第6章 黒狼 13

 
「トオル」
「よっ、昨日ぶり」


 ぽけ〜っと見ず知らずの女の人と見詰めあっていると、すぐ隣りから声を掛けられた。
 え? と思って振り向くと、そこにはヴィンスとディオが立っていた。
 ヴィンスは少し屈むと、私を女の人の膝からそっと持ち上げ、レキが落ちない様に気を付けながら私を自分の腕に乗せた。
 隣にいたディオは、女性に手を差し伸べて、「大丈夫か?」と言いながら立たせていた。
「えっと……ここどこ?」
 私は、レキをぎゅと抱き締めながら辺りを見回す。
 どうやら今私がいる場所は、昨日溺れかけた湖ではなく、テレビでしか見た事が無い様な、超高級スウィートルームみたいな豪華な部屋の中であった。
 周りを見てその凄さに驚き、顔を上げて更に驚いた。
 顔を上げると――キンキンキラキラと輝くシャンデリアが、どどーん! と目に入って来た。
 うわぁっ、あんなでっかいシャンデリアなんて、初めて見たし! と口をぽっかーんと開けながら呆けていると、


「シャンデリアをそんなに熱心に見詰めて、首が疲れないか?」


 私の呆けた顔を見ていたらしいディオに笑われた。
 だらしがなく開けていた口をピタッと閉じると、顔を天井に吊るされているシャンデリアからディオに向ける。
 彼は、昨日会った時とは着ている服が違った。
 昨日は旅人の様な服装をしていたが、今は何て言うか……貴族とかそう言った人達が着る様な衣服を身に纏っていた。
 白い生地に金色の糸で刺繍が施された絢爛・華麗な衣服に、高貴! って感じがするにはするんだけど……。
 だけど、そんな豪華絢爛な衣服も着崩して着ている為に、『貴族っぽい』って言う感じにしか見えない。
 ヴィンスを見ると、彼も昨日の服装とはまるで違い、濃い青色の騎士服に似た服を着ていた。
「……あの、ここって一体……」
「此処は俺の家だよ」
「ディオの!?」

 この、超高級スウィートルームみたいな豪華な部屋が!?

 あんた一体何者!? と驚く私に、ヴィンスが「こう見えて、彼は意外と偉い人物なんですよ」とクスクス笑いながら、私をソファーの上に降ろした。
 そんなヴィンスに、「おい。こう見えて、とか、意外と、ってどういう意味だ?」とディオは詰め寄るが、
「え? 本当の事を言ったまでですが?」
 と、ニッコリ笑いながらそう言った。
 あぁ……お前って、そう言う奴だったよな……と、溜息を吐くディオに、何を今更な事を言ってるんですか、と笑っている。
 笑いながら酷い事を言うヴィンスの顔を見ながら、私は首を傾げる。
 時折、ディオに対して笑いながらサラッと毒を吐く姿を見て――。


 ……誰かを思い出す。


 はて? と首を傾げながら、誰だろうと見続けていると、視線に気づいたヴィンスに「どうしました?」と聞かれる。
「私の顔に何か付いてますか?」
「あ、その……ヴィンスって、誰かに似てるなぁ〜と思って」
「…………え?」
「うぅ〜ん。誰だろう? どこかで会った人かな??」
「あの、トオル……」
「騎士訓練場で会った人……? それとも、ギルドでかな?」
 顎に手を当てながら、誰だったかな? と思い出そうとする私に、何故かヴィンスとディオの顔が引き攣っている。
 そんな時、ふと、とある人の顔が思い浮かぶ。
 その人を想像して、まっさかぁ〜! と思うも、でもなぁ……と思い直し、一応確認してみる事にする。
「ねえ、ヴィンスって……お姉さんか、妹さんっている?」
「姉か、妹……ですか?」
「うん」
「いえ。いませんよ」
 ヴィンスは顔を引き攣らせながら、首を振って否定した。
「私には……兄が、います」
「兄?」
「えぇ、私と同じ銀髪に、琥珀色の瞳を持っていて……見た目は、余り似ていない……かな?」
「そっかぁー」
 じゃあ違うな。と、思い浮かべた人物を消し去った時――。


「何時になったら、この可愛らしい男の子を私に紹介してくれるのかしら?」


 今までディオの隣に静かに立っていた女の人が、少し高い声で2人に文句を言う。
 ちょっと不機嫌そうな顔をしたその人は、「全く、気が効かないんだから」と言うと、ディオの隣から離れて、私のすぐ側に立った。

 女の人の外見を一言で表すと、『普通』であった。

 今まで出会った人達は、男女共に、何故か美形や綺麗系な人が多かった。
 美少女、美少年、美青年……etc。
 此処にいるヴィンスやディオもその部類に入る。
 しかし、女の人は周りにいる様な美人系とかでは無く、本当にどこにでもいる様な普通の顔だった。
 だが、私を見て微笑む顔は、とても可愛らしかった。

