第7章 邂逅 25

 
 前を歩いていたセバノスティーさんが重厚な扉の前で止まると、「こちらに旦那様が居らっしゃいます」と言って扉を数回ノックする。
 セバノスティーさんの後ろに立ちながら、きょろきょろと辺りを見回し、それから扉に向き直る。
 ここは、元の時代ではリュシーさんが書斎として使っていた部屋だと気が付いた。
「入れ」
 低く、魅力的な声が扉の奥から聞こえてきた。
 セバノスティーさんは失礼致しますと一声掛けてから扉を開き、私達に中へ入るよう促した。
「し、失礼します」
 緊張しながら、室内に足を踏み入れる。
 そんな私の後ろを、ジークとロズウェルドが並んで付いて来た。
 恐る恐ると言った感じで部屋の中に入ると。

「お嬢ちゃんっ!」

 急に横から現れた人物にタックルされる勢いで抱き付かれ、弾力性抜群のやわらか素材に顔を押し付けられた。
 この声、この胸、この感触は───。
 ナディアさん!
 良かった、気が付いたんだ……と喜ぶより何よりも。

 ぐ……ぐるじぃ!

 あまりの息苦しさに顔や手足をバタバタと動かすも、足は軽く床から離れているし、背中と頭に回った腕にガッチリと掴まれてて、どうにも出来ない。
 必死にもがもがと声にならない声で藻掻いていると。
「ナディアさん、俺達のトオルを窒息死させるつもりですか」
 ベリッと音がしそうな勢いで、ジークがナディアさんのお胸で窒息死寸前の私を救出してくれた。
 ぶはぁっ!? と口を大きく開けて深呼吸。
 ジークとロズウェルドに「大丈夫だったか?」と言われながら、頭と背中を撫でられた。
 巨乳が凶器になることを、今この時初めて実感した私なのであった。




 ロズウェルドとジークに両脇を挟まれた状態でソファーに座る私の向かい側に、リュシーの両親───オルガーさんとナディアさんが座っていた。
 2人は、今まで本当に仲が悪かったんですか? と言いたいぐらい、いちゃいちゃ……仲睦まじい様子で座っていた。
 オルガーさんの体にピッタリと寄り添い、腕に腕を絡めるナディアさん。
 しかも、甘えるようにオルガーさんの肩口に頭をくっ付けてるし。
 ほんのりと頬を染めるナディアさんは、まるで恋する乙女だ。


 つい先程まで庭先で「夫に信じてもらえない」と泣き崩れ、人のハンカチを鼻水まみれにしてくれた人と同一人物とはとても思えない。


 ほんのちょっとの間に、あなた達の間に何があったんですか……?
 何がなんだか分からず、ぽかん、と口を開けながら目の前の2人を見詰めていれば、漸く私の視線に気付いてくれたオルガーさんが、ナディアさんから視線を外して私に向き直ってくれた。
「わざわざ呼び出して悪かったね。体調は大丈夫なのかな」
「え? あ、はい。大丈夫です」
 私の言葉にそうかと頷いたオルガーさんは、自分の腕に絡めているナディアさんの腕をやんわりと外すと、スッと背筋を伸ばしてから───頭を垂れた。


 青銀色の髪の毛が、サラサラと流れ落ちて顔を隠す。


「まず始めに、君にはナディアの夫として……それから、娘を助けて頂いた父親として、感謝したい」
「え?」
「あのままリュシーナが暴走していたら、屋敷で働いている者達も唯では済まなかっただろう。大勢の命を預かるここの当主としても、心からの感謝を」
「私も、心から感謝しているわ」
「……そんな」
 いい大人の───しかも、ここの最高権力者である男性とその妻が、私に向かって頭を下げているのだ。どうしていいのか分からなくてオロオロとしてしまう。
「あの、頭を上げて下さい」
 私の言葉に、オルガーさんとナディアさんは下げていた頭をゆっくりと上げた。
「その……私自身、何をしたつもりも無いんです」
「いいぇ、貴女は私や……傷付いたリュシーナの心を救ってくれたわ」
 ナディアさんは立ち上がると私の前に来て床に膝をつき、膝に置かれていた私の小さな手を取って、「本当に、ありがとう」と言って微笑んだ。

