第6章 黒狼 09

 
 レキの声高らかな下僕発言に、周りの空気はピタリと止まる。
 ロズウェルドとミシェルは、ポカンとした顔でレキを見ていた。
 ついでに、レキの口を押さえようと背を伸ばした状態で固まる私。
 人型なのに、ぐるるるっと唸り声を上げるレキを、やっちゃったよこのコ……と見ていると、


「……下僕ぅ〜?」


 腕を組み、眉間に皺を寄せたロズウェルドがレキを不審げに見降ろした。
 その目は「なに言ってんだ、このガキ」と言っていた。
「お前が今言った『ご主人様』とは……もしかしなくても、そこにいるトオルの事か?」
「そうだ。……って言うか、『お前』じゃない! オレの名前は『レキ』だ!!」
 名前の事でぷりぷり怒るレキ。そんなレキをフンッと鼻であしらい、だからどうした? と言うロズウェルド。
「おい、それより早くそこから退け。お・ま・え・に、構っている暇は無いんだ」
「あ! またオレの事を『お前』って言いやがったな!」
『お前』と言う言葉を強調しながら「ほれ、はよ退け」と、シッシッと横に手を振るロズウェルド。
 それを見たレキは――キレた。

「人間の分際で生意気な……」

 そして、私の制止も聞き入れず、ロズウェルドに殴り掛かろうとダッと走り出す。
 それを見たロズウェルドは、スッと目を細め、レキに向かって右手を翳して魔法を放つ姿勢を取る。
「止め――」
 手を伸ばすも、走り出したレキを止める事が出来なかった。
 パートナーであるロズウェルドと、自分をご主人様と言って慕ってくれるレキ。
 そんな2人が、会った早々喧嘩をするなんて――凄く悲しかった。
 2人を止められない自分が歯痒くて、情けなくて……ぐっと唇を噛みしめた時――。


「やめなさぁーい!!」


 今まで黙って成り行きを見ていたルヴィーが叫んだ。
 その瞬間、ロズウェルドとレキの2人が顔から地面にめり込む。
「ふぎゃっ!?」
「ぐえっ!?」
 おわっ、痛そう……。
 止めてくれたのは助かるが、その方法はどうなのよ? と思っていると、

「貴方達、何をしているのかしら?」

 両手を腰に当て、目を細めて倒れ伏している2人を睨みつけるルヴィー。
 そして、その白くて細い指をロズウェルドに向かって、ズビシッと向ける。
「そこの青色頭の貴方。貴方はトオル様の保護者なのでしょう? なのに、何ですかその態度は! トオル様の保護者なら、保護者らしい――大人の態度を示したらどうなんですか? それでは、トオル様の教育に悪いではないですか!!」
 ルヴィーに睨みつけられるロズウェルド。だが、彼は未だに顔を上げようとしない。
 いや、上げる事が出来ないでいた。  ロズウェルドとレキの周りの地面が、ミシミシッとひび割れる。彼らの周りにだけ何らかの魔法が掛かっているのが分かる。
 私は、ロズウェルドに向かって言った『青色頭』という言葉に一瞬吹きそうになるが……。

 私の教育ってどういう意味?

 はて? と首を傾げるも、ルヴィーは止まらない。
 今度はレキに向かって指を向ける。
「それにレキ! 自分の主が止めに入っているのに、それを振り切って喧嘩をするなんて言語道断よ! 下僕の風上にも置けないわ!!」
 信じられないわ! と頭を振るルヴィーに、零がまぁまぁ落ち付け。と肩を叩く。
「ルヴィー、まずはロズウェルド達を押しつぶしている魔法を解いてあげなよ。あれじゃあ息が出来ないから死んじゃうと思うよ?」
「あ、はい。ご主人様」
 熱く語っていたルヴィーは、零の言葉でハッと我に返ったらしく、2人の周りから魔法を解く。
 すると、地面にめり込んでいたレキがガバッと顔を上げ、目にも止まらぬ速さで私の前にまで飛んで来た。
 そして、私の前に跪いて右手を両手で包み込むと、潤んだ瞳で見上げる。
「ご主人様、ごめんなさい。オレ、そこの男だか女だか分からない性別不詳人間のせいで、頭に血が上っちゃって……」
 そして、ちょっと俯いてからもう1度潤んだ瞳で見上げて、
「ご主人様が止めろと言ったのに、オレ、命令無視しちゃったけど……でも! 今度からは絶対命令無視はしないから、だから…だから……」


 オレを嫌いにならないで、主人様!!


