第7章 邂逅 23

 
 ぅあっちぃー!?


 一瞬にして、ごうごうと燃え盛る炎に囲まれた私とナディアさん。
 ジリジリと焼かれるような熱さに、ちょいとリュシーさん、私とナディアさんを丸焼きにするつもりですか? と言いたくなる。
 しかし、本当にあっつい!
 漢字に変換すると、『暑い』じゃなくて『熱い』だ。
 ……まぁ、そんな事はどうでもいいんだけど。
 何でこんな事になっているんだと口元を引き攣らせていたら───。


 ぴとり。


「わぢゃぢゃぢゃぢゃっ!?」
 飛んでいた火の粉が頬にくっ付いた。
 慌てて頬に付いた火の粉を振り払っていたら、ヒンヤリとした手が頬に当てられた。
 手の主───ナディアさんを見上げたら、ナディアさんはリュシーから視線を離さずに、治癒魔法で軽い火傷を治してくれた。
「リュシーナ、魔力を抑えなさい」
「………………」
「この火を消さなければ、貴女が大切に思っているこの子が大怪我をしてしまうわよ?」
「………………」
「リュシーナ……」
「………………」
 ナディアさんは燃え盛る炎から私を懸命に庇いながらリュシーに語り掛けるも、リュシーは無表情のままこちらを見つめているだけであった。
 その表情を見た私は、ナディアさんの腕の中からスルンと抜けだして、リュシーの元へ駆け出した。
 後ろからナディアさんの「危ないわ!」と言う声が聞こえるが、気にしないで迫り来る炎の中を走り抜ける。


「リュシー!」


 飛んでくる火の粉やら何やらを避けつつ、人形の様に何の感情も篭らない表情で、唯その場に佇むリュシーの胸に向かってジャンプした。
 勢いを付けて飛び込んで来た小さな体を、リュシーは腕を大きく広げて抱きとめてくれた。
 蹌踉ける様に数歩後ろに後退しつつも、しっかりとその場に立っていた。
「……トオル」
 リュシーは私の体をギュゥッと抱きしめると、私の小さな肩口に顔を埋めた。
「リュシー?」
「………………」
「どうしたの?」
「……からない
「ん? 何だって??」
 声が小さ過ぎて聞こえなかったので、私はリュシーの頭をなでなでと撫でてあげながら、どうしたと聞いてみた。
 すると、今度はハッキリとした声でこう聞こえた。


「この炎をどう消したらいいのか……分からない」


 …………なんですとぉー!?
 呪文も何も使わずに発動させた魔法なんて初めての経験で、戸惑っている。と言うリュシーの言葉に、私は大いに戸惑った。
 どうやら、無意識の元に行った魔法なので、この魔法をどう止めたらいいのかサッパリ分からんらしい。
「どーしよう」
 私が魔法を使ってこの炎を消すとしたら、魔力消費量が半端ないだろうと言う事は分かる。
 しかも、こんなちびな体で大掛かりな魔法を使ったら、後でそれを知った小姑(レイン)から何を言われるか分かったもんじゃない。
 この場に一緒にいるナディアさんに助けを求めるように目を向けたら、


 私と目が合ったナディアさんは、フルフルと首を振った。


 そりゃそうか、ナディアさんは風の魔法を使う人だから、炎に風なんか送っちゃったら……消すどころか、増々激しく燃え盛ってしまう。
 この状況、どうすればいいんだ───と頭を悩ませながら額に浮かぶ汗を腕で拭い取っていると、グラリと視界が揺れた。
「おわぁっ? って、リュシー!?」
 今度は何が起きたんだと思えば、顔を青くしたリュシーがいた。
 リュシーはゆっくりと地面に膝を着くと、ハァッ、ハァッ、ハァッ、と苦しそうな息を吐きながら胸を抑え出した。
「どっ、どうしたの? リュシー。苦しいの? どこか痛いの?」
「っ……く、うぅ……ぁっ……」
「あ、う、ど……どうしたらいいの?」
 真っ青な顔になって苦しむ姿を見て、私はどうしたらいいのか分からなくなる。
 リュシーの頭を両腕で抱き締めながらオロオロしていたら───。


「リュシーナっ!」


 襲い来る炎も気にせず、必死な形相をしたナディアさんがリュシーの元に駆け寄って来た。
「何をしているの、早く魔力を抑えなさい! こんな無茶苦茶な量の魔力を放出し続けていれば、直ぐに魔力が底をついて、命が危なくなるわ!!」
 ナディアさんがリュシーの肩を支えながらそう言うも、リュシーは顔を振った。
 今まで喜怒哀楽といった感情を表すことが少なかった顔が崩れ───クシャッと、泣きそうに歪む。
 そして、乱れた息を整えると、口をゆっくりと開いた。


「……もぅ、私はここで死んでもいい。どうせ、私は誰にも必要とされない人間なんだし……私が死んでも、誰も悲しまない。それに、私が死ねば、母様も父様も嬉しいでしょ? ───こんな、『不義の子供』と周りから言われている私の顔を……これ以上見なくて済むんだもの」


 泣き叫ぶのでも怒鳴り散らすのでも無く、唯、静かにそう言葉を紡ぐリュシーに、ナディアさんは動きを止めた。
 愕然とした表情でリュシーを見詰め、それからギュッと唇を噛んだ。
「違う、違うのリュシー……私は……」
 ゆるゆると首を振るナディアさんに、リュシーは苦笑した。
「もぅ、ほんの少しすれば私の魔力はカラになる。そうすれば、母様の心をこれ以上掻き立てる事も無くなります」
 誰にも必要とされず、存在するだけで回りの人間を───母様と父様を苦しめるだけの、そんな存在なら……と暗い表情で呟き。


