第7章 邂逅 03

 
 目の前にいる少女が、自分の知る『リュシーさん』では無い。
 と、頭の中で分かってはいるのだが……。
 少女の綺麗な青銀色の髪が何かで切り付けられた様に、バラバラの長さに切られているのが目に入った。
 多分、髪の毛を無造作に掴まれて、掴んだ部分からナイフか何かで切られたのだろう。


「ぎゃぁぁぁぁぁ! リュシーさんの綺麗な御髪(おぐし)が何て事にぃ!?」


 腰近くまである綺麗な青銀色の髪が、私は好きだった。
 その髪が、今は悲惨な状態になっているのだ。頬に手を当ててムンク状態で叫んでしまった。
 私のその顔に驚いたのか、少女なリュシーさんは片方しかない瞳をパチパチと瞬き、小さく小首を傾げていた。
「って、髪だけじゃなくて顔も怪我を――」
 髪に気を取られ過ぎて、顔に巻かれた包帯に気付くのが遅れてしまった。
 リュシーさんの顔に巻かれている包帯に、手を伸ばした時――。


「リュシーナ、傷に薬を塗る時間だよ」


 コンコンと扉をノックする音と共に、1人の少年が部屋に入ってきた。
 新しい包帯と赤茶色の薬が入った瓶を持った、茶色い髪に緑色の瞳の少年は、ベッドの上で四つん這いになって、リュシーさんに手を伸ばしている私を見て固まった。
 私も同じく固まりながら、首だけ部屋に入ってきた少年に向けて、暫し見詰め合う。
 少年のあどけなさがまだ残る顔を見ながら、私はもしかして、と口を開く。
「えぇーっと……ジーク、さん?」
 思った事を言葉にしながら、だよね? と首を捻っていたら、
「貴様……どこから入ってきた」
 スッと目を細めたジーク少年が、私を見詰めながら詰問してきた。
 大人のジークさんにも向けられた事の無い鋭い視線に、私は焦る。
 何か言わなきゃと思うのだが、彼から発せられる怒気に更に焦る私の思考は上手く働かなくて「えっと、あの」と言う言葉しか出てこなかった。
 そんな私が、助けを求めるようにリュシーさんに目を向けたら――。
 ジークさんは持っていた包帯と薬の瓶から手を離し、瓶が床に落ちて割れるのにも気にせずに、腰に佩いていた剣を素早く抜き取って……。


 私に斬り掛かって来た。


「――っ!?」
 一気に距離を詰めて剣を振り上げるジークさんに、私は動けなかった。
 いつも優しく接してくれる――本当の兄の様に慕っているジークさんから向けられる殺気に、体が動かなかったのだ。
 しかし、斬られる、と思ったその時――。
「ご主人様!」


