「はぁ〜!? 何もしなかったなんて……ありえないっ!」
大きな声を出して驚くあっちゃんに、私は彼女の口を塞ぎ、「しぃーっ! あっちゃん声が大きいよ」と小声で注意をした。
「ぷはぁっ。……いやぁ〜、ごめんごめん。あまりにもビックリしすぎちゃって」
「そこまで驚く内容かなぁ?」
「……あんた、蛇の生殺しって言葉、知ってる?」
「………………」
給湯室の片隅で、私とあっちゃんはコソコソ話しをしていた。
何の話しをしていたのかと言えば――。
あの日、アレクさんと初デートをした日の事である。
「このまま帰るのも詰まらないし、DVD鑑賞でもして過ごさない?」
と誘われ、そのままアレクさんと一緒に帰った私。
アレクさんの家に着いた頃には、丁度夕食の時間帯になり、彼の手料理が振るわれた。
美味としか言いようがない料理の数々に、箸が止まらない。
しかも、「この料理にとっても合うんだよ」と言われて出された白ワイン(年代物)を、(お酒が強いワケでもないのに)グピグピと飲んでしまい……。
肉体的&精神的疲労でとっても疲れていた体と脳に、美味しい料理とアルコールを摂取した事により、
寝てしまったのよぉ〜。
ガクリと項垂れる。
自己嫌悪に浸る私に、追い打ちを掛けるあっちゃん。
「ここまでお子ちゃまとはねー」
「うぐっ」
「アレクさん、さぞや呆れたでしょね」
「……あぅぅ」
「琴海、あまりにもお子ちゃまな行動ばかりしてると……涎を垂らしている女豹達に、横から掻っ攫われるわよ?」
最後の言葉に、えぇ!? と驚きの声を発してしまった。
その瞬間、あっちゃんに口を塞がれた。
「しぃーっ」
「……ごふぇん」
むごむごと言いながら謝れば、ふぅっと息を吐いたあっちゃん。
実は私、アレクさんと付き合っていることを、あっちゃんにだけは話していた。
私の数少ない――心から信頼出来る友人だから。
でも……あっちゃんの口から出て来る心を抉るような言葉に、たまに凹みそうになるけどね。
「酒が強くもないのに、なぁ〜んでそんなに飲んじゃったのさ」
「えっと……アレクさんが勧めてくれた白ワインが、思いのほか美味しくて……」
「ふぅ〜ん。もしかしてアレクさん……この子を程良く酔わせて、先に進もうとしていたのかしら? ……まぁ、そうだったら、策士策に溺れるだわね」
自分の足元を眺めながらモゴモゴと喋っていると、頭上であっちゃんが何やら呟いていたが、最後の方は声が小さくてよく聞こえなかった。
仕事もそろそろ終わる頃になると、美女軍団が数人ずつお手洗いに行っては、落ちかけたメイクをバッチリ元に戻して、綺麗な顔になって自分の席へと戻って来る。
ナチュラルメイクの私は、あの小さなポーチの中にはどんな魔法道具が入っているんだろうと、いつも思う。
携帯をチラリと見ながら、PCのメールをチェックして電源を切った。
「お疲れ様でしたー」
まだ仕事をしている人達に頭を下げてから、私は更衣室に直行した。
更衣室に行けば、数人の女性達が着替えながら話し合っている姿が見える。
私は自分のロッカーの扉を開けると、私服へと着替える為にスーツを脱いだ。
〜♪♪♪〜♪♪〜。
着替え終わるのと同時に、携帯が鳴った。
慌てながら携帯を開くと――。
『アレク』
彼の名前が液晶画面に表示されていた。
私は一度パタリと携帯を閉じると、回りに誰もいないか確認する。
名前を登録するとき、アレクさんに「俺達は付き合っているんだよ? 今直ぐに呼び捨てで呼んでとは言わないから……せめて、コレだけでも『アレク』と入れてくれないかな?」と言われていた。
携帯の名前の所からアレクさんと付き合っていることがバレたら――と考えるだけでも恐ろしいけれども、イケメンの笑顔&美ボイス付きでは、拒否出来無かった。
NOとは言えない日本人気質な私なのである。
そんな私であるが、好きな彼氏から送られてきたメールにはトキメクのだ。
