第7章 邂逅 10

 
 広間では、弦楽器が奏でる優雅な音色が流れ、その音に合わせて着飾った貴族達が楽しそうに踊っていた。
 そんな、煌やかな空間からかなり離れた壁際に。


 私は、壁の花と化していた。


 私の側にいると言った人間その1(レイン)は、ダンスが始まった時からフラリと何処かへと消え、その2(ジーク)は、広間の中央でどこかのご令嬢と踊っていた。
 その1の事は……まぁ、どうでもいい。
 私の話し相手になっていたその2は、ドレスアップしたご令嬢達に熱烈アプローチ(その2に見られない様に私を睨んでいた)をされ、私に「行って来てもいいよ」と言われて渋々離れて行った。
 暇になるなぁ〜と思っていたら、その2が私に飲み物を渡してくれた。
 広間の中央へと進んで行くその2の後ろ姿を見ながら、受け取ったシャンパングラスに口を付けて――吹き出しかける。
「グッ、ゲホ、ゴホッ……なんじゃコリャ!?」
 口元を手の甲で拭いながら、眉間に皺を寄せる。
 シャンパングラスの中身は、どう見てもトマトジュースの様なトロリとした真っ赤な液体なのに、飲めば青りんごサワーの様な味なのだ。

 クンクンと鼻で匂いを嗅ぎながら、もう一口飲んでみる。

 やはり、青りんごサワーであった。
「視覚と味覚が狂いそ……ん?」
 見た目トマトジュースっぽい、青りんごサワー味のお酒が入ったグラスをクルクル回していると――ふと、視界の端で誰かが外に出て行くのが見えた。
 気になってそちらに顔を向ければ、


 それは、ハーシェルだった。


 広間に入ってから、冷めた瞳をした彼を見るも、直ぐにレイン達に連れられてその場から離れてしまい、その後は見掛ける事もなかったのだが……。
「1人で何処に行くんだろう?」
 共も誰も連れずに広間から出て行く姿を眺めながら、私は首を傾げた。
 心なしか、何処か具合が悪そうな表情をしているように見えた。
「……ふむ」
 ここから動くなと言われていたが……その1もその2も、未だ戻ってくる気配が全く無い。
「えぇいっ、行っちゃえ!!」
 私はグラスを床に置くと、ドレスの裾をつまんで持ち上げながら、ハーシェルが出ていった方へ駆け出した。




 豪華な扉を押して廊下へと抜け出し、どちらに行ったのかと左右を確認する。
「……あ、いた」
 少し離れた廊下の先に、壁に手をつきながらフラフラとした足取りで歩く、白髪(はくはつ)のハーシェルの姿が見えた。
 私はハイヒールを脱いで手に持ち替えると、後をソっと追う。
 それにしても、本当に具合が悪そうだ。
 少し心配しながら、私は足音を立てないように気をつけながら歩いた。
 ――暫く長い廊下を歩いていたら、今まで真っ直ぐ廊下を進んでいたハーシェルが、突然右の角を曲がる。
 見失っちゃう!
 慌てて後を追い掛けるようにして角を曲がった所で――。

「むぐぅっ!?」

 突然、口を塞がれた。
 驚く間もなく、背後から細身の腕に両腕ごと体を拘束され、近くにあった空き部屋へ引き摺り込まれる。

 キィィ…………パタンッ。

 扉が閉まり、視界の光が奪われる。
「ふ……ん……!!」
 何も見えない暗闇の中、背中に感じる相手の体温の温かさと、ハァ……ハァ……という通常より早い息使いが、ダイレクトに伝わってきた。
 体に、一気に緊張が走る。
 焦った私は、体を捻ったり頭を降ったり自由な足をバタつかせるも、ビクともしなかった。
 どうも、リュシーさんのこの小さな体では力の差がありすぎるみたいだ。
「ふぐぅ〜! むがーっ!!」
「……煩いな」
 耳の後ろでボソリと呟く声が聴こえ、私を拘束する腕にグッと力が入った次の瞬間――体がフワリと浮き、何かの上に落とされた。
「むきゃ!?」
 どうやら、私はベッドの上に投げられたようだ。


 もしやこれは…………貞操の危機!?


