第7章 邂逅 12

 
 私は今、床で正座をしている。


 目の前には――腕を組み、何も感情が篭らないような表情をしているのに、冷やかな眼差しで人の事を見下ろすレインが。
 その隣に、天井を見上げながらどこか遠い所を見詰めているジーク。
 そして、私が(無理やり)ハーシェルに飲ませた魔法薬を手に取って、それを興味深めに見詰めるルルがいた。
 脚が痺れて来て、ちょ〜っとでも脚を崩そうものなら、
「……なにしてんの?」
 と、レインに怒られるのだ。


 何ゆえこんな事に!?


 この歳になって、怒られながら正座なんてあり得ないんですけど。
 声に出して言うにはちょっと怖いので、心の中でブチブチ文句を言っていれば――。

「自分が何をしたのか、本当に何も分かってないみたいだね」

 と言われる。
 もちろん、分かりません。
 だって、苦しんでいるハーシェルを助けただけなんだし?
 そう心の中で呟けば、レインは人の心を読んだのか、ハンっと鼻で笑った。
「そいつを助けたつもりで浮かれているところ悪いけど、アンタ、確実に命を狙われるよ」
「……は? なんで?」
 レインの言葉に驚く私に、当たり前だろ? と言われた。
「こいつは、エルディオール王子の『影』だと言っただろ?」
「うん」
「王子の『影』を作れる――誓約印を刻み、危険な薬を使ってまでこいつを本物の王子に仕立てられる人物は、そうそういない」
「レインは、ハーシェルを苦しめていた人物を知ってるの?」
「多分、王妃だろうな」
「……え〜っと。王妃って、あの時ハーシェルの隣にいた人?」
「そう、その人」
 レインの肯定に、私は先程広間で見かけた王妃様を思い出す。

 綺麗に結い上げた真っ白な髪に輝く宝石を散りばめ、日に焼けたことが一度もないような、透き通った白い肌を持っていた。
 口元は扇で隠していたが、その上から覗くアメシストの瞳が蠱惑的だった。
 体の線は細く――しかし、出ているところは出ていて……ちょっと、というか、かなり羨ましい視線で眺めていたことは否めない。
 細い肩がむき出しの、大きく膨らんだ谷間が見えるビスチェタイプで、キュッと締まった腰のくびれがあり、膝から裾にかけてギャザーが入ったマーメイドラインの、瞳と同じ紫色のドレスを着ていた。


 ボン、キュッ、ボン。


 これが、王妃様に抱いた1番の感想である。
 正に、大人の女! ってな感じだった。
 いいよネ、胸がデカイのに細いって。
 私なんて、最近まで弛んだ生活を送っていたせいか、臍(へそ)の下辺りの下っ腹が、ポッコリと出てきているのだ。
 こちら(異世界)に来てから以前のような運動オンリーな生活を送っているお陰で、大分お腹周りもスッキリしてきたが……何故か、痩せると胸まで小さくなる。
 そこは元に戻らんでもいいのになぁ〜と、思う。
 しかし、数キロ痩せた私のブラのカップは、確実にスカスカになっていた。
 あぁ〜胸の脂肪だけ落ちないで痩せることって出来ないのかな〜? と、そんな事を思っていた時――。


 バチッ!!


「あだっ!?」
 首が後ろに仰け反った。
 音と共に額に走った激痛に、涙目になりながら額を手で抑えていると。
「人が真剣な話をしている時に、全く別な考え事をするなんて……いい度胸してるよね」
「………………」
 絶対零度の冷気を纏ったレインが私を見下ろしていた。
「あ、の……ごめんな、さい?」
「疑問形ってことは、悪いと思ってないんでしょ?」
「滅相もない! 悪いと思ってます、えぇ、モチロン」
「嘘っぽい。後でお仕置き決定」
「お、お仕置き……」
「そ、人間躾は大事だよね」
「はぁー!?」
 何故に『主』が『僕』に、お仕置きやら躾やらされなきゃならんのだ? おかしいだろ、絶対に。


 ……つーか、そんな事を言う人、どこかでいたような?


 ポンっと頭の中に浮かんだ人物に、直ぐさま頭(かぶり)を振る。
 だって、レインは『男』だけど、“あの人”は『女性』なのだから。
 一緒に入った温泉で、体を隠すタオルの隙間から、彼女の豊かな胸を見た事がある。
 だから違う、と頭を振っていれば、レインが――。


「腑甲斐無い主の躾(お仕置き)は、僕――つまり、俺の仕事でもあるから」


 などと言いやがった。
 口元が引き攣る。
「今の内に、上下関係はしっかりと決めておかなきゃならないし」
「いやいやいや! 上下関係はもう決まってるから。私がレインのあるじ――」
「待って」
 主なんだから、と言おうとした言葉は、突然口を掌で塞がれて封じられる。
「ふが!?」
「シーッ。静かに」
 レインは自分の唇に人差し指を付けてそう言うと、目を細めて扉の外を見詰める。
「どうした?」
 レインのただならぬ様子に、遠い世界から戻って来たジークが、不安げな様子でレインに声を掛ける。
「……気付かれた」
「もしかして……」
「あぁ、王妃が自分の『モノ』を奪われたことに、気付いたようだ。――思ったより早かったな……広間から外は、近衛隊の連中が溢れかえっている。逃げる時間がない」
「そんな……もしこんな所が見つかったら」
 レインに口を塞がれながら、チラリとジークを横目で見れば、顔面蒼白である。
 その顔を見て、何となく……いや、かなり悪い状況なのだと気付く。
 そして、