 お色気ムンムン美女が、私に向かってにっこり微笑んでおります。

 しかも、その下にある、ぷるるんっ! と揺れるお胸にチラリチラリと視線が行ってしまうのは仕方がないと思う。
 魅惑的なお胸をチラ見していると、「ところで……」とオルガーさんが口を開く。
「お嬢さんの名は、トールさん……と、言ったかな?」
「はい。紹介が遅れてすみません。私はトオル・ミズキと言います。トオルと言い難かったらトールと呼んで下さって構いません。それに、『さん』はいりません」
 私がそう言うと、オルガーさんは「では、トールと呼ばせてもらうよ」と言った。
 それから、未だに私の手を握っているナディアさんを呼び寄せ、自分の隣に座らせた。
「トール、聞いた話によると、君は未来から来たとか」
「はい。ここにいるジークやロズウェルドが、80とか90歳位の大人に成長した『未来』から来ました」
「未来……か。では、トールは最初から娘が……リュシーナが私とナディアの娘であると知っていたのかい?」
 多分、オルガーさんが私を此処に呼んだのは、『この事』を聞くためだったのだと気付いた。
「いぇ、私はその事については知りませんでした。でも、リュシーが水系の魔法が苦手で、火や炎等の攻撃系の魔法が得意としていたことは知っていました。それに、魔法の事がサッパリだった私のために皆が開いてくれた勉強会で、子供は親が持つ属性を受け継ぐと教えられていたんです。それで、庭でナディアさんの話しを聞いた時に、リュシーが弟さんでは無くてオルガーさんの子供だと気付きました」
 まぁ、その「親子判定は属性によって直ぐ分かる」といったものは、この当時には無かったものなのかもしれない。
「瞳の色は弟さんと言うより、リュシーのお祖母さんの『色』を受け継いだんじゃないんですかね?」
「……母上の」
「それから……」
 私は一度口を閉じると、じぃーっとオルガーさんの顔を見詰めた。
「私の顔が何か?」
「ふふふ、その表情です」


 うん。どこからどう見ても、オルガーさんと未来にいるリュシーさんはそっくりじゃないですか。


 クールビューティーと言えば聞こえはいいが、悪く言えば無表情なその顔に、私は笑いかける。
「私が知っているリュシーと全く同じなんです。嬉しい時は口元がちょっぴり上がるところとか、困った時や悩んでる時には逆に表情が無くなる所とかそっくりです。それに、初めてオルガーさんを見た時、大人になったリュシーとそっくり過ぎて本当にビックリしたんですよ」
 オルガーさんと弟さんは似ているんですか? と聞いたら、兄弟なので多少似ているが、顔の作りとかはそんなに似ていないらしい。
「だからね、オルガーさん」
 私はオルガーさんに笑い掛けた。


「ナディアさんの言葉を、信じてくれませんか?」


 ハッとしたように、私から隣にいるナディアさんを見るオルガーさん。
 ナディアさんも、「お願い、私を信じて」と言ってオルガーさんの手を握り、自分がオルガーさんを裏切ってなどいないのだと訴えかける。
 私と、涙ぐみながら自分を見詰める妻を交互に見詰め───程なくしてオルガーさんは大きな溜息を吐いた。
 それから、片手で整えられている前髪をグシャグシャとかき混ぜ、ポツリポツリと呟き出した。
「確認もせずに……リュシーナの瞳を見ただけで疑ってしまった事を、後悔してるよ。でも、あの時は……どうしようもなく、心の奥底から黒い感情が湧き出てきて止まらなかった。───君が、そんな事をする女性では無いと分かっていたのに」
 愚かな自分を許してくれ、とナディアさんの手を取って許しを乞うオルガーさんに、ナディアさんは目尻に涙を溜めながら頷いた。


 え? そんな簡単に許しちゃうの!?