 何て言うか、癒されるわぁ〜。

 ホッとするって言うの? 美形の人達を見ていると目の保養にはなるのだが、慣れるまで、ちょびっとだけ緊張するんだよね。
 そんな事を思いながら、私はソファーから降りて抱いていたレキ(何故か異常に静かだ)を床に降ろすと、目の前に立った女の人にペコリと頭を下げた。
 いきなり膝の上に現れておいて(やろうと思ってやったわけでは無いのだが)、お詫びを言うのも、自己紹介するのもまだだった事を思い出したからだ。
「初めまして、俺はトオル・ミズキと言います。先程は、急に貴女の膝の上に……座っちゃってごめんなさい」
 初めは普通に喋っていたのだが、今の自分は小さい子供の姿だったんだと思い出したので、急遽子供口調に言いかえる。
 そんな私に、女の人は「気にしないで」と首を振った。
 そして、私の視線の高さに合せる為に、ドレスの裾が床に着くのも気にする事無く膝を折って床に付けると、私の両手を取って軽く握りしめた。
「私は、エメリナよ。エメリナって呼んで? ――私は、そこにいるトールの奥さんなの」
「トール?」
 そこにいるトールって誰ですか? と首を傾げると、エメリナさんは後ろを振り向き、ディオを指さした。
 え? っと驚いていると、ディオが「俺の名前は、本当はディオナトールって言うんだ」と教えてくれた。
「親しい人のほとんどは、彼の事を『ディオ』とか『ナトール』と言う愛称で呼んでいるけど、私は『トール』って呼んでいるの」
 他の人と違う呼び方で彼を呼びたかったのよ、と笑うエメリナさん。何でも、ディオとエメリナさんは幼馴染なんだとか。
 エメリナさんがディオの事を呼んだら、俺が返事しちゃいそうだね。と笑いながら言ったら、エメリナさんに突然抱きつかれた。
「え、え?? エメリナさん?」
 急にどうしたんだと、わたわたと手を動かしながらエメリナさんに声を掛けたら、「……逢いたかった」と掠れた声で囁かれた。

 会いたかった? え、どういう意味?

 首を傾げていると、私を抱きしめているエメリナさんの肩に、ディオがそっと手を置いた。
「エメリナ、トオルが驚いてるぞ? 悪いな、トオル。昨日エメリナにトオルと会った事を話したら、会いたい会いたいってずっと言ってたんだ。……ほら、エメリナ、立って」
 ディオはエメリナさんの腰に手を回すと、ゆっくりと立ち上がらせた。
「んもう、もうちょっとトール君と熱い抱擁を交わしていたかったのに!」
「抱擁もいいけど、それよりさっき君が作って持って来たお菓子を、トオルにご馳走してあげたら?」
「あっ、そうね!」
 エメリナさんはディオの言葉に頷くと、美味しそうな焼き菓子が沢山置いてあるテーブルの方へ、握っていた手を引きながら歩いて行く。
「うわぁ!? ちょ、エメリナさん?」
「トール君は、ふわふわのシフォンケーキはお好き? 果物がいっぱい入ったタルトもあるし、クレーム・ブリュレやミルフィーユもあるの」
 すこし強引な感じで私を引っ張るエメリナさんは、「パウンドケーキも美味しいし、ブラウニーも捨てがたいわね」と言いながら、人の話を全く聞いていない様子。
 ヴィンスとディオは、大きなクッションが置かれた椅子に座る私と、私の前に色んな焼き菓子を用意するエメリナさんを見ながら、クスクスと笑っていた。



「お……お腹一杯」
 ぽっこりと膨れた腹を撫でながら、私はエメリナさんに「ご馳走さま」と頭を下げた。
「すっごく美味しかったです!」
「本当? それは良かったわ」
「しっかし……かなりの量を食べたな」
 ディオは呆れた様な顔をして私を見ていた。
 デュレインさんからデザート禁止令が出ていたので、ここぞとばかりにお菓子を食いまくった私。所謂、食いだめである。
 あぁ、これ以降、食後に甘いモノが食べれないのね……と思いながら出されたオレンジジュースを飲んでいると、扉を叩く音が聞こえた。
 扉の方へ視線を向けると、リュシーさん達が着ていた黒い騎士服に良く似た、白い騎士服を着た男の人が入って来た。
「お? バスクじゃないか。どうした?」
「お寛ぎの所、失礼します。少しへ――」
「あ゛ぁーっ!!」
 急に声を上げたディオに、私も男の人も、何事!? と驚く。
「すまん、トオル。急な仕事が入ったみたいだ」
「……あ、そうなの?」
「あぁ。悪いが俺は先に失礼するよ」
「うん。今日は急に来ちゃってごめんね。それと、お仕事がんばってね」
「有難う。――エメリナ、悪いが君も一緒に来てくれないか?」
 くしゃくしゃと私の頭を撫でたディオが、椅子から立ち上がってエメリナさんの手を取る。
「もう暫くトール君とお喋りしたかったのに……しょうがないわね」
 エメリナさんは渋々と言った感じで立ち上がると、「又、遊びに来て下さいね」と言って、ディオと一緒に部屋から出て行った。
 行っちゃった。と思いながら扉を見ていたら、横からにゅっ……と大きな手が伸びて来た。
「トオル、口に食べ残しが付いてるよ」
 クスクス笑いながら、ヴィンスが私の唇に親指を当てた。
 少しカサついた指が、唇の上でゆっくりと動く。その動きに、何故か恥ずかしくて顔を赤らめていると、


