第7章 邂逅 08

 
 スカートの裾のレースを裂き、それを胸に巻き付けて蝶々結びする。
「よし、これで手を離しても大丈夫ね」
 胸の中央に作ったレースの『リボン』で、パックリ割れた中心部分を補強した。
 腰周りや他の裂けた部分は、レインから借りた上着で隠れていたので問題ない。
 左腕の紋様も、返して貰った指輪を嵌めてなんとか元に戻った。
 ふぅーっと溜息をついていると、レインに腕を掴まれた。
「……何?」
「その格好じゃ、何処にも行けないでしょ? 1度、城の医務室に行こう。あそこなら、今は誰もいないだろうから、裂けたドレスも直せる」
「直せるって……どうやって?」
「どうやってって、トオルが縫い直せばいいんじゃん」
「はぁ!? ちょ、そんなのむ――」
 続く言葉を言う前に、レインが展開した転移魔法陣で、私達は白い薔薇が咲き誇る庭園から姿を消していた。



「――りだから……って、あれ? ここ何処?」
 急に変わった視界に、きょろきょろしていると、レインに手を引かれながら広い廊下をスタスタ歩いていく。
「ちょっとー、何処に行くのさ?」
「人の話しを聞いてなかったの? 医務室だよ……っと、ちょっと隠れて」
「え? うわぁっ!?」
 人の手首を掴みながら前を歩いていたレインが、急に私の腰を掴んだと思ったら、近くにあった柱の影に私を引きずり込んだ。
 何をするんだと声を上げようと思ったら、口に手を当てられ塞がれた。
「ふがっ!?」
「しぃーっ、静かに」
 耳元で囁かれ、耳に掛かった吐息がくすぐったくて身じろぎしそうになった時――私たちが進もうとしていた方向から、誰かが歩いて来る音が聞こえた。
 誰だろうと思い、レインに口を塞がれながらも、柱の影から顔をそぉーっと出すと、そこには……。


 ろ、ろ、ロズウェルド!?


 ぎょっと声を上げそうになったら、口を塞ぐレインの手に力が入り、グイッと柱の影に引き戻された。
「トオル、君って馬鹿なの? 見つからない様に隠れているのに、声を出したらあの人に見つかるよ?」
「だって、だって、あの人……!」
 レインの心底馬鹿にしていますという様な顔で見詰められるも、今はそんな事を気にしている場合ではない。
 そう、だって、今すれ違った人はロズウェルドに凄く似ている人だった。
「ロズウェルド?」
「えっと、あの、ロズウェルドは……未来で、私の仕事のパートナーを組んでいる人なの」
 私はロズウェルドについての大まかな説明をすると、レインは「ふぅーん、病弱だけど強力な魔法を使う――青い髪と瞳を持つ青年ね」と何かを考えるように呟いていた。
「レイン?」
 どしたの? と人の顔を見ながら考え込むレインを見上げると、
「トオルが言うロズウェルドとは、多分……『ロズウェルド・オルデイロ』で間違いないと思う」
 と言った。
 ん? そう言えば、ロズウェルドのフルネームは、そんな名前だったような気がする。
「オルデイロ家も十貴族の一員だ。――今通った人物は、オルデイロ家の現当主、アルデイラ・オルデイロ。……彼には、体の弱い1人息子がいる」
「それが、ロズウェルドね?」
「まぁ、間違いないだろうね」
 レインは肩をヒョイと竦めると、私の腰から手を離し、また廊下に出て歩き出した。
 無表情で口が悪いレインであるが……手首を掴む力はそんなに強くないし、私の歩く速度に合わせて歩いてくれている。


 意外と優しいところもあるらしい。


 だけど……。
「ねぇ、レイン」
 すたすたと歩き続けるレインの横顔を眺めながら、私は声を掛けた。
 こ奴に言わなければならぬ事がある。
「ん? 何?」
「ドレス、弁償してね?」
「は? 何で」
「何でって、あんたが騙したからドレスがズタボロになっちゃったんじゃない!」
「だから、騙される方が悪いって言ったでしょう? はい、医務室に着いたよ」
 レインはしれっとした顔で、医務室の前に立った。
 その態度にイラッとした私は、少し八つ当たり気味に、目の前の豪華な扉を思いっきり開けた。
「だから言ったのに、元に戻れば悲惨な事になるって!」
「戻らなきゃ、君が本当の事を言っているのか分からないし」
「お陰でドレスが破けちゃったじゃない!」
「縫えば元に戻る」
「私は裁縫が1番苦手なのよ!!」
 むきーっ! と怒りながら叫ぶも、レインは涼しい顔をして「あっそ」と言ってそっぽを向いてしまった。
 こいつ、後で絶対しばく! と思いながら、医務室の中に視線を向けると……少し離れたベッドの上に、誰かが寝ているのに気付いた。
 ハッ、と口を噤む。具合が悪い人がいるのに、大きな声で騒いでしまった。
 静かに移動しようとして、はたと動きを止める。