 天井からレキが落ちて来た。


 しかも、何故か子犬の大きさから、大型犬以上の大きさになっていた。
 え? と思っている間に、レキはそのまま剣を振り下ろそうとしていたジークさんの上に着地していた。
「うげぇっ!?」
 大きくなったレキにグシャッと潰されたジークさんの手から、剣が離れて床の上に転がる。
 いきなり現れたレキにポカンとしながらも、顔を天井に上げてみると――図書館で私達の足元に出現した金色に輝く魔法陣があった。……のだが、魔法陣は徐々に薄くなり、数秒後にはスゥッ……と消えてしまった。
「ご主人様、よかったです間に合って……って、ん? 何だお前は」
 魔法陣消えちゃッたよ!? と天井を見ながら焦る私の前で、そこから落ちてきたレキは私を見て盛大に尻尾を振っていたが、自分の足元でもがいているジークさんに漸く気付いた
「ぐぅっ……あっ、くっそ、早く……どけっ!」
「あぁ、悪いな」
 額に青筋を浮べるジークさんの背中から、レキが野太い脚をどけた瞬間、素早い動きで起き上がると、床に転がっていたいた剣を拾って私達にその切っ先を向けた。
 それを見たレキが鼻の頭に皺を寄せ、ぐるるるぅ……っと、鋭い牙を覗かせながら低い唸り声を上げた。
 向けられる剣先から私を守る様に、レキが私とジークさんの間に立つ。
 しかし、そんなレキを見たジークさんは、レキの金色の瞳を見て驚きの声を上げた。
「狼族の『ヴァンデルッタ』が、何故此処に!?」
 剣を持つ手が震えていた。
 それはそうだろう。獣人の中でも『ヴァンデルッタ』は階級が1番高く、王族よりも巨大で強力な魔力を持っていると言われているのだから。
 そんな『ヴァンデルッタ』のレキを見て、少年であるジークさんが恐怖心を抱かないはずが無かった。
 私は震えながらも私達に剣を向けるジークさんと、そんなジークさんを睨み付けるレキ、そして、後ろにいるリュシーさんを順々に見てから「私達、怪しい者じゃありません」と言ってみた。
 そう言って、はいそうですかと頷く人はいないが、それしか思い浮かばなかった。
 案の定、「怪しい奴ほどそう言う」と言われてしまった。
 御尤もです。
「あの、ジークさん、信じてもらえないかもしれないけど、私達、未来からやって来たんです」
 未来でのリュシーさんとジークさんと知り合いだと言うと、ギッと睨まれた。
「嘘を言うな! 未来からどうやって来れると言うんだ!!」
「あの……先程、天井に出現していた金色に輝く魔法陣がありましたよね? ……あっ、レキに潰されて見えなかったか」
 うぅーん、と唸る私。あれを見ていなかったら話にならないじゃないか。
「あの、リュシーさんは見ましたよね?」
 ね? そうですよね?? と後ろを振り向き聞いてみると、リュシーさんはコクッと小さく頷いてくれた。
 あ゛ーよかった。と息を吐き、ジークさんに向き直る。
 私は今まで友達と一緒に、図書館の中に置かれていた真っ白な本を読んでいたら、その中に書かれている魔法が発動して、此処にいた(落ちた)と簡潔に説明した。
 説明し終わってからも、不審げにこちらを見続けるジークさんに、大人になった2人のお仕事(黒騎士)や、得意な魔法、苦手な魔法、それに趣味などを次々に話していく。
 その中でも、『黒騎士』と言う言葉に反応したので、「リュシーさんが隊長なんです!」と、黒の騎士服を身に纏ったリュシーさんのカッコいい姿を思い浮かべながら、ウットリとした様にそう言うと、ジークさんがポカンとした顔をした。
「た、い……ちょう? リュシーナが??」
「そうですよ! すんごいカッコいいんですから」
 拳を握って力説する私を、ジークさんは困惑した顔で眺めながら、「お前は、リュシーを狙っていた訳じゃないんだな?」と聞いて来たので、勿論です! と頷いた。
 少しは私の言葉を信じたのか、ジークさんは剣を鞘に収めてくれた。
「これからお前には色々質問したい事がある……んだが、おい。いい加減、そこから退け。女性が寝ているベッドの上に、無断で上がるなんて許される行為だと思っているのか?」
「え? あっ! ごめんなさい」
 私はジークさんの言葉に慌てた。
 傍から見れば、