 と、突っ込む私では無い。
 誤解が解けてよかったですね〜と、すでに2人の世界が出来上がっている眼の前の人達にぬるい視線を送るだけに留めておく。
 両隣に座っているジークやロズウェルドも、私と同じ反応を示していた。
 今までリュシーの婚約者としてある程度の事情を知っているジークなんか、盛大に口元を引き攣らせていた。
それからの私達は、セバノスティーさんが持って来てくれたお茶を飲みながら色々と話し合った。
 私が未来から来た事。未来での皆と出会い。そして、『この時代』に来るまでにあった事や来てからの事を、セバノスティーさんが焼いてくれた美味しい焼き菓子を食べながら、時が経つのも忘れて話していたのであった。




 楽しい時間というものはあっという間に終わるもので……外を見ると日は沈み、もう暗くなっていた。
 オルガーさん達に長居してしまった事にお詫びをして、一度家に帰る事を言ったら泊まっていけばいいと言われたのだが、ハーシェルやちび達が待っているので帰りますと言って感謝の言葉を述べてから、私達は部屋を出たのであった。
「あ、ジーク。ちょっと行きたい所があるんだけど」
 ジークに行きたい場所を告げて、連れてきてもらった目的の部屋の前で「1人で入りたい」と言えば、ジークとロズウェルドは分ったと言ってその場から離れて行った。
 2人の姿が見えなくなるまで見送ってから、視線を正面の扉へと戻す。
 息を大きく吸い込み、目の前にある扉を押し開いた。
 しんっと静まり返る部屋へと足を踏み入れる。
 部屋の中へ数歩進むと、天蓋付きベットの上で眠る人間のシルエットが見えた。
「誰もいない……の?」
 部屋の中を見渡しても、ベッドの上で寝ている人物以外誰もいないようであった。


 あれ? アイツはどこに行ったんだ?


 そんな事を思いながらトテトテとベッドへと歩み寄り、二重三重に折り重なっているレースをそぉ〜っと横に引く───と、そこにはまだまだ幼さが残る表情で眠っているリュシーがいた。
 今の自分の身長より、ちょっと高いベッドの上で眠るリュシーの体調を見るため、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「よっ! ほっ! くっ、見え……ない……ぞっ」
 段々疲れてきたので、ベッドに手を付いて背伸びをしてみた。
「…………っん」
 ベッドに手をついた振動かなにかで、仰向けに寝ていたリュシーがコロンと横向きに寝転がった。
「リュシー?」
 そっと声を掛けると、ピクリと瞼が揺れ……オッドアイの綺麗な瞳が現れる。
「起こしちゃった? ごめんね」
「……トオル?」
「うん、私だよ。ねぇ、気分が悪かったりしてない? レインが枯渇した魔力を補充してくれたみたいなんだけど……他にも何か気になる所があったら直ぐに言ってね?」
「んー……まだちょっと眠い……かな。でも、気分が悪いとか、どこかが痛いとかは無いから、大丈夫」
 リュシーの言葉に良かったとホッとしていると、横向きに寝ていたリュシーがフッと笑った。
 そして、ベッドの端から顔を半分覗かせている私の顔へと手を伸ばす。


「私の、小さなご主人さま」


 少し冷たい指先が、私の頬を撫でる。
 ビックリしながら前をみると、そこには───未来では見慣れた、華やかに笑うリュシーがいた。
「私が捨てようとしていた命を、トオルが『それなら私が貰う』って言った事……とても嬉しかった……」
 一瞬だけど、リュシーの顔が泣きそうに歪んだのを私は見逃さなかった。
 しかし、直ぐにその表情も元に戻ってしまう。
「あの時、あの瞬間に私は決めたの。危険を冒してまでも……私を必要としてくれるトオルに『私』をあげようって」
「………………」
「だから───」
 頬を撫でていた手が、私の腕を掴む。
「うわぁっ!?」
 体を起こしたリュシーが、私をベッドの上に引き上げた。
 ぽすん、とリュシーの腕の中に飛び込む。
 何事かと目を白黒させていると、額に柔らかな口付けが落とされた。
 サラサラの青銀色の髪の毛が、私の頬をくすぐる。
 固まる私の額から唇を離したリュシーは、何か呟きながら、私のちょうど心臓がある位置に右手の人差し指と中指で触れた。
 すると、


 リュシーの指先が、ずぶずぶと手首付近まで私の体の中に沈み込んだのだ!