 ん? そこで寝てた人って……。

 首を傾げながら動きを止めた私を見て、レインが「どうした?」と聞いて来る。
 私はレインを無視して、もう1度ベッドで横になっている御仁に目を向ける。
 そこには――。


 顔を赤く染め、泣いていたのか、目を腫らした可愛らしい美少女が寝ていた。


 しかし、よくよ〜く女の子を見てみると、肌蹴た胸元はペッタンコだし、喉には男にしかない喉仏が付いていた。
「……もしかして」
 急に入って来た私達を驚いた顔で見ている、この深窓の令嬢っぽい青い瞳と髪の男の子は――。


「あぁ、あれが、ロズウェルド・オルデイロだよ」


 レインの感情の籠もらない声が、さらりと私に告げた。
 やっぱりかー!
 ってか、なんなんですか、この美少女っぷりは!? と心の中で1人突っ込んでいると、ロズウェルドの目元から涙が流れ落ちたのが見えた。
 顔が赤いから熱が出て倒れたのかと思い、彼の体の状態を聞こうと部屋の中を見回しても、誰もいない。
「病人をほったらかしにするなんて!」
 私はそう言いながら、涙を流すロズウェルドの方へズカズカ歩いていく。
 その後ろをレインがどうでも良さそうな表情で付いて来た。
「どうしたの? 何処か具合が悪いの?」
 ロズウェルドの視線に合わせる様に、しゃがんで声を掛けると、きょとんとした顔で「……熱が」と呟いた。
「熱が出たのね?」
「その真っ赤な顔を見たら、聞かなくても分かるじゃん」
「もぅ、レインはうっさい!」
 私はギッとレインを睨みつけてから、氷嚢を持って来いと言った。しかし、
「えー、何で俺がそんな事をしなきゃならないのさ」
「うるさい! これは命令よ。さっさと氷嚢を持って来て!」
 そう言うと、レインは「はいはい」と言って、薬品やら何やらが沢山入った棚の中から氷嚢袋を取り出し、その中に魔法で氷水を入れて、ロズウェルドの額の上にポイッと置いた。
「ちょっと、投げないでよ」
 レインを睨み付けてから、ロズウェルドの赤くなった額を「痛かったでしょ?」と言いながら擦ってあげて、それからそっと氷嚢を乗せてあげた。
 ついでに、汗と涙にぬれるロズウェルドの顔を、近くに置いてあった綺麗なタオルで拭いてあげる。
「……あ、りがと、う」
「どういたしまして♪」


 いやん、ロズウェルドが凄い可愛く見える。


 未来では深窓の令嬢っぽい美青年だが、態度がふてぶてしい為そんな事は思わない。が、この時代のロズウェルドはちょっとした仕草も可愛いし、何より! ありがとうと言った後の、はにかむ顔がメチャCute!
 はわぁ〜、可愛えぇわ〜。と見惚れていると、レインに「その顔気持ち悪いよ?」と指摘されたので、慌てて顔の表情を引き締める。
 軽く咳払いをしていると、ロズウェルドが声を掛けてきた。
「……ねぇ、君達はどうしてここに来たの?」
「え? あぁ、それは、ここにいるレインのせいで、私のドレスがズタボロになっちゃったからだよ」
「どうしたら、ドレスがそんな事になるの?」
「……え?」
 私はどう答えたらいいのか迷い、レインを見上げたら、「本当の事を言ってもいいんじゃない? 未来で会ってるんでしょ?」と言ってくれたので、ロズウェルドにも軽く説明してあげた。
 少し起き上がって、私の話しを驚きながら楽しそうに聞いていた彼であったが、話を最後まで聞き終わると、急に暗い顔になった。
 どうしたのかと聞くと、ロズウェルドは「有り得ないよ」と呟いた。
「何が有り得ないの?」
「だって……僕は体が弱くて、今まで外に出て遊んだ事さえした事が無いんだよ? ……それが、ギルドで働いているなんて信じられないよ」
 ロズウェルドはそう言と、咳をし出した。ゼィゼィと息が詰まるような呼吸音に、こちらの呼吸も苦しくなってくる。
 背中を擦って上げると、涙目のロズウェルドが顔を上げた。。
「げほっ、げほっ……ご、めん」
「なんもだよ、気にしないで」
「僕、体が弱くて……医者から長く生きられないって言われているんだ」
「は?」
 間の抜けた様な声が出てしまった。


 確かに、いつもげほげほおぇおぇと言って死にそうだけど、それでもしぶとく生き続けている――“あの”ロズウェルドが、長く生きられない!?


