第7章 邂逅 02

 
 チチチチチッ……と鳥の鳴く音色が聞こえる。
 日の光が窓から差し込み、部屋全体を明るく照らす。
 そろそろ起きる時間だと思うのだが、「……後5分」と言いながら毛布の中にモゾモゾと潜ろうとした時、
「い゛っ!?」
 バシッという音と共に、右の頬が痛んだ。
 余りの痛さに、流石に目が覚めた。
 ムクリと起き上がり、「いったぁ〜……」と顔に手を当てながら部屋の中をボーッと見渡す。
 あぁ、今日もいい天気だ。と思いながら、何気なく視線を下に向けると……。


 人の枕元に、大の字になって爆睡しているレキが目に入った。


「………………」
 またか……と思いつつ、何でこいつが人の枕元で大の字になって寝てるんだろう? と首を傾げる。
 昨日の夜は、私の足元で小さく丸まって寝ていたはず。
 それがどうしてこんな所にいるんだ?
 あれか? 小さな子供みたいに、寝ている間にゴロゴロ動いてここまで来たのか?


 どんだけ寝相が悪いんだよ……。


 しかも、大の字になったレキは頭とお尻が反対方向――つまり、人の枕にケツと足を載せて寝ている状態なのだ。
 スピーッ……プピーッ、という鼻音。少し開いた口の端からはダラリと垂れ下がった舌が出ており、人の枕に乗せた足は、ピクッピクッと動いていた。


 もしや……先程の右頬の痛みは、レキに蹴られたのか?


 そんな事を思いながら、幸せそうに寝ているレキを眺める。
 今は子犬の様な姿をしたレキは、人間の姿をすると、目が覚める様な――とても綺麗な顔をした男の子であった。
 ツヤツヤと輝く漆黒の髪は触るとすごく手触りが良く、日の光が当たると天使の輪が出来ている。
 今まで見た事も無かった様な金の瞳は、惹き付けられるように美しい。
 んが!
 ひとたび口を開くと「ご主人様〜」と全力で尻尾を振る犬みたいに擦り寄って来るし、私に近づく男(特にロズウェルド)に、噛み付く勢いで牽制するのもどうかと思う。
 しかも、寝像は最悪に悪いし。
 せっかくの美少年が台無しである。
「スピーッ……スピーッ……プピピィ〜ッ」
「……………………」
 それにしても、良く寝てるな。
 私はレキに起きるように声を掛けながら、ベッドから降りてさっさと着替えを済ませる。
 レキと主従の契約をしてからそろそろ1週間以上経つが、寝起きの悪い私がこうしてレキを起こすのが、日課になりつつある。
 鏡の前に立って寝癖を整えてから、もう1度ベッドに戻る。
「レキー、そろそろ起きて」
 まだ気持ち良さそうに寝ているレキの両脇に手を差込み、目の高さにまで抱き上げ揺すってみる。
「おぉ〜い。レキー、朝だよぉ〜」
「スピーッ……スピーッ……」
 それでもまだ起きないレキに、私は苦笑した。
「全く。ご主人様の顔は蹴るわ、起こしても起きないわ……手の掛かる下僕くんだな」
 今日は『ある物』が出来る日なのだ。零と2人、待ちに待った物が出来る日。だから、早くギルドに行きたかった。
 ぷらんぷらんと揺れる肢体には全く力が入っておらず、起きないレキが落ちない様に抱き直しながら、私は部屋を出た。



 所変わってギルドの中――。

「トールにレイじゃないか。今日はやけに早いな」
 ギルドの入り口の扉を開けると、顔の半分に刺青を施した青年――刺青君が「おっス!」と言いながら片手を上げていた。
 零と2人で刺青君に挨拶すると、モヒカン頭のダンカンは居ないかと聞いてみる。
「ダンカン? ダンカンなら確か2階の応接室の掃除をしてたはず。……どうかしたのか?」
「うん。この前の仕事の報酬で屑石を貰ったから、それをアクセサリーか何かにしたくて、どこか良い店を紹介してってダンカンに相談したら、ダンカンが作ってくれるって言ってさ」
「あぁ、あいつは見た目に反して手先が器用だからな」
「みたいだね。んで、今日が頼んでいたアクセサリーが出来る日なんだよ」
「早く見たい〜。透ちゃん、早く2階に行こうよ」
「あぁ、そうだね。――教えてくれてありがと」
 刺青君に手を振って2階に続く階段を、「楽しみだねぇ」と言いながら2人で上がって行く。
 そんなウキウキワクワクしている私達の後ろを――。


