それは、トオル様が誤って退行薬を摂取した時の事である。
4歳児に戻ってしまったトオル様と、リュシーとジーク、それにハーシェルが一緒に朝食を取る事になった。
食事中、あの3人はトオル様を、これでもか! ってなぐらい甲斐甲斐しく世話をしていた。
そんな時――。
トオル様の前にデザートが運び込まれると同時に、メイドの1人がリュシーに近づいて彼女の耳元で何かを囁いていた。
メイドの話を聞き終えると、リュシーはスッと立ち上がり、「少し席を外す」と言って呼びに来たメイドと出て行ってしまった。
部屋から出て行くリュシーにトオル様が手を振っていると、ジークの前に赤い連絡蝶が現れた。
「げ? 何だよこんな時に……」
ジークは眉間に皺を寄せて溜息を吐くと、連絡蝶を指に止めて椅子から立ち上がる。
「悪い、ちょっと行って来るな」
トオル様の頭をわしゃわしゃと撫でて、ジークも部屋から出て行ってしまった。
「いっちゃった……」
部屋から出て行った2人を見ながら、ポツリと呟くトオル様。
そのお顔は、『寂しい』と言う文字がデカデカと書かれてあった。
ふむ。それでは私がお相手して差し上げようか、と思って足を踏み出そうとした時――。
「トオルさん、はい。うさちゃんリンゴですよ〜♪」
信じられない光景を私は目にした。
“あの”ハーシェルが、語尾に『♪』を付けながら、トオル様にうさぎの形に皮を剥いたリンゴを差し出していたのだ。
先程から、後ろを向いてゴソゴソと何かをしているな、とは思っていたのだが……まさか、りんごの皮を向いていたとは。
「あ! うさちゃん」
「どうです? 可愛いでしょう?」
「うん!」
はーちぇる、すごーい! とトオル様に尊敬の眼差しで見詰められ、満更でも無い表情の男、ハーシェル。
顔が緩みきっている。
ハーシェル信奉者の、貴族のご令嬢共がこのだらしが無く緩んだ顔を見たら、何て言うだろう。
黒騎士の男共は、どちらかと言えば人気がある。特に、妙齢の女性からの支持が高いのは、ジークやハーシェルだ。
人の良いジークは、声を掛けられればそれなりに話をしたり、笑顔を向けたりする事があるのだが、ハーシェルはそんな事は絶対しない。
こんな事を言えばトオル様やレイさんは驚くかもしれないが、ハーシェルは自分に寄って来る女を見ると、顔から表情が無くなるのだ。
そして、返す言葉も素っ気なく、纏う雰囲気も冷たいものとなる。
まぁ、全ての女性にそういう態度を取る訳ではないのだが――。
しかし、女と言うものは不思議な生き物で、そんなハーシェルに邪険に扱われても「きゃっ! 今日もハーシェル様カッコいい♪♪」などと言っては頬を染めるのだ。
意味が分からん。
もぐもぐとリンゴを食べるトオル様に、次から次へとうさちゃんリンゴを作り続けるハーシェル。
しかも、うさぎの形も微妙に違う。
皿の上に切ったりんごを並べ終えると、ハーシェルはトオル様に笑い掛ける。
「トオルさんは、本当に可愛いですね」
「ふにゅ?」
ほっぺを膨らませて口をもぐもぐさせているトオル様の頬を突っつくハーシェルに、トオル様が目をパチパチさせながら見詰める。
どしたの? と首を傾げる仕草を見たハーシェルは――壊れた。
「ぐはぁー! ヤバい。ヤバすぎるよ、この可愛らしさは!」
そう叫ぶと、トオルさんをギューッと抱き締めて頬ずりしだした。
奴の周りに、一杯ハートが飛んで見えるのは……私の目の錯覚ではないだろう。
……しかし、ウザすぎる。
きゃっきゃと喜ぶトオル様には悪いが――私はいつもトオル様が言う『王子』から、唯の『デレ助』に変わってしまった奴を、トオル様から引き離す事に決めた。
足を1歩前に進めた時、
「トオルさん、お待たせしました」
「トオル、ただいまぁ〜」
タイミング良く、リュシーとジークが帰って来た。
「おかえりぃ!」
元気よく挨拶するトオル様に顔を向けると、あんなにギューッとくっ付いていたのに、それが嘘であったかのように離れている2人。
多分、リュシー達が扉を開ける瞬間にバッと離れたんであろう。
今では、あのデレっとした顔が引き締まっている。
人がいると、あの表情は表に出さないらしい。
私は腕を組んでハーシェルを見詰めた。
・基本的に冷めた性格をしているが、特に女には冷たい男。
・トオル様が関わると豹変する。
・4歳児のトオル様を前にすると顔が崩れ、デレ助になる。
トオル様、よく貴女とレイさんはハーシェルの事を『王子』とか『ハー様』とか言っていますが……。
奴は唯の――。
ロリコンです。