鼻を近づけて、クンクンと鼻を鳴らした。
「ご主人様、これは?」
「これ? これはね、ヴィンスから貰ったの」
「ヴィンス? ……それは男ですか?」
「そうだよ」
 琥珀色の瞳に銀色の髪を持つ――優しく笑う青年。
 彼は今、何をしているのだろうか?
「それがどうしたの?」
「いえ、その腕輪から微量な魔力を感じたので」
「腕輪から魔力?」
 私は1度起きあがると、ヴィンスから貰った腕輪をジーッと見詰める。
 …………どこも変な所はないよな?
 そもそも、私は自分の魔力も感知する事が出来ないのだ。腕輪から魔力が出ていても気付く事など出来るはずもない。
 暫く腕輪を眺めていた私は、ある事に思いついた。
 そう、ヴィンスが――会いたくなったら、この腕輪を通して、彼らの元へ連れて行ってくれるって言っていたんだ。
 私は本当に会えるのかな? と確認ついでに腕輪に魔力を込めようとしたのだが――。
 ハタと気付く。


 魔力って、どうやって込めんの!?


 肝心な所が分からない!
 ガーン。これじゃあ、ずぅ〜っとヴィンスとディオに会えないじゃん。
 ガックリと肩を落とす。
「あ、あの、どうしたんですかご主人様!?」
 腕輪を見ながら百面相をしていた私を見ていたレキが、急に項垂れた私を見て体を擦り寄せて来た。
「レキぃ〜。どうやったらコレに魔力を込められるのぉ」
「腕輪に……ですか?」
「うんそう」
「……えっと、普通に魔法を使う時みたいに、魔力を込めればいいんじゃないんですか?」
「…………………………?」
 レキの言葉に、私は首を傾げた。

 私は(零もそうなのだが)自分の魔力を感知する事が出来ない。

 では、どうやって魔法を使っているのかと言えば――。
 唯単に、イメージすればいいだけ。そうすれば、何故だか魔法が使えちゃうのだ。
 だが、物に魔力を込めるなど……どうすればいいのだ? 分からん。
 私は腕輪に向かって「ヴィンスさぁ〜ん、今から会いたいでーす」と適当に言ってみた。


 ………………………………。


 変化なし。
 やはり、言葉だけではなく、魔力も腕輪に込めなければダメみたい。
 レキの頭を撫でながら、「やっぱり駄目かぁ」と溜息を吐いた時――腕輪が仄かに熱を発した。
 え? と思って腕輪に視線を向けようとしたら――。


「へぶっ!」
「きゃぁ!?」


 顔面に何か柔らかいモノが急に当たった。それに……何故か女性の悲鳴が聞こえたような?
 顔に当たる柔らかいモノに手を当てて、ゆっくりと顔を上げると……。
「…………えーっと?」

 どなた様でしょう?

 見知らぬ女性の膝の上に、私はレキを抱いたまま座っていた。
 ポヨヨン、とした柔らかいモノは、見知らぬ女性のお胸さんだったらしい。
 どおりで柔らかいはずだ……って違うから!
 何が起きたのか分からずに、私と女性が暫し見詰めあっていると――。


「トオル」
「よっ、昨日ぶり」


 会いたいと思っていた2人の声が聞こえた。
 

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