 ベッドの上で四つん這いの格好になり、枕に背を預けたリュシーさんを襲おうとしている男の図。


 に、見えるらしい。
 あわあわと焦りながら、でもリュシーさんの傷に響かないように静かにベッドを降りた私であるが……ここでもやっぱり男に間違われるのね、私。と悲しくなった。
「場所を変えて話そう。――リュシーナ、僕は1度、下の客間に2人を連れて行くから。その後にもう1度新しい包帯と薬を持ってくるから待ってて」
「………………」
「……それじゃあ行くぞ」
 小さく頷くリュシーさんを見たジークさんは、部屋の扉を開けると私達に付いて来る様に言った。
「はい。……あ、ちょっと待って下さい」
 私は彼に付いて行く為に踏み出した足を一旦止めると、クルリと体の向きを変えてリュシーさんに向き直った。
「リュシーさん」
「………………」
 話し掛けても、リュシーさんは私の顔を無表情に眺めるだけで、何の反応も示してはくれなかった。
 まるで人形みたいだな、と、その顔を見詰めながら悲しくなる思いを顔には出さずに、ニコッと笑い掛けた。
「私、リュシーさんの綺麗な水色の瞳が大好きなんです。だから……えぇ〜っと、早く怪我が治るといいですね」
「………………」
 私の言葉に、リュシーさんの瞳が一瞬揺れた様に見えたが、それは直ぐに元に戻り、何も言わずにフイッと横を向いてしまった。
 その行動に私はちょっと傷ついたが、「それじゃ、また後で」と言って、ジークさんが待つ廊下へと出て部屋の扉を静かに閉めた。




 ジークさんは私達を今いる客間に案内した後、1度リュシーさんの部屋に戻って傷の手当をしてから、直ぐに戻って来た。
 そして、簡単な自己紹介をした。
 その後に、ジークさんは難しい顔をしながら腕を組んでこう聞いてきた。
「それではもう一度聞くが……トオル達は、本当に未来から来たのか?」
 私は「はい」と頷いてから、先程説明した事をもう1度説明しなおした。
「……信じられない」
「でも、本当なんです」
 ふぅーっと、息を吐きながら椅子の背凭れに体を預けたジークさんであったが、暫し何かを考える様にして天井を見た後に「分かった。一応、信じる」と言ってくれた。
 その言葉にホッと息を付いた私であったが、体を元に戻したジークさんがズズイッとこちらに顔を向ける。
「ねぇ、未来の僕達は黒騎士になっているって言っていたよね?」
「え? えぇ、はい」
 今までの大人くさい喋り方が無くなって、急に年相応の顔と言葉遣いになった事に軽く驚く。
「じゃあさ、僕達の主も知ってる?」
「あ、いや、残念ながら、ジークさん達の誓約者さんは見たこと無いんです」
「え? じゃあ何処に?」
「さぁ……?」
 首を傾げて分かりませんと言ったら、とても残念そうな顔をされてしまった。
 その顔を見て、『私が聞いた話では、ジークさん達のご主人様は、貴方達と誓約をしたらさっさと何処かに行ってしまって、それ以降、全く会って無いようですよ?』とは、流石に言えなかった。
 ポリポリと頭を掻いて、さて、どう説明したらいいのかしら? と悩んでいた時――。
 ピクピクッと耳を動かしたレキが、床に臥せっていた首を上げて窓の外を睨み付けた。
 ジーッと外を見詰めるレキに、私は首を傾げる。
「どうしたの?」
「此方に向かって誰か来ます。……2、4……7頭の馬が駆けて来ています」
「何だって?」
 レキの言葉に驚いた様に反応したジークさんは、レキにもう1度確認すると勢い良く椅子から立ち上がった。
 どうしたのかと聞けば、これから此方に向かって来ているのは、多分王城関係の人間だと言われた。