 衝撃で体が固くなってしまったが、急いで体勢を整えようとした時――ギシッとベッドの軋む音がしたと思ったら、誰かが私の上に乗り上げた。
「い、いやっ!」
 上半身を慌てて起こすも、肩を掴まれ、強引に倒される。
 殴ろうとしたらあっさりと掴まれ、両手はベッドの上に縫い付けられる様にして押さえられた。
 それならばと、相手に膝蹴りをかまそうとするも、それをかわして脚の間に体を割り込むようにして入ってこられた。


 ぜ、絶体絶命!?


 こんな事、今まで生きてきた24年間で経験した事もなく。
 頭の中が真っ白になった。
 そんな時――掴まれていた両手首にグッと力が加わり、ハァッハァッハァッという息遣いが顔の側にまで近寄って来た。

 みぎゃあぁぁあぁぁぁ!?

 私はドレスが破れるのも構わずに、元の姿に一瞬にして戻った。
 それに驚いて動きが止まった隙に、首を思いっ切り上げて頭突きをかましてやる。
「うりゃぁっ!!」
「ぐがぁっ!?」
 片手を外して自分の額に手を当てた隙に、私は掴まれていたもう片方の手首を力任せに外し、相手の胸ぐらを締める様にして握り締め、脚の間にある身体に脚をガシッと胴体に巻きつけると――「っんのやろぉぉぉ!」と叫びながら身体を思いっ切り捻ってベッドからぶん投げてやった。
 ドサッと落ちた音と呻き声が聞こえてきたが、それ以降、男が動く気配はなかった。
 私はベッドの上で息を整えながら、下で呻き声を発する人物の顔を見るべく、ベッドから足を降ろした。
 目がだいぶ暗闇の中に慣れてきたのか、月の光だけでも十分に室内の状況が分かる。
 私は腰に手を当てながら、強姦魔にズビシッと人差し指を突き刺し、「私を犯そうとするなんぞ、100年早いわっ!」と言おうとしたのだが……。
 床で胸を抑えて苦しんでいる人物を見てから、ギョッと目を見開く。


「うっそぉ! ――ハーシェル!?」


 私は今までの事も忘れて、苦しみ藻掻くハーシェルの側に駆け寄った。
「ど、どうしたの、ハーシェル。どこか痛い……苦しいの?」
「……む、ね……苦し……」
「胸?」
 胸元の服を握りしめ、ハァッハァッと苦しそうな息を吐くハーシェル。
 どうやら、先ほどのハァハァは、興奮していたのではなくて、唯単に苦しくてそんな風になっていたようだ。

 紛らわしい……。

 ポリポリ頭を掻いてから、私はハーシェルの詰襟の釦を外していく。
「……な、何を……する」
「釦を外した方が、息がし易いでしょう?」
「…………さわ、るな」
「大丈夫。外す以外は何もしないから」
「………………」
 不審な目で私を見るハーシェルであったが、諦めたように服から手を離してくれた。
「ありがと」
「………………」
 ポチポチと、緻密な模様が入った小さな釦を胸元まで外し、どうしようかと悩んでから、中に着ていた服の釦も同じように外していった。
 嫌がるかと思ったが、ハーシェルは苦しそうな息を吐きながら私のしたい様にさせていた。
 釦を外し終わり、汗で肌に張り付いた服の前側を大きく開こうとして――手が止まる。
「……なんで、ここにこんなモノが」


 ハーシェルの胸の中央に――自分の誓約印とは全く違った誓約印が、刻み込まれていた。


 どうなってるの?
 ハーシェルの服に手を掛けたまま、暫し固まるようにして悩んでいると――。

「トオル……やっと見付けた」

 部屋の扉がガチャリと音を立てて開き、そこからレインが入ってきた。
「あ、レイン! ――レイン、実はね……」
 今まであった事を話そうとしたら、私を見たレインは、腕を組みながら冷めた目をしてこう言った。


「俺、あの場から離れるなって言ったよね? なのに、一言もなく1人で離れて何をしているのかと思えば…………逢引?」


 冷ややかな言葉に、私の体は氷のように固まった。
 そう、他人から見れば、今の私(半裸状態)とハーシェル(胸元全開)はそういう事をしている様に見られなくも無い。
 しかもこの状況……私がハーシェルを襲っている様に見えるのでは??

「ごごご、誤解ですからっ!」

 ハーシェルの服から手を離した私は、必死でそう叫んだ。
 

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