第7章 邂逅 05

 
 広くて温かい浴室の中で――。

「痒いところない?」
「ないよぉ〜」
 私はカーリィーの頭を洗っていた。
 泡を大量に付けた頭をわしゃわしゃと洗い、ずり落ちてきた袖を捲くり直してから、「はい、目を閉じてねぇ」と言ってザバーッとお湯を掛ける。
 しっかりと泡を落とした後に、洗い流さなくてもいいようなトリートメントらしきものを付けて、蒸したタオルで頭を包んだ。
 それから湯槽の中にカーリィーを入れる。
「湯加減はどう? 熱くない?」
「大丈夫だよ」
「それじゃあ、肩までしっかり浸かるんだよ」
「はぁーい」
 いやー、カーリィーって大人しくていい子だわ。
 そんな事を思いながら、ちらりと横を見る。


「ちょっと、動かないで」
「煩いっ、俺に触るなっていってるだろ!」
「却下」
「うわっ、お前何を……って、身体が動かない!?」
「さっ、頭を洗うわよ」
「ややや、やめろっ! そんな事は、1人でも出来――」
「本当に良く喋るわね。目と口を閉じてないと、入るわよ?」
「やめ、やめ……あぎゃーっ! 目に、目に泡がはいったぁ〜!!」
「だから言ったでしょう?」
「痛い! ホントに痛い!!」
「死にはしない。我慢なさい」


 私達の隣で、デュレインさんに扮するリュシーさんが、暴れ回るエドを魔法を使って強制的に押さえ込み、わしゃわしゃと頭を洗っていた。
 私はやれやれと思いながら立ち上がると、顔中泡だらけにして「目がぁー!」と喚き散らしているエドの顔にお湯を掛けてやり、タオルでそっと目元を拭いてあげた。



 時を遡る事1時間程前――。

「いててっ……転んじゃった」
「気を付けないと駄目だよ、カーリィー」
「うん。ごめん」
 2人は地面に転がってしまった果物を拾い始める。
 そんな2人を何気なく見ていたのだが、ふと、自分の足元に転がっていた果物を拾い、それを近くにいたカーリィーに声を掛けて手渡そうとしたら――。
「カーリィーに近付くな!」
「んがっ!?」
 エドの怒声と共に額に衝撃が走った。
 額を押さえながら地面に視線を落とすと――コロコロとグレープフルーツ大の果物が転がっているのが目に入る。
 どうやら、これを額に思いっきりぶつけられたらしい。
 おぉー痛い。衝撃で首まで痛くなってきたよ。
 額を擦りながら、カーリィーを庇う様にして立っているエドに、自分達は君達を傷付ける気は全く無いのだと、そう言おうとした時――。
 リュシーさんが音も無くエドに向かって歩き出した。
 何をする気だ? と首を傾げた瞬間、


 リュシーさんがエドを殴り飛ばした。


 華麗なる右ストレートが決まり、小さな身体が弧を描いたようにして吹っ飛ぶ。
 えぇぇぇぇ!?
 エドがドサッと音を立てて地面に落ちた。
「エドー、大丈夫!?」
「ふみゅ〜」
 目を回しているのか、カーリィーに助け起こされたエドの焦点が定まっていないようであった。
「ふんっ、ガキの癖に生意気なのよ。――トオル、怪我は無い?」
「……いえ、全く大丈夫です」
「そう? よかった」
 よかったと言いながら、ニッコリと私に笑い掛けるリュシーさんを見ながら、私は口元が引き攣りそうになった。

 なんか、以前もこんな場面があったような?