「我が主に気安く触れるな!!」


 今まで、借りてきた猫の様に大人しかったレキが、突然叫んだかと思うと目の前に現れた。
 レキは犬……間違い、狼の姿から人間の姿に変わっていた。
 ヴィンスの手首を掴むと荒々しく振り払い、鋭い視線を彼に向ける。金色の瞳は怒りに燃えていた。
「ご主人様が穢れる!」
「私はトオルの唇に付いていたモノを、取っていただけだよ」
「嘘つけ! 『口の端』に付いてはいたけど、『唇』には付いていなかっただろうが!!」
「そうだったかな?」
「そうだよ! それになんだ、あの触り方は!」
「え? 普通でしょ」
 ニッコリと邪気のない顔で笑うヴィンスに、レキの額の青筋は増えて行く。
「ご主人様! もう遅い時間ですし、家に帰りますよ」
「え? でも……」
「誰にも言わずに転移して来たので、もしかすると、心配しているかもしれませんよ」
 その言葉に、私はハッとする。
 今朝散々デュレインさんによる、精神的苦痛(説教)を強いられた場面を思い出す。


『知らない人に付いて行ってはいけません――と、習わなかったんですか?』


 あの時の――笑っているのに目が笑っていないデュレインさんの顔を思い出す。
 うひぃぃぃ〜。今直ぐ、直行で帰らねば!!
「ごめんヴィンス! わた……じゃなかった。俺、帰る!!」
「送っていきますよ?」
「いらん!」
 立ち上がってそう言ったヴィンスをレキは素早く断ると、私を椅子からスポンッと引き抜いて、ヴィンスの視線から私を隠す様に抱き締める。
 そして、「お前は来んな!」と威嚇しながら自分の周りに転移魔法陣を展開する。
「あ……レキ、ちょっと待って――」
 さよならの挨拶もしていないのに、と慌ててヴィンスがいる方へ顔を向けた時――。


 ちゅっ、と柔らかい何かが額に触れた。


「ほえ?」
「んなっ!?」
 驚いて額に両手を当てると、素早く離れたヴィンスが「おやすみ、トオル。またね」と笑いながら手を振っているのが見えた。
 レキがヴィンスに向かって何か言う前に、私達はその場から転移していた。



 レキの転移魔法で自分の部屋の中へ帰って来た私は、布団の上に、レクサス君から貰った屑石を広げていた。
 大小様々な形をした石を見ながら、コレを使って、リュシーさんやデュレインさん達――日頃お世話になっている人達に何かを作ってプレゼントを贈ろうと考えていた。
 1つ1つ色や形が違う石を手に持ちながら、リュシーさんなら何が似合うかな? とか、エドにはピアス以外の物を贈ろう、とか考えているのに……それなのに!


「あの銀髪男……許すまじっ!!」


 狼姿に戻ったレキが、横でギャーギャー騒いでいるので、煩くてかなわない。
 近くでそんな大声出さないでくれない?
「もぉー、何をそんなに怒ってるわけぇ? ちょっと額にキスされただけじゃん」
 多分、ヴィンスは小さな子供に『おやすみのキス』をしただけだ。
 こっちの人達って、海外の人みたいにスキンシップが好きなんだよ。
「何を言ってるんですか、ご主人様。ご主人様の体に許可なく触ったんですよ!?」
「……許可なくって……ってか、そんな大袈裟に騒ぐ事でも無いでしょうよ」
「いーえっ! ご主人様は無防備過ぎなんです!」
「えぇ〜? そうかなぁ」
「絶対そうです!」
「私もそう思いますね」
「ほらね……って、え?」
 自分の意見に賛同されて、レキはうんうんと頷きかけたが――話に割り込んで来た声の方へ顔を向けてぎょっとした。
 そこには――。


 腕を組み、首を少し傾け、いつも無表情な顔に薄い笑みを浮かべた――デュレインさんが立っていた。


 ヤバい。ヤバいよ! デュレインさんがあの様な顔をする時は、絶対良くない事が起きるんだよ!!
「お帰りなさい、トオル様。こんな夜遅くまで、どこに行かれていたのですか?」


 案の定、私とレキは長々と説教される事となる。
 

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