「うわぁ!?」
 ひっしと人の体に腕を回して抱き付くレキに、私はちょっと引き気味。
 学生の頃から、周りに個性が強烈過ぎる人間が集まっていて、ある程度の事なら慣れていたが――この様な人間(獣人)は初めてな為、どう接していいか分からない。
 助けを求める様に周りに目を向けると――。
 零はルヴィーに、レキとロズウェルドの喧嘩を止めた事を、褒めてぇ〜♪ と言って抱き付かれていて、こちらには気付いてない。
 じゃあ、と顔を横に向けると、ミシェルはこの状況を楽しんでいる様にニヤニヤしていてた。
 反対方向に顔を向けると――。


 頼りにしていた保護者……間違い。パートナーは、未だに地面にめり込んだまま。


 駄目だな、ありゃ。
 ふぅーっと息を吐き、ギュッと胴にしがみ付くレキの頭をポンポンと叩く。
「レキ、俺はそんな事で君を嫌いになんてならないよ。だけど、そこで倒れている人間は、オレのパートナーなんだ。……仲良くしろとは言わない。でも、出来れば喧嘩なんかしてほしくないんだ」
 自分が今思っている事を正直に伝える。レキなら、私の気持ちを分かってくれるだろうと思って。
「……分かりました」
 渋々ながらもコクリと頷くレキに、私はよしよしと頭を撫でてやった。そして、体から手を離してもらってから立たせた。
「よぉ〜し。それじゃあ、倒れたままのロズウェルドを助け起こしましょうかね」
 私はルヴィーの魔法によって意識を失っているであろうロズウェルドを起こすべく、一歩足を踏み出したのだが――。
「お待ち下さいご主人様! あの性別不詳人間を起こすのは、オレがやります。わざわざご主人様の御手を煩わせる必要はございません!!」
 そう言うと、レキは「おい、女男! 起きろぉー!!」と言って、ロズウェルドの肩を掴んでブンブン揺すっていた。
 前後にガックンガックン動くロズウェルドの頭を見ながら、私は――。


「……青色頭の次は……性別、不詳人間」


 ロズウェルドの新たな称号(ある意味不名誉)に、ちょっぴり、可哀想だなぁ〜。と思ってしまったのであった。



 ――15分後。

 漸く騒ぎも収まり、私達は本来の仕事――レクサス君の護衛をすべく、彼らが乗っている馬車に再び乗っていた。
 新たなメンバー、レキも加えて。

『……………………………………』

 しかし、最初の時とは違い、何故か周りの空気がとぉ〜っても重い。
 私の左隣には、カッチンコッチンに固まったトーニャが座ってた。
 彼は、狼族の『エルゲード』である。自分よりも遥かに階級の高い、同族の『ヴァンデルッタ』が隣にいるのだ。緊張して固まるのも無理は無かった。
 そして、わたしの右隣には、麗しいお顔を歪めた美人さんが、腕を組んで外をジーッと眺めていた。
 彼の周りには真っ黒な靄(もや)が漂っている。
 そう、この重い空気を生産している人物でもあった。
 そんな中、私はロズウェルドとトーニャに挟まれる様にして座っている、レキの膝の上に座っていた。
「ご主人様、喉は渇いたりしていませんか?」
「うん。大丈夫」
 ニコニコ顔で私に世話を焼く下僕くん。
「落ちない様に、しっかりオレに掴まってて下さいね」
 と言って、私の胴に回した腕にギュッと力を入れた。それを、横目でチラリと見たロズウェルド。
 室内の温度が2〜3度下がった様に感じた。気のせいだと思いたい。
 ブルリと震えた私は、向かえ側に目を向けるも――。
 向かえ側に座るレクサス君とアダンさんは、不自然なほど顔を寄せ合う様にしながら、極力こちら側を見ない様に書類を手に取り何か話し合っていた。
 今回は助けてはくれないらしい。
 ふぅ〜っと誰にも気付かれない様に息を吐く。
 何故ロズウェルドの機嫌がこんなにも悪いのか。  それは、私を誰が膝に乗せるのか。と言う話になった時に、ロズウェルドがレキに――。


 ジャンケンの3回勝負で、全敗したからであった。


 それから、ロズウェルドの機嫌は悪くなる一方である。
『冷酷な悪魔』は、体調の他に、ジャンケンにも弱かったらしい。
(因みに、トーニャはジャンケンに参加しなかった。レキに睨まれたくなかったようだ)
 そんな彼らと、静かぁ〜に馬車の中で揺られていた時――。

「盗賊だぁ!」

 ガクンと馬車が急に止まり、辺り一帯が騒がしくなった。
 レキに大丈夫かと言われ、頷きながら外の状況を確認する。
 どうやら、本日2度目の盗賊からの襲撃に逢った模様。
 いち早く反応したのはロズウェルドであった。彼は1人1人に冷静に指示を出す。
「頭取、それにアダン。俺が出てもいいと言うまで、この馬車から1歩も外に出ない様に。――レキ、お前はトオルが変な事をしない様に、しっかり見張っておけ。トーニャ、馬車の周りの警護を頼む。馬車に近寄って来た盗賊だけを蹴散らせばいい」
 皆がロズウェルドの指示に頷く中、私は「俺がいつ変な事をした!?」とロズウェルドに抗議しようとしたのだが……。
 馬車から下りる彼の横顔を見た私は、口を噤んだ。


「フッ……丁度いい所に馬鹿共が来た」


 魅惑的な笑みを顔に浮かべたロズウェルドが、そう呟いた。
 

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