第7章 邂逅 04

 
 ポッカーンと口を開けて呆けた顔をした2人は、私を凝視したまま固まっている。
 あれ? 反応なし??
 2人の顔の前で、おぉーい? と手を振ってたら、漸くリュシーさんが反応を示してくれた。
「本当に、未来での……私の姿なの?」
「そうですよ。私が始めてお会いした時は、右目に黒い眼帯をしていたんですが、今は眼帯を外して素顔で過ごしていますよ?」
「……信じられない」
 首を振って信じられないと言うリュシーさんに、どうしてかと聞くと、隣にいたジークさんが俯きながら口を開いた。
「刃が、思っていたより深く入っていたみたいで……手の施しようが無いと、医者に言われているんだ」
「え? でも……魔法でどうにか出来るんじゃないんですか?」
「そう思って直ぐに腕の立つ魔法医師を呼んだけど、彼らも駄目だって……」
 その言葉に、はて? と首を傾げる。
 手の施しようも無い傷を負った、と言うことはなんとなく分かる。
 初めて眼帯を外したリュシーさんの右の瞼を見て、その傷のあまりの酷さに、あの時は私も失明しているなと思ったほどだからだ。
 しかし、顔に傷は残ってはいるものの、あの綺麗な水色の瞳は失われてはいなかった。
 って事は……。


 それって単純に、その魔法医師に直せる腕が無かっただけなのでは?


 そう考えた私は1度元の姿に戻ると、ベッドの端に腰を掛けてリュシーさんに手を伸ばした。
「リュシーさん、ちょっとごめんね?」
 包帯に触れない程度に左手を近づけて、『彼女の眼』が治る様に――と意識を集中する。
 目を閉じながら、数秒間リュシーさんの顔に手を翳していたら、「……あっ」とリュシーさんの口から息が漏れた。
 私は目を開け、彼女の顔に巻かれている包帯をそっと外していく。
「お、おい……」
 私の行動に驚くジークさんだが、その手を止めようとはしなかった。
 くるくると、顔から包帯が外れていく。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
 最後の包帯がスルリと外れると、そこからは引き攣れた様な刀傷が目に入る。
 触れても痛くないように、傷自体は治したが、額から瞼の少し下まである大きな刀傷はわざと残した。
「リュシーさん、右目を開けてみて下さい」
 私の言葉に、リュシーさんの右の睫がピクッと動く。そして、震える瞼の奥から――水色の瞳が現れた。
「……見える」
「良かった、きちんと見えるみたいですね」
「うん、ハッキリと良く見える。……でも」
「あぁ、その傷なんですが、わざと残しました」
 傷跡を触って、痛くないですか? と聞きながら、続きを話す。
「女の子の顔に傷を残すのもどうかと思ったんですけど、未来の……私が知っているリュシーさんの顔には、傷はそのまま残っていたんですよ。……もしも、今直ぐに傷を治して欲しいって言うなら、治しますけど」
 どうしますか? と聞いたら、首を振って治さなくてもいいと意思表示すると、小さな声で「ありがとう」とお礼を言われた。
「いいんですよ。私、未来ではリュシーさんのお世話になりっぱなしなんで、恩返しです。……でも、治って本当に良かった。私、宝石みたいに綺麗なリュシーさんの瞳が大好きなんで……って、おぉっと」
 話している途中で、急にリュシーさんが抱きついて来た。
 ギューッとしがみ付かれ、どうしたんだ? と思っていたら、今度は突然体を離して、私の顔をその大きな瞳でマジマジと見詰めてきた。
 え? なに? 何なの??
「トオル、あなた……」
 深刻そうなその表情を見た私の姿勢は、自然と良くなる。
 はい。何でしょうか、リュシーさん。


「あなた、女性だったの?」


 リュシーさんの言葉に、一気に力が抜けた。
 え゛ーっ、本当に分からなかったの? 私に抱きつくまで??
 うっそぉーん、と項垂れる私に、リュシーさんが首を傾げていた。
 ジークさんが私を男と勘違いしていたのは、先程の事で分かっていたが、まさかリュシーさんにまでもかとショックを受けつつも、私は力無く「そうなんです。女なんです」と頷いたのであった。