「ここが見つかれば、謀反の疑い有りということで、極刑間違い無し。しかも、下手すりゃお家取り潰し」


「………………」
「………………」
 タラタラと、嫌な汗が流れていく。
 私が見つかった場合、刑を受けるのは、何も悪いことをしていないリュシーさんなのだ。
 しかも、リュシーさんのご家族まで巻き込んでしまう。

 ……ヤバっ!

 自分が考え無しに起こした行動の結果に、頭が真っ白になる。
 でも、苦しんでいるハーシェルも放って置けなかったのだ。
 どうしようと悩んでいると、直ぐ近くまで近衛隊が近付いて来ているのが分かった。
 床を走る靴音が、沢山ある部屋の扉を通りすぎて、真っ直ぐ私達がいる部屋を目指しているのが何となく分かった。
「場所がバレたみたいだ」
 少し、焦った感じのレインの声が耳に入る。
 それ程、今が危機的状況にあるのだと分かる。


「転移する。――皆、私の手に掴まって」


 レインの手を口から離し、立ち上がってそう言えば、ジークが「無理だ」と首を振った。
「この部屋から転移したとしても、そうそう遠くへは行けないから、直ぐに捕まってしまう」
「大丈夫、転移先はリュシーさん達がいる、『白い家』だから」
「あ、あんな遠くまで、転移出来るはずないだろ!?」
「出来るよ」
「無理だ! もし出来たとしても、魔力が極限まで減って……もしかしたら死んでしまうかもしれないんだぞ!?」
「………………」
 私は、ちびの時に無謀な転移をして溺れた時の事や、木から落ちて無我夢中で転移をした時の事を思い出していた。
 いや、確かに、転移した後は酷い虚脱感に襲われるが……あれらの時は、体が小さくて魔力が上手く制御出来なかったのが原因だから、大人の今なら、大丈夫だろう。
 死ぬことは無い。
 ……多分。
 てか、今はそんな事言っていられないし。
 甲高く響く靴音が、私達がいる部屋の直ぐ側にまで来ている事を知らせる。

 迷ってなんかいられない。

「おいで、ルル」
 きょとんとした顔で私達の話を今まで聞いていたルルは、差し伸べられる私の手を何度か瞬きして見てから、私の顔を見る。
「ルルも行っていいの?」
「当たり前でしょ?」
「でも……狙った訳じゃないけど、お姉さんは毒殺されるところだったんだよ? ルルのせい――」
「いや、ピンピンしてるから全然OK!」
 私はルルの言葉を遮ると、今の自分より小さな体を抱き上げた。

 時間がないんです。懺悔なら後でゆぅ〜っくり聞いてあげるからね!

 急に抱き上げられ驚くルルに、両手を首に回し、脚を胴に巻き付けるように指示する。
 首と胴が締め付けられ、少し苦しいが、これで2つの手が空いた。
 そして、それぞれの手をレインとジークの手に繋ぐ。
「よし。これで転移を――って、ハーシェルを忘れてた!」
 そう、1番肝心な人物を置いていくところだった。
 しかし、体はルルが抱きついた『ラッコ状態』で、両手には男2人が既に繋がれている。
 よって、最終的に残ったものといえば……。
「えぇ〜っと、ごめんね? ハーシェル」


 私は、仰向けで床に寝ているハーシェルの頭(額ともいう)の上に、左足をポンっと乗せた。


「………………」
「………………」
「アンタって……いや、今はいいや」
 皆の視線が痛い。
 いや、言いたい事は分かるよ? でもね? ルルがいて、伸ばした脚が思った程伸びなくて、ハーシェルの身体の部分に届く距離が、ソコだけだったのよ!
 今は死んだように眠るハーシェルだが、意識はあるらしいので、「ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさい!」と謝る。

『おい、この部屋だ! 早く扉を壊せっ!』

「やばっ」
 部屋の前から聴こえてくる声に、私は転移魔法を発動させる。
 一瞬にして変わる視界に、驚き眼の(デュレインさんに扮する)リュシーさんとレキが入って来た。
 ホッと、肩の力が抜ける。




 拝啓、お母様。

 貴女がいつも見ている『韓流ドラマ』と同じ様に、こちら(異世界)の王城内の人間関係も、かなりドロドロとしたものです。
「まぁ〜た見てんの?」なんて言ってごめんなさい。
 貴女が見ていた韓国王朝時代のドラマのお陰で、私はある程度の免疫が出来ていたようです。
 ありがとう、お母さん!

 畏(かしこ)。
 

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