「ほんっとーに信じらんないわ!」
「………………」
「私達はご主人様より早く起きて、お召し物の支度を整えたり、ご主人様達の朝食の準備をしているデュレイン殿の手伝いをしたりしなければならないのに……それなのに!!」
「………………」
「ご主人様の顔を寝ぼけて蹴るなんて、どういう神経をしているのよ!」
「…………すみません」
「謝る相手が違うわ。それに、本当にそう思っているなら、明日からはトオル様より1時間早く起きなさい!!」
「…………はい」


 レキの失態を聞いて今朝からずぅーっと怒っているルヴィーと、その横でしゅん……と項垂れながらトボトボ歩くレキが付いて来ていた。(2人共獣型)
 そんな2人を見ない振りしつつ、階段を上がり終えて廊下の突き当たりにある、応接室まで歩いていく。
「ダーンーカーンー! いるぅ?」
 茶色い扉の前に立った零が扉をドンドン叩くと、部屋の中から、まるで割烹着みたいなモノを着たダンカンが出てきた。
 右手に箒(ほうき)と塵取りを持ち、左手にバケツを持っていた。
 モヒカンに割烹着……似合わないわぁ。
「おぉ、お前らか」
「はよ。ねね、ダンカン。あれ出来てる?」
「ん? あれ? ……あぁ、あれね。おう、出来てるぞ」
 最高の仕上がりだ! 俺ってチョー天才。と自画自賛しながら零の頭をぐりぐり撫でて応接室の扉を閉じると、掃除道具を廊下にある物置に仕舞い、自室に私達を連れて行ってくれた。
「ここが俺の部屋だ。――あっ、動物は入れんなよ。毛が落ちると嫌だからな」
 潔癖症か? と思いながらも、「分かった」と頷いて、レキとルヴィーを部屋の前で待たせる事にする。
 すぐ戻ると2人に言いながらダンカンの部屋に入り、綺麗に片付けられている室内に軽く驚く。
 ぐるりと中を見渡せば、壁の至る所に可愛らしいフラワーリースが飾られている。聞けば、これもダンカンが作った作品なんだとか。
 無骨な指からは想像も出来ないほど繊細なモノを作ることに、更に驚く。
 見た目に反して可愛らしい趣味を持っているらしい。
 我が母といいお友達になれるぞ、ダンカン。
「おう。待たせたな」
 部屋の窓際に置かれている大きな棚の中から、四角い箱を2つ取り出し、私達の前に持ってきた。
 1つを私に、もう1つを零に渡すと、ダンカンは私達に向き合うようにしてドスッと椅子に座った。
「いやぁ〜、久々に細かい作業をしたぜ。その箱は2層式になってて、下に腕輪やネックレスを入れて、上に指輪やピアスとか小物を入れて置いたかんな」
「分かった」
「ねね、ダンカン、見ていい?」
「おぉ、見ろ見ろ。――あ、そうそう。これその箱の鍵だから」
 私と零は、箱の鍵をダンカンから受け取ると、早速箱に鍵を指して蓋を開けてみる。

「「うわぁ〜……」」

 箱の中には、私達がデザインした通りのアクセサリーがキラキラと輝いていた。
 ほぅ……とウットリとしていると、ダンカンが「どうだ? いい出来だろ」と聞いてきた。
「うん。凄いよ」
「ありがと、ダンカン」
「……そうだ、ダンカン、お金の事なんだけど」
「金ぇ〜? んなもんいらんよ」
「え? でも……」
「今回は俺の趣味でやったようなモノだしな。……まっ、そんなに気になるなら、いつか俺が困った時にタダで助けてくれや」
 二カッと笑うダンカンに、私達は勿論だと言いながら頭を下げた。