 ひっ、と声にならない悲鳴が喉の奥で鳴る。
 有り得ない状況に体中の毛という毛が逆立つ。でも、体はピクリとも動かない。
 目を伏せて何かを呟き続けていたリュシーが顔を上げた。
「我、古の契約を行う者なり」
「……うぁっ!?」
 リュシーがそう言った瞬間、心臓がギュッと鷲掴みされたように感じた。
 眉間に皺を寄せて、痛いんだか苦しいんだか分からない感覚に堪えていると、私の身体の中から“何か”がリュシーの腕を伝ってリュシーへと流れて行く感覚がした。
 何が起きているのかと自分の胸元を覗いてみたら───私の身体の中に埋まっている手首から、私の腕にある紋様みたいな黒いモノが、リュシーの身体全体へと伸びていく。
 ソレは瞬く間にリュシーの身体を鎖の様に覆ったと思ったら、まるでリュシーの体の中に溶け込むようにして消えた。
 それから直ぐに変化が起こった。


 青銀色の髪の毛と色の違うオッドアイが、私と同じ黒へと変化したのだ。


 自分の体の中に他人の手が入るという、ある意味ショッキングな光景よりも、目の前にいるリュシーに変化に呆然としていると、不思議な呪文を唱え終えたリュシーが胸から手を離した。
 一体、リュシーの身に何が起きているんだろう。
「りゅ、リュシー。今のは一体……」
「これはね、今は使われていない“紋様を持つ者”との『古の契約方法』なの。オルグレン家の人間の中に、数百年前に現れた“紋様を持つ者”と誓約した人がいるんだけど、その時の誓約……と言うか、契約方法が書かれている本があって、それは当主しか見ることが出来無い『禁書』だったんだけど、昔偶然見つけて読んだことがあったの。……それで知ったことだったんだけど、これはね、“紋様を持つ者”と、“紋様を持つ者”と誓約した黒騎士の中でもたった1人しか出来無い契約なの」
「1人だけ?」
「そう。1人だけ。“紋様を持つ者”とこの契約をした黒騎士は『対の者』と呼ばれる事になる」
「つい、のもの……?」
「その証拠に……」
 リュシーは右腕の袖を捲くって、私が付けた手首の紋様を見せた。
 そこには、簡略した紋様ではなく、私の手の甲に出来ていた紋様と同じ形の紋様が出来上がっており、そこから枝分かれしたような不思議な紋様が腕全体を覆っていた。
「後は、ここも」
 リュシーは胸元のボタンを上から外すと、両手で合わせ目を開いて自分の胸元を私に見せた。
 少し膨らんだ胸の間───真っ白な肌とは対照的な漆黒の紋様が、心臓の位置に刻まれていた。
「え……嘘っ!? 私、仮の契約ならしたけど、そんな所には……!」
「落ち着いて、トオル。これは『古の契約』をした事によって出来た、誓約印。ただの黒騎士にも無い形のものだよ」
 そう言われ、マジマジとその場所を見てみれば。
 ……おぉ、確かに、ある意味無理やりレインの時に刻ませられた(←ここ強調)誓約印とはちょっと形が違っているかも。
 ポケーっとした表情でリュシーの胸の谷間を見ていたら、もういいでしょうといった感じに前を締められた。
 ボタンをすべて閉め終え、黒く変わってしまった髪を耳に掛けたリュシーは、そこから自分の髪の毛を1本引き抜くと、それを魔法で細身の剣に変えた。
 それは、刀身も鍔も柄も全て黒い、少し日本刀にも似ている漆黒の剣であった。
 リュシーは、その漆黒の剣の切先と刀身を指先で私の目の前の高さにまで持ち上げた。
 何となく、コレを受け取れと言われてるんだなと思った。
 真っ黒けっけな剣の柄を握り、よっこらしょと持ち上げてみて、その軽さにビックリした。剣の柄を握っている感覚がなければ、剣を持っているとは思えない軽さだ。
 剣を持った私を認めたリュシーは頭を下げた。


「これより後、トオル・ミズキ様を我が唯一の主君と認め、絶対なる忠誠を誓います」


 厳かな表情で誓いの言葉を述べたリュシーに、私はその場の雰囲気に呑まれ……。
「あ、え? えぁー……あ、りがとうございま……す?」
 いまいちよく分からない言葉を返していた。
 後に聞いた話で、この言葉こそが、私がリュシーの誓いに対する是認の言葉になったと教えられた。


 そして、この状況について行けない私を置き去りに物事は着々とリュシーの思い描いている方向へと進んでいき、仮契約しかしていなかったはずのリュシーが、私の本当の意味での正式な黒騎士に───しかも、黒騎士の中でも唯一人しかなれないという『対の者』になっていたのであった。
 

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