 私は、この場で消え去ってしまった方がいいのよ。


 そんな事を言ったリュシーの心が、スゥっと、遠くへ離れていってしまう気がした。
 だから、私は咄嗟にこう言ってしまっていた。


「要らないなら、私が貰うよ」


 咄嗟だったとはいえ、なんか凄い事を言ってしまったような気がしたが、私は直ぐにそれはいい考えだと思った。
 俯くリュシーの顔を両手で挟んで持ち上げてから、指でそっと黒い眼帯を額の方へと寄せる。
 藍色の瞳と眼帯の下から現れた水色の瞳に、やっぱり綺麗な色だなと思いながら、リュシーの顔に手を添えた状態で視線を合わせる。


「リュシーが、リュシーの命を要らないって……捨ててしまうって言うなら、私が貰うよ」


 目を見開くリュシーを見ながら、私はこの世界に来てからの事を思い出していた。
 訳も分からないままこの世界に飛ばされてから、ホント、散々な目にあった。
 今思い返せば笑い話として済ませる事が出来るけど、あの時は本当に怖かった。
 無人島の様な所に、1人で歩き続けるという寂しさ。
 出会った人間との言葉が伝わらないというもどかしさ。
 人から剣を向けられて襲われた事。
 これまで体験した事もない様な強烈な肩の痛みと、もしかしたら、自分の命が無かったかもしれないという恐怖。
 今なら……分かる。
 急に降りかかった有り得ない状況に、私の心はボロボロに傷付き───壊れてしまう一歩手前だったのだと。

 だけど。

 そう、そんな私の心を、リュシーが───リュシーさんが救ってくれたんだ。
 ぐちゃぐちゃになった私の顔を見ながら、優しく涙を拭いてくれて……真剣な顔で私を守ると言ってくれた。
 あの時、私は初めて安心することが出来たんだよ。
 それからも、この世界で生活しやすいようにと、リュシーさんにはとても良くしてもらった。
 私は、そんなリュシーさんを心から慕っている。
 だから、過去とは言え、リュシーさんが自分は必要とされない人間なんだと悲しんでいるなら、それは違うと教えてあげたかった。


 揺れる2色の瞳から目を逸らさずに、私は言葉を紡ぐ。


「だって、私はリュシーが好きだから」
 そう、器用そうで、ちょっと不器用な所が好き。あの毒舌レインと互角に言い合える所が好き。ふとした時に見せる笑顔が好き。トオル、と私を呼ぶ綺麗な声が好き。それに、未来のリュシーさんは大人の女性として憧れているし、キラキラ光る青銀色の髪も宝石のように輝く2色の瞳も大好きだ。


 ぜーんぶ好き。


 そう言ったら、リュシーはポカンとした表情で私を見ていた。
 あはは、そんな表情も大好きです。
 熱さでダラダラと流れてくる汗を腕で拭いながら、私は胸を抑えるリュシーの右腕をそっと手に取った。
 右腕の袖を捲って手首をクルリとひっくり返して、手首の裏側に唇を寄せる。


「汝を、トオル・ミズキの名によって、守護者である仮の黒騎士に叙する」


 途端に、口付けた部分に紋様が現れた。
 それを見たリュシーが目を瞬く。
「トオル、これは……それに……黒騎士って」
「うん。私、なんか知んないけど、“紋様を持つ者”らしいんだ。今はとある人の封印かなんかで紋様は隠せてるんだけどね」
 私はニッと笑う。
「もう一度言うね? 私は、リュシーが好きだよ。今も、これからも、ずーっと好き。だから、自分がいらない存在なんだって……そんな悲しいこと言わないで? 私は、リュシーを必要としているし、これからも……この世界に留まっている限り、一緒にいたいって思ってるんだから」
「…………んとうに?」
「ん?」
「本当に? 私を……必要としてくれる?」
「もちろんだよ!」
 泣きそうな、不安そうな顔をするリュシーの首にギューッと抱きついた。
「これからは、『私の黒騎士』としてよろしくね」
「……うん」
 2人で顔を見合わせて笑っていると───。

 ドサっと何かが倒れる音がした。

 ん? と横を見ると、ナディアさんが地面に倒れ伏していた。
「ナディアさん!?」
「母様!」
 一難去ってまた一難な状況に、頭を抱えたくなる。
 大声で呼び掛け、ペチペチと頬を叩いても意識が無いナディアさんに焦る。
「ヤバい、脱水症状を起こしてるのかも」
 緊急事態に、私は魔力を使おうと思った。
 人一人の命がかかっているのだ。こんな時に使わずいつ使う。
 レインの懇々と続くであろう説教を受ける覚悟を決めると、グッと手を握りしめて顔を上げた。
 周りを取り囲む炎の檻に向かって手をかざした瞬間。


 今まで燃え盛っていた炎が、跡形もなく消えた。


「…………ほぇ?」
 目をぱちくりと瞬き、ん? と首を傾げる。
 あれ……? 私、今魔法使ったっけ?
 不思議に思いながら、リュシーが消したの? とリュシーに目を向けたら首を振られた。
 もしや、ミラクルが起きたのか? と思ったら、後ろから魅力的なボイスが聞こえて来た。


「何をしているんだ」


 声がした方に顔を向けて、私はポカンと口を開けてしまった。
 瞳の色と髪の毛の長さと顔の傷以外、未来のリュシーさんと全く同じ姿をした男の人が、そこに立っていたからだ。
 あまりにも似すぎていて、その人が直ぐにリュシーのお父さんだと分かった。
 

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