 リュシーさんの目を治してから、私達3人+1匹は、下の客間に集まって明日の作戦会議を開いていた。
 今のリュシーさんに変身した私が、リュシーさんのドレスを借りて王城に行く事になった。もちろん、パートナーはジークさん。
 話を聞くと、リュシーさんは舞踏会に招かれてもダンスをしない事で有名らしい。なので、マイムマイムしか踊った事がない私は、一夜貫徹のダンスレッスンをしなくてすむと胸を撫で下ろしていた。
「僕達が王城に行っている間、リュシーナが1人になってしまうな」
「あぁ、それだったら――レキ」
「はい、ご主人様」
「明日私達が王城に行っている間、リュシーさんの護衛をお願いしたいんだけど」
「分かりました。お任せ下さい」
「――っと、言うことで、リュシーさんはレキが何があってもお護りしますので、ご安心を」
「狼族の『ヴァンデルッタ』が付いているなら、心配ないな。――リュシーナ、それでいい?」
「うん」
 リュシーさんは1つ頷くと、私の腕の袖をクイクイと引っ張った。
「トオル」
「ん?」
「トオルは私の姿に変われたけど、その逆……私を違う姿に変える事って出来る?」
 その言葉に、私は首を傾げた。
「どうだろう? やった事が無いので分かりませんが……出来るかな?」
「本当? それじゃあ誰でも良いから、私の姿を変えてみて!」
「誰でもいいんですか?」
「うん」
「それじゃあ……」
 私はリュシーさんに向かって手を翳す。すると、直ぐにリュシーさんの姿が変わっていく。
「うげっ……」
 変わっていく姿を見ていたレキが、突然呻き声を上げた。
 ん? と思った私も、徐々に変わっていくリュシーさんの姿を見て、「あ、ヤッパリやめやめ」と思って手を下ろしたが……遅かった。
 ジークさんは、この人誰だろう? みたいな顔をして、変身したリュシーさんを眺めていたが、レキは、え゛ぇ〜、何でこの人にしたの? と不満顔だ。
 綺麗な青銀色の髪が亜麻色に、オッドアイの瞳は琥珀色の瞳へと変化していき……。
 深緑色のメイド服を着て、白いフリフリレースのエプロンとカチューシャをした――。


 デュレインさんの姿がそこにあった。


 人選ミスでした。ホント。
 心底嫌そうな顔をしたレキに「これ以外にも、人間なんて一杯いるでしょうに……」と言われてしまった。
 うん、そう思うんだけど、何故か、この人になっちゃったんです。
 今のリュシーさんって無表情だから、本物のデュレインさんがそこにいるみたいだ。
「あのぉ〜……リュシーさん? もしよければ、違う人にかえま――」
「ジーク、トオル。私、この姿で外に出てみたい」
 続く言葉は、リュシーさん本人によってズバッと遮られた。
 どうやら、今まで瞳のせいで気軽に外に出る事が出来なかったので、この機に今まで出来なかった事をやってみたいとの事らしい。
 ジークさんは初めは渋っていたが、私とレキ、そしてデュレインさんに変身したリュシーさんを順々に見ると、
「分かったよ」
 溜息1つ付いてOkを出したのであった。
 外に出る前に、私は何度かリュシーさんに、他の姿になってみませんか? と提案してみるも、『メイド』というものが痛く気に入ったらしく、これでいいと言われてしまった。
 こうして、私達は夕食の買出しを兼ねた外出をする事に決まった。




 商店街の中心から少し離れた道端に、私は皆を連れて、白い家から一気に転移して来た。
 転移魔法は魔力の消費が大きいので、人間の姿になったレキと手を繋ぎ、レキに魔力を分けてもらいながら転移魔法を使ったのであった。
 私は1度レキから手を離し、辺りを珍しそうに見回しているリュシーさんの手を取って歩き出す。
「リュシーさんは何処か行ってみたい所とかありますか?」
「私、エルモに行ってみたい」
「エルモ?」
 なんだそれは? と首を傾げると、ジークさんが「料理店」と補足説明してくれた。
 何でも、その『エルモ』と言う店は、髭もじゃのオッサンが料理長らしく、野暮ったい外見からは想像も出来ないような絶品料理を作り上げるんだとか。
 その話を聞いた私は、ポンッと手を打って、「あぁ、エルモね! はいはい、分かるよぉ」と頷いた。
 エルモだけじゃ思い出せなかったが、『髭もじゃのオッサン』で分かった。
 そう、エルモとは、零とこの世界で初めて再開した時に行った、エドの行きつけの店の事だったのだ。
 あれ以来、何度か皆で行った事があるので、場所なら知っている。
 それじゃあ、そこに行きましょうという事になり、エルモに行くまでに、道中様々な場所に寄り道をしながら買い物やらなにやらして、楽しいひと時を過ごしていた。
 そんな時――。