 横を見ると、ジークさんも驚いた表情をしながらリュシーさんを見ていた。
「うわぁぁ〜ん。エドが死んじゃうぅ〜」
 気を失ったのか、だら〜んとしたエドの身体を抱きしめながら、カーリィーがおぃおぃと泣き出してしまった。
 私は慌てて泣き続けるカーリィーの元に行くと、まずはエドの殴られた頬の怪我を治してあげた。
「大丈夫、エドはただ気を失っているだけだから。直ぐに目が覚めるよ」
「ホント?」
 ウルッとした瞳で下から覗かれるように見上げられ、私はウッと顔を背けてしまった。

 ちびカーリィー……めっちゃ可愛いんですけど!!

 顔を背けて1人で悶えていると、大丈夫? と怪訝そうな顔で言われたので、慌てて顔を元に戻した。
「あぁ、ごめんごめん。――本当に大丈夫だよ。でも、意識を失ったエドを1人で背負って帰るには大変だと思うから、家にまで送ってあげる」
 お家はどこなの? と聞くと、カーリィーは何故か俯いてしまった。
「どうしたの?」
「……家、ないの」
「……無い? 無いって、どういう事?」
 聞いた話では、カーリィーとエドは孤児らしい。今までは孤児院で生活をしていたのだが、そこでの虐待が年々酷くなって来たので、数ヶ月前に孤児院から2人で抜け出したとの事。
 こんなに小さいのに帰る家も家族も無く、食べ物を盗んでは飢えを凌ぎ、エドと2人でホームレスの様な生活をしていたのだそうだ。
 グスグスと鼻を啜りながら話すカーリィーを、ムギューッと抱きしめた。もぅ力一杯。
 無性に抱きしめたくなってしまったのだ。
 そんな私達を見ていたジークさんが「それじゃあ、その子の目が覚めるまででもいいから、あの白い家に来るか?」と言ってくれた。
 リュシーさんもそれには賛成らしく、うんうんと頷いてくれた。
 こうして、私達はエルモに行くことを取り止めて、そのまま白い家に帰る事になったのであった。

 んが!

 帰ってからまた一騒動があった。
 家に帰ってから直ぐに目を覚ましたエドが「ぎゃぁー、人攫い!」とかなんとか騒ぎ出し、リュシーさんに「煩い」と言われて魔法で強制的に縛り上げられ、床に転がされる事となる。
 レキはそんなリュシーさんを見ながら、「なんかこいつ、デュレインの姿になってから性格変わったんじゃないか……?」と呟いていた。
 私はそんなレキの呟きを聞きながら、床に転がされているエドと、エドを指でちょんちょんと突いているカーリィーの2人を見る。
 ふと、彼らの身形が物凄く汚い事に気付いた。
 エドを突いて遊ぶカーリィーに、「そう言えばさ、お風呂っていつ入った?」と聞いたら、「ん〜……分かんない」と言われた。
 蓑虫状態となったエド曰く、もう1ヶ月以上は入っていないらしい。
 と、言う事で――。


「よし。それじゃあ2人共、お風呂に入るよ!」


 私は問答無用で2人の服を脱がせて風呂にぶち込んだのである。
 しかし、1人でやるのは大変なので、リュシーさんに手伝って貰う事にした。
 ジークさんには、レキと一緒にもう1度街に行ってもらい、2人の服を調達してもらう事になったのであった。