 打ちひしがれた様に、しょんぼりと話すロズウェルドには悪いが、余りにも笑える話に「ぶっ!」と噴出してしまった。
 肩を震わせて笑う私を、ロズウェルド少年は赤い顔でポカンと見詰める。
 その顔を見ているだけで笑えてくる。それを何とか堪えながら、私はロズウェルドの背中をバシバシ叩いた。


「なぁ〜に言ってんの、大丈夫、大丈夫! 未来でのロズウェルドは確かに虚弱で軟弱だけど、私が見る限り、あれはとっても長生きするよ〜」


 たまに、吐血するんじゃないかと思うぐらい咳き込むが、嬉々とした顔をしながら、盗賊達を魔法で完膚なきにまで叩きのめすロズウェルドを毎日見ているのだ。
 悲壮な顔をしている今のロズウェルドには悪いが、笑える話である。
 バシバシ背中を叩きながら笑っていたのだが、ロズウェルドの表情がぼーっとしたものとなり、体がフラフラと揺れてきたので驚く。
「わっ、大丈夫!?」
「熱が出て来たようだな。――あぁ、そうだ。トオル、こいつと『仮の契約』でもしてやれば? そうするれば、病弱である事は変えられないけど、こいつの弱っている生命力を上げる事は出来ると思う」
「ホント?」
「多分ね」
 確信は持てないと言うレインであるが、私はレインの言葉を信じてロズウェルドの左腕を取る。


 とても細い手首に驚く。


 うわ、何この細さ! 力入れたら折れるんじゃないの!? と心の中で驚愕しながら、契約の言葉を紡ぐ。
「汝を、ミズキ・トオルの名によって……えぇーっと、仮の黒騎士に叙する」
『仮の』と言う言葉を少し強調して言ってから、手首に口付けを落とした。
 すると、レインの時と同じように、口付けた部分に紋様が現れる。
 しかし、レインの時とは違って、クロスした剣の様なものは付いていなかった。 『正規』の誓約印と『仮』の誓約印の違いであろう。
 へぇーっと思いながら手首を眺めていたら、ロズウェルドが「……な、にを?」と呟き、ぼうっとした表情で手首を見てから、私を見上げた。
 私は、汗で張り付く髪を額から退けてやってから、そっと掌を当ててみる。
 熱は少しあるが、酷い熱さではない。

 うむ、これ位の熱なら大丈夫であろう。

「心配しないで、……この誓約印は、ロズウェルドが契約したいと思える素敵なご主人様が現れたら、絶対取って上げるから」
 そう言った私に、レインが「取るじゃなくて、解約ね」と一言付け足したが、それは無視した。
 男の癖に細かい奴だ。
「トオル、もう行かないと」
「あ、うん」
 そうだった、何時までも側にいたら、ゆっくりと休む事も出来ないな。
 レインに促されて、立ち上がろうとした時――悲しそうな顔をしたロズウェルドの手が、『行かないで』と『待って』と、私に伸ばされていた。
 その、白魚のような真っ白い手に、私は手を重ねて微笑んだ。
「今日はもう行かなきゃならないけど……明日、必ず君の所に顔を出すって約束するよ。だから、そんな不安そうな顔をしないで」
「……ぜ、ったい、に、来てくれ……る……?」
 うるると潤む瞳で見上げられ、「えぇ、えぇ、絶対に行きますとも!」と頭を振って約束してから手を離し、レインが待つ扉の方に向かう。
 2、3歩歩いてから足を止め、クルリと振り向き、笑顔で私はこう言った。


「美人薄命ってよく聞くけれど……大丈夫! 君は病弱ながらも、強く逞しく生きてるから!!」


 ポカーンとした表情で私を見詰めるロズウェルド少年に手を振って、私はレインの元に駆け寄った。
 心の中で、『うひゃひゃひゃひゃ! 未来に帰ったら、ロズウェルドをこのネタでからかってやろう!』と思っている私がいるとは、この時のロズウェルドには分かるまい。
 廊下に出て医務室の扉を閉めたら、レインに「あんな励ましの言葉、聞いた事もないよ」と言われた。
 いいの、本当の事なんだから。それに、今私の気分は最高にいいんだから、ほっといて頂戴!
 そんな事をレインに言いながら廊下を歩いていて、ふと、何かを忘れている様な気がした。
 はて、なんだったかな??
 なんだったけ? と首を傾げながら歩いていたら、突然――。


「トオル、その格好はどうしたんだ!?」


 広い廊下に、聞き慣れた声が響き渡る。
 ぎょっと顔を声がした方向へ向けると……そこには、顔を青くして私の姿を見ているジークが立っていた。
 その顔を見て、自分が何をしに医務室に行ったのか漸く思い出した。
 

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