 少し離れた道先から、小さな子供達が何かを抱えて走ってくるのが目に入って来た。

「何だあれ?」
 ジークさんが目を細めながらこちらに向かって来る子供達を見ていると、
「誰かその子達を捕まえておくれっ!」
 と言う叫び声が聞こえてきた。
 子供達の後ろから、恰幅のいいおばさんが、滝の様な汗を流しながら子供達を追いかけて来る姿が目に入る。
 物取り――という言葉が頭に思い浮かんだ私は、子供達がちょこまかと脇を通り抜ける瞬間、「止まれ」と言葉を掛けて子供達の足を止めた。もちろん魔法で。
 急に動かなくなった足に子供達が困惑している間に、おばちゃんが漸く追いつく。ひざに手を付き、ぜーっはーっと息を整えると、ガバリと上体を起こした。
「いやぁ〜、助かったよお兄さん! 全く、このガキ共には毎度やられててね」
 おばちゃんはそう言うと、固まって動けないでいる子供達の頭にそれぞれ1発ずつ拳骨を落とす。
 うわっ、痛そう……。
 ゴスッと言う音に、自分が殴られたわけでもないのに何故か頭に手がいってしまう。
 片手で頭を擦っていると、リュシーさんと繋いでいる手に力が加わったのが分かった。
 どうしたのかと思ってリュシーさんの方を振り向くと、リュシーさんは眉間に皺を寄せて「どうして止めたの?」と私に言った。
「……あの子達、貧しい子達でしょう」
「多分、そうでしょうね」
「なら……!」
 リュシーさんの言いたい事は分かる。
 襤褸(ぼろ)を着た子供達の、その小さい両腕で一杯に抱えたモノは果物だ。多分、食べる物に困って盗んだか何かしたのであろう。
 この子達を見れば、それは可哀想だと思う。でも、盗みは盗みだ。
「確かに、この子達の事は可哀想だとは思うし、このまま見逃してあげたい気持ちはあるけど……」
 私は最後の1人に拳骨を落としたおばちゃんを見る。
「あのおばさんにだって、生活が掛かっているんです。ひとりの子供がたった1個の果物を取っていたなら、私も見逃していたかもしれないけど……5人以上もいるこの子達が持っている果物の値段を考えたら、とてもそんな事出来ませんよ」
「……それは、そうだけど」
「それに……」
 私は子供達とおばちゃんにもう1度目を向ける。
 おばちゃんは子供達に一通り説教をした後、盗まれた果物を取る事もしないで子供達を帰らせると、「足止めして悪かったね、お兄さん達!」と謝って戻って行った。
 いえいえ気にしないで下さい、と手を振る腕を下ろすと、私はリュシーさんに向き直る。
「知り合いってわけではないんですが、あのおばさん、少し知っている人なんですよ。……あの人、あの子達のような子供には、物を盗んだ事を怒るんじゃなくて、盗んだ物の数を怒るんです。変わってますよね? 2〜3個なら見てみぬ振りをするんですが、先程の様に何人もの子供が沢山の果物を盗んだ場合には、追っかけて捕まえて説教をするんです。そして、拳骨をしたらお終い。盗んだ物も取り返さないで見逃してくれる――懐の広い人なんです」
「………………」
「っとまぁ、そういう人だと分かっていたから子供達の足を止めたんですよ。あの子達が生きるのに必死なのは分かりますが、悪い事をしたら怒られるのは当たり前でしょう?」
 私がそう言うと、リュシーさんは分かったと頷いてくれた。
 良かった……。
 ホッとひと息ついた私が、それじゃあもうエルモに行きましょうか、と足を進めた時、


 脇道から小さな男の子2人が、転がるようにして出て来た。


 足が縺れたのか、前を走っていた男の子が顔面からずべしゃっと倒れた。
 あっ、と思った時には、その直ぐ後ろを走っていた男の子が、倒れた男の子に躓いて一緒になって倒れてしまった。
 持っていた果物があちこちにコロコロと転がる。
 道行く人達は、そんな子供に足を止めて目を向けるも、直ぐに興味が無くなったかの様に歩き出す。
「大丈夫!?」
 慌てて駆け寄って助け起こそうとしたら、バシッと手を払われた。
「俺に触るな!」
「お前、トオルがせっかく助けようとしたのに、何だその態度は!」
 ジークさんが手を払った男の子を睨みつけると、それ以上に男の子がこちらをキッと睨みつける。
 ぼさぼさに伸びた髪の隙間から覗く瞳は、まるで手負いの獣の様に鋭かった。
 転んだ拍子に擦り剥いた膝からは血が出ていたが、よく見ると、顔や腕等には殴られた傷痕の様なものが見られた。
「君……もしかして――」
 その痛々しい姿に胸が締め付けられそうになるが、それよりも、この男の子の顔は見た事のある顔だった。
 まさか、と思いながらも、否定できないその考えに狼狽する。
 頭の中に浮かんだ少年は、見た目に反してとても優しく頼りになる少年で――。
 こんな、悲しい目をする少年では無かった。


「カーリィー、大丈夫?」


 男の子が、隣で倒れている男の子を助け起こす。
 服に付いた埃を叩き、怪我をしているところは無いか全身くまなくチェックしている姿を見ながら、私は確信した。
「大丈夫だよ、エド」
 ちょっと涙目になりながらも、倒れていた男の子――カーリィーは大丈夫だと頷く。


 そう、この男の子達は、黒騎士団少年組の2人――エドとカーリィーなのであった。
 

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