 私はカーリィーを湯槽から出て来るように言うと、フカフカのバスタオルで全身の水分を拭いた。
「ぷはぁ〜っ」
「気持ち良かった?」
「うん!」
 浴室から出ると、ジークさんが買って来てくれた洋服を手伝いながら着させてあげた。
 私が手際よくカーリィーの世話をしていると、レキが声を掛けてきた。
「ご主人様、手馴れてますね」
「あぁ、これ? ん〜……なんて言うか、私の家は空手――格闘技を教えているんだけど、そこには大人から小さな子供まで来ているのね? 1番小さい子だと、3歳の子供がいるの」
「そんなに小さな子供もするんですか」
「うん。それでね? そういう小さい子供の世話を私や馨……あぁ、弟なんだけど、それに零や創なんかと一緒にやっていたの」
 そう、思い出すと素晴らしい日々であった。
 小さい子が股間を押さえて足をモジモジさせながら、「おねぇーちゃん、ちっこ(おしっこ)!」と叫ぶのだ。
 それを慌てながら抱きかかえてトイレにまで連れて行く。たまに、間に合わなくてお漏らししちゃう子もいたが、そういった子は空手着を脱がせて洗濯をしてあげて、汗もかいているので次いでとばかりにお風呂に入れてあげていたのだ。
 そうした日々が多かったので、私は子供をお風呂に入れたりするのは得意分野に入っている。
 この時代のカーリィーやエドの外見は、まだ6〜7歳ぐらいなので、彼らをお風呂に入れるくらいなんとも思わなかった。
 レキが私の話を聞きながら「なるほどねぇ〜」と言っていると――。
「もぉー、やだっ!」
 バタンッと浴室の扉が勢いよく開き、


 半べそ状態のエドがマッパで浴室から出てきた。


「わっ!? ちょっ、エド、風邪引くからこっちにおいで!」
「うわぁ〜ん!」
 新しいバスタオルを広げてそう言うと、えぐえぐ泣きながら私の所にやって来た。
 クルリとエドの身体を包み込むと、エドはその小さな手で私の服を掴み、リュシーさんに苛められたと訴える。
 私は何とかエドを宥めすかしながら服を着せていく。
 カーリィーもそうなのだが、エドもお風呂に入ってとても綺麗になった。
 汚れて鉄さび色になっていた髪は、深紅の髪へ。
 茶色く濁ったような色になっていた髪は、綺麗なオレンジ色へと変わっていた。
 2人共髪を切っていないのか、伸ばしっぱなしの髪は腰辺りにまで伸びているので、まるで女の子の様に見える。
 エドの着替えが終わって一息つくためにソファーへ腰を下ろすと、何故か2人が私の両側を占拠した。
 カーリィーは私の腰に両腕を回してべったりとくっ付き、エドはそこまでしないが、それでも私の服の裾を握り締めていた。
 何だ? と首を傾げていると、ジークさんに「懐かれたようだな」と言われた。
 え? 私、懐かれるような事……していませんが?
 首を傾げながら、はて? と思っていると、眉間に皺を寄せ、腕を組みながら仁王立ちしたレキが目の前に立つ。

「おぃ、オレのご主人様から離れろ」

 ジト目で2人を睨みつけるも、それを2人はフンッと顔を背けてやり過ごしていた。
 私の周りでレキとエド達がバチバチと火花を飛ばし合っている間――私の向かい側に座ったジークさんが口を開く。
 どうやら、明日の夜会の事についての確認らしい。
「明日は、僕の家の馬車を使って登城する。ここから王城にまではかなり時間が掛かるから、朝一で出発する事になる」
「分かりました。――あ、その間、この子達は……」
「あぁ、どうせ行く所が無いなら、ここに居ればいいよ。リュシーナの話し相手にでもなってくれれば助かる」
 そう言って笑ったジークさんであったが、私の隣に座っていたエドは、ジークさんの隣に座っているリュシーさんを見てブルリと震えた。
 そこは気付かなかった事にしておこう。うん。それがいい。
「そうだ、トオルに言っておかなきゃならない事があるんだ」
「何ですか?」
「城の中では、僕に対して敬語で離すのは止めてくれ。リュシーナが僕に敬語で話した事は今までなかったから、それだけで疑われる危険性がある」
「あ、はい。分かりました」
 頷きながら、そう言えば――と、私は今まで聞きたかった事を聞いてみた。
「リュシーさんとジークさんって、未来で初めて会った時もこの家に2人でいましたが……どういったご関係なんですか?」
「ん? それは――」
 ジークさんはきょとんとした顔をすると、1度リュシーさんの顔を見た。
 そして、もう1度私の方へ顔を向けるとこう言った。



「リュシーナは、僕の婚約者だ」
 

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