私はコソコソと隠れながら、受信BOXを開いて内容を確認する。
そこには――。
『お疲れ様、琴海ちゃん。もう仕事終わった? 終わったなら、地下の駐車場で待ってるから一緒に帰ろ?』
と、あった。
私はバババババッ! と鞄の中に物を入れると、ロッカーの扉を締めて更衣室を出た。
廊下を早歩きで歩きながら、携帯を操作する。
『お疲れ様です。仕事、今終わりました。これから駐車場に向かいますね』
送信ボタンをポチっと押して、「送信されました」と言う文字が出てから携帯を閉じる。
私は携帯をコートのポケットに仕舞ってから、地下に行くエレベーターへと少し駆け足で向かった。
それから10分後――。
エレベーターを降りて地下の駐車場に行けば、車には疎い私でも高級車であろうと分かる車が、ずらぁ〜りと並んでいるのが目に入る。
そう言えば、うちの会社は重役や一部の人間しか車出勤は許されていなかったはず……。
そんな事を思いながら、アレクさんは何処にいるのかと途方に暮れながら辺りを見渡していると。
「きゃっ!?」
突然、後ろから誰かに抱き締められた。
ビックリしながら後ろに振り向けば――。
「琴海ちゃん」
柔らかく微笑むアレクさんの顔が、私の顔の直ぐ側にあった。
細いようで筋肉質な長い腕を私のお腹に回し、首筋に顔を埋める。
「うぅ〜っ。久々の琴海ちゃんの匂い……癒される……」
「にお……」
ぎゅぅ〜っと私を抱き締めながら、アレクさんは深い溜息をした。
「も〜、何だって俺の回りには化粧品や香水の匂いやらが濃い人しか寄って来ないのかな……」
顔を埋めながら鼻をスンスンと鳴らし、「はぁぁ〜。いい匂い」と言うアレクさんに、微妙な心境になる私。
今の私は香水なんて一切付けてないし、仕事終わりで汗も掻いている。
女心としては……体臭が気になるので、離れて欲しいのですが。
「あの、あの! アレクさん!」
「……ん? 何だい?」
「あのぉ、その〜……今の私、仕事終わりで汗臭いかもしれないので、あまり匂いを嗅いで欲しくないのですが」
「あぁ、そんな事? 大丈夫だよ」
首元から顔を上げたアレクさんは、清々しい表情でこう言った。
「俺、においフェチでもあるからさ」
……今、聞いてはイケナイ言葉を聞いてしまったような?
ピキッと固まる私に、「汗の匂いも、そそられるよねー」と笑顔で言われても、頷けない。
アレクさんはもう一度私の首筋に顔を埋め、スゥっと息を吸い込むと、
「琴海ちゃんの匂いは……甘くていい香りがするね」
「ひゃうっ!?」
温かい感触がしたと思ったら、首をちゅぅっと吸われた。
驚いて、吸われた場所に手を当てると、少し濡れていた。
「な、なななななっ!?」
「クスクス。これくらいいいでしょ? 昨日、我慢したご褒美を貰っても」
「……うっ」
アレクさんの言葉に、詰まる私。
痛い所を突かれてしまった。
あぅあぅあぅ、と真っ赤になりながら狼狽えていると、フッと笑ったアレクさんが私の手を取って歩き出した。
「今日は、帆立のバター炒めと、さといものそぼろ煮と、アスパラガスのえびマヨネーズあえ。それから、新ごぼうとかぼちゃのみそ汁なんだ」
期待してて、と言うアレクさんに、引き攣っていた顔もほにゃりと綻ぶ。
彼が作る料理は凄く美味しいのだ。
普通、女性が男性の心を自分の所へ繋ぎ止めておく為に、料理の腕を上げて「男の胃袋を掴む」筈なのだが……私の場合、男であるアレクさんにがっちりと胃袋を掴まれてしまっていた。
「お腹、空きました。アレクさんが作る料理、早く食べたいです」
指を絡める様にして握られた手を、キュッと握り返す様にしながらそう言えば、アレクさんが優しく微笑んだ。
アレクさんのエスコートで近くに置いてあった車(左ハンドルの外車)に乗り込むと、私達はアレクさんの家へと向かったのであった。
だから、私達は気付かなかった。
仲睦まじく車に乗り込んで、駐車場を出て行く私達を柱の物陰からジーッと見詰めていた人物がいた事に。