「いやぁ〜、思った以上に素晴らしい出来だわ。透ちゃんのはどお?」
「うん、自分がデザインしたモノ以上に、すっごくいいモノが出来上がってるよ」
「みんな驚くよね」
 今日は仕事が入っていなかったので、ダンカンの部屋から出ると、ギルドを出て少し離れた所にある王立図書館に私達は向かっていた。
 零が図書館から医学書を借りる予約をしていたらしいので、ギルドに寄ったついでに図書館に寄ることにしたのだ。
 ギルドから歩いて15分位の所に、目的の図書館は建っていた。
『王立図書館』と書かれた文字が見えたのだが(これ位なら自作の異世界語辞典が無くても読める様になった)、外見はどう見てもお化け屋敷だった。
 図書館の中に入ると、外見からは想像も出来ない様な高級感あふれる内装に驚かされる。
 入り口近くにいた受付係の女の人に「動物は中には……」と言われてしまったので、レキ達を外に待たせて私達は中に進んで行った。
 目的の物が置かれている本棚に向かって一直線に進む零。程なくして幅が5cm以上もある本がズラリと並ぶ本棚の前に立った零に、私は小声で声を掛ける。
「今回は医学書だけ借りるの?」
「ん〜、本当はそのつもりだったんだけど……えぇ〜っと、あぁ、あったこれこれ! これも借りていこうと思ってたんだ」
 零が手に持った本を見ると、『劇毒薬を簡単に作る方法――これで貴方も立派な暗殺者に!』と言う何とも不穏なタイトルがデカデカと書かれていた。
「……あんた、暗殺者になりたいの?」
「まっさかぁー!? 唯これ、ルルちゃんが書いた本だから、借りようと思ったの」
「はぁ!? ルルが?」
 驚いて著者の所を見ると――。
 本の裏側の右端に、『著者 ルル・オルディガ』と小さな文字で書かれていた。
「ね?」
「ホントだ……」
「それでね? この前、ルルちゃんに面白い薬を貰ったんだけど」
「面白い薬?」

 零はそう言うと、ヒップバックの中から小さな小瓶を2つ取り出した。

 それぞれの小瓶の中には、紫色の丸い粒が入ったモノと、緑の――まるで青汁の様な色をした三角形の粒が入っていた。
 紫色の粒が入った小瓶を軽く振りながら、零はその薬の面白さを説明しだした。
「緑色の粒がこの薬――魔法薬の解毒薬なんだけど……何でも、この紫色の薬を1粒飲むと、体中の魔力が一瞬にして無くなって魔法が使えなくなり、2粒飲むと意識混濁&幻が見える様になるみたい。そして3粒飲むと、心臓が止まるんだって」
「それのどこが面白いのさ!? 唯単に人を殺す薬じゃないのさ!」
 顔を引き攣らせる私に、「まぁまぁ落ち着いて、話はまだ続くのよ」と零は笑う。
「この粒を1粒ずつゆっくり飲むと、ポックリ死んじゃう位ヤバイ薬らしいんだけど、3粒一気に飲むと大丈夫みたいだよ? 一見死んだように見えるし、確かに心臓は止まるらしいんだけど……本人の意識はあるみたいだし、死ぬことは無いみたい」
「心臓が止まってるのに意識があるの!?」
「ホント魔法薬って不思議だよねぇ〜。んで、私はそれを詳しく調べる為にこの本を借りようと思ったの。もしかしたら解説が載っているかもしれないでしょう?」
 零はそう言うと、「あ、透ちゃんにも少しあげるね〜」と言って、何も入っていない小瓶をヒップバックの中から取り出して、魔法薬と解毒薬を数粒入れると、はいどうぞ、と渡してきた。
 なんつー物騒な物を持ってるんだ、と思いつつも、「ありがと」と受け取る私。
「それじゃあ、私ちょっと受付に行って来るね」
「分かった、私はそれまでここら辺をウロウロしてるよ」
 零と別れた私は、ズラリと並ぶ本棚を眺めながらブラブラと歩いていた。
 そんな時、ふと、目に留まった本があった。
「何だろ、これ」
 棚の中から1冊の本を取り出す。
 それは表紙が真っ白で、題名も何も書いていない不思議な本であった。
 パラパラと中を捲って見ると、自分でも読める字が多く使われていたので、近くにある読書コーナーに行ってその本を読んでみる事にした。
 誰もいない場所を選び、椅子を引いて座る。
「えぇーっと、なになに?」
 中を読んでいて分かったことは、この本は、いろいろな魔法の呪文が書かれた本である――と言う事だ。
 パラパラと捲っていると、折り目がついているページがあった。
 私は折り目がついているページを開き、何が書かれているのだろうと見てみるも、文字が難しくて読む事が出来なかった。
「あっ、透ちゃんこんな所にいた!」
 出だしの『時を――』しか分からなくて違う所でも見ようと思っていた時――私を探していたらしい零が、本を抱えながら小走りで近付いて来た。
「何してたの?」
「あぁ、色々な呪文が書かれた本があったから、読んでた所」
 零に白い本を見せると、どれどれと言いながら本の中を覗く。
「このページに折り目がついてたから気になって見てみたんだけど、最初の『時を――』しか分からなくてさ」
 そう言いながら白い本を零に渡す。