「リュシーナの心の傷が……せめて、怪我の傷が癒えるまでは、あいつらに此処の場所を知られたくは無かったのに」


 唇をギュッと噛んで俯くジークさん。
 子供の頃の――今のジークさん達がどういった状況に置かれているのかはハッキリとは分からないが、とても困っているは確かであろう。
 何か私に手助け出来る事はないか――と口を開く前に、ジークさんはキッと顔を上げると部屋から飛び出してしまった。
「え? あ、ちょっとジークさん!」
 慌ててレキと一緒に彼が向かった先にへと向かう。
 少し広い『白い家』の中をバタバタと駆けながら玄関にまで行くと、そこには既に数人の騎士達と対峙しているジークさんがいた。
 走るのを止めて、ゆっくりと歩いてジークさんの後ろに立つと、ジークさんの向かいに立っていた1人の騎士がチラリと私に視線を寄越したが、直ぐにジークさんに向き直って彼に白い封筒を渡した。
「オルデス家のジークウェル殿ですね? これは、明日王城で開かれる夜会の招待状です」
「明日!?」
「主催者はアルグレイシア王妃です。貴方やリュシーナ姫がご出席されるのを、楽しみにしている、と仰っておられました」
「……アルグレイシア、王妃が」
「勿論、ご出席頂けますよね? ジークウェル殿」
「………………」
 ジークさんは、眉間に皺を寄せて白い封筒を睨み付けていた。
「王妃の誘いを断るのですか? 妃の誘いを断るほどの事が何かおありで?」
「それはっ! ……いえ、ありません」
「そうですか、では、明日の御越しを御待ちしております」
 招待状が入った白い封筒を恭しく手渡すと、騎士達は一礼してさっさと馬に乗って帰ってしまった。
 ジークさんは難しい顔をしながら封筒を睨んでいたが、1つ深い溜息を吐くと、クルリと踵を返した。
「あ、ジークさん、ちょっと待って」
 慌てて彼の後を付いて行く。
 ジークさんは早歩きで廊下を歩いて行くと、ゆるくカーブした階段を駆け上がり、リュシーさんがいる部屋に向かって一直線に向かって歩いて行った。
 何をそんなに急いでいるんだろう?
「どうしたんですか? ジークさん」
「リュシーナ、入るよ」
 話し掛けるも、無視しされた。ジークさんはリュシーさんの部屋の中へ入ってしまう。
 そぅっと部屋の中を覗くと、ジークさんがリュシーさんにあの白い封筒を渡して、明日の事を説明している所だった。
 封筒を持って、表情の無い顔で話を聞いていたリュシーさんは、ポツリと「行かない」と言った。


「……こんな髪で、行ける訳が無い」


 俯きながら自分の髪を触るリュシーさんのその姿に、胸が締め付けられそうになる。
「リュシーナ、でも……」
「行かない」
「少し顔を出すだけでもいいんだ」
「行かないったら行かないのっ!」
「でも、行かなきゃリュシーナが」
 行く行かないを繰り返す2人、私はそんな2人を見ながら、「それじゃあ、私が代わりに行きますよ」と提案した。
 は? という顔をしながら私を見詰める2人に、もう1度「リュシーさんの代わりに私が行く」と述べる。
「ジークさん、明日の王妃様が開く……夜会? には、絶対行かなきゃいけないものなんですか?」
「あ、あぁ、そうだけど」
「でも、リュシーさんは行きたくないんですよね?」
「………………」
 私の言葉に、リュシーさんはコクンッと頷いた。
「でも、それに行かなきゃリュシーナの立場が悪くなる」
「だから、私が行くって言っているんですよ」
 私は2人にニコッと笑い掛けてから、目を閉じる。
 目を閉じて想像するのは――。
 腰にまで伸びた青銀色の髪、左右非対称の藍色と水色の綺麗な瞳、黒の騎士服をピシッと着こなして颯爽と歩く姿、そして、高くも低くも無い心地いい声。
 私は、私が知るリュシーさんを思い描きながら、自分の体がそうなる様に念じる。
 痛みは感じないが、髪の毛が伸びる感覚と体付きが変わっていく感覚が体中を駆け巡る。

 う゛え゛ぇ〜っ。

 ちょっと気持ち悪いが、それも直ぐに終わった。
「えっ!?」
 ジークさんの驚く声が聞こえた。
 ゆっくりと瞼を開けると、ポカンと呆けた顔で私を見詰めるジークさんとリュシーさんがいた。
「……わ、たし?」
 目をパチパチと瞬きしてそう言ったリュシーさんに、
「ふふっ、どうです? 凄いでしょう! こんな感じでリュシーさんに変身した私が」


 代わりに明日の夜会に出ます!


 溢れる大人の女性の薫りが魅力的な、そんな女性に成長したリュシーさんに変身した私は――。
 未だ呆ける2人に向かってニッコリ笑ってそう言った。
 

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