 この時の私達は失念していた。
 自分達が『呪文を唱えなくても魔法が使える』という事を――。
 そう。魔法を使うつもりが無くても、呪文を言葉にしただけで魔法が発動してしまうのだ。
 私から本を受け取った零は、スラスラと翻訳した。


『時を遡りし時空の鍵よ、我の前に現れよ! 我、望む――我が力を必要とせし者の所へ』



 零が言い切った瞬間、私達の周りに金色に輝く魔方陣が浮かび上がった。
「はっ!?」
「へ?」
 急に私達の周りに展開した魔方陣に、私は顔を引き攣らせ、零はポカンとした顔をしていた。
 何が起きるのか分からない魔法陣の中にいちゃいけないと思い、私は呆けている零の腕を掴むと急いで魔法陣から出ようとした。
 しかし、
「い゛っ!?」
「ぷぎゃ!?」
 魔方陣から出ようとしたら、バチンッと言う音と共に体に凄い衝撃が走り、弾かれた。
 出れない!? と焦っていると、魔法陣の輝きが次第に強まってくる
 ヤバイ。ひっじょーにヤバイです!


「レキっ!」


 私は助けを求める為に、力の限りレキの名を叫んだ。外にいる彼らに聞こえるかは分からないが、とにかく呼んだ。
 すると、魔方陣から少し離れた場所に黒い風が巻き起こる。
 来てくれた!
 ホッとしたのもつかの間、黒い風に煽られて、周りの本棚から次々と本が落ちていく。
 図書館の中は悲惨な事になっていた。弁償できませんよ……?
「「ご主人様!」」
 黒い風が吹き止み、現れたレキとルヴィーが私達を見て駆け寄って来ようとするが――。

 魔方陣が発動した。

「うわぁっ……零!」
「透ちゃん!」
 体がカクンッと落ちる感覚がして、掴んでいた零の腕を放してしまった。
 何とか手を伸ばして掴もうとするも、指先をかすっただけで掴むことが出来なかった。
 そうしている間に、金色の光に包まれる様にして、零の体が見えなくなってしまう。
「れっ ……ふんぎゃぁぁぁぁぁぁ!?」
 消えてしまった零に手を差し伸べたまま、私の体はドンドン落下していく。
 ぎゃぁーっ怖い! 怖すぎる!!


「たぁーすけてぇぇぇぇぇぇぇ…………ぐげふっ!?」


 落下は急に終わった。
 背中から、柔らかいものの上に落ちたらしい。ドスンッと背中から落ちた痛さに息が苦しくなったのと、衝撃で舌を噛んだ痛さに涙目になる。
「……ひ、ひひゃい」
 丸まりながら口元を押さえ、痛いよぉ〜痛いよぉ〜と唸る。
 一頻り唸った後、そう言えば、ここはどこだろう……と辺りを見渡す。
 そこは、どこかの部屋の中だった。
「はへ? ここっへ……」
 白い壁紙、白いカーテン、白いテーブルに椅子。そう、ここは初めてジークさんに会った部屋と似た様な部屋であった。
 大きな白いベッドの上に落ちたらしい私は、呆けた顔で辺りを見渡していた。
「やっぱりそうだ……ここは『白い家』だ」
 え? もしかして、あの魔法陣って転移魔法陣だったの? と首を傾げた時――。


「貴方は……誰?」


 後ろから聞こえて来た声に、ビクッと肩が跳ねた。
 人が居るとは思わなかった。どうやら私は、誰かが寝ているベッドの上に落ちたらしい。
 あれ? でもこの声って……と思いながらゆっくりと後ろを向くと――。


 ベッドの中で、背に枕を置いて寄り掛かる様にして座っている少女と目が合った。


 一瞬、息をするのを忘れてしまった。
 少女の髪は見るも無残にバラバラの長さに切られていて、顔の右半分を包帯で巻かれていた。
 痛々しいその姿に、私は、目の前に居る少女の名前を言うので一杯だった。


「……リュシー、さん……」
 

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