第7章 邂逅 17

 
 一瞬の浮遊感の後――派手な水飛沫と共に水の中に沈んでいく己の体。
 またかよ!
 そう思うも、視界が黒く染まり、息が出来無い苦しさに手足をバタバタと動かす。
 湖に落ちた時、鼻の中に水が勢い良く入って来て鼻がめちゃくちゃ痛かった。
 脳天にまで響く痛みに、涙が出て来る。
 水の中で必死に手足をばたつかせていたら、両脇が何かに掴まれ――勢い良く水面へと引き上げられた。

「ぶへはぁっ!」

 水面から顔が出ると、私は息を大きく吸い込んで、それから盛大に噎せた。
 ひと通り噎せた後、呼吸がやっと楽になってホッと一息付く。
 目からは涙が。鼻からはちょっぴり鼻水が垂れてきたが……そこは気にしない。
「はぁ〜っ、苦しかった。――ん?」
 ふと、自分が無意識に掴んでいるモノに頭を傾げる。
 如何にも高級そうな手触りの服に、どう見ても平民が付けることが無いであろう銀色のカフス。
 目を瞬かせながら視線を上に向けると――。


 銀髪に、琥珀色の瞳を持つ美少年と目が合う。


 直ぐに、この美少年がヴィンスだと気付く。
 未来も今も、全く変わらぬ美人さんであるが……少年時代のヴィンスは、大人の時とはまた違った美しさを醸し出していた。
 何でホント、コッチの人って無駄に綺麗系が多いんだろ?
 そんな事を思っていたのだが……彼の顔を見ていると、とある人物を思い出す。
 そう、それは――。

「……腹黒陰険毒舌レインと、似てる」

 そう、髪の長さや纏う雰囲気は違うものの、髪の色や瞳の色など、その他のちょっとした部分がレインととても良く似ていたのだ。
 いやいやまさか! と自分の思いを否定する前に、「もしかして……それは兄の事ですか?」と口を開いたヴィンスによって、私の考えが正しかったのだと肯定されてしまった。
「君は一体……」
「あの、それは」
 何と言ったらいいものやらと悩んでいたら、陸地から声を掛けられた。
 ヴィンスに抱かれながら振り向けば、そこにはディオと見知らぬ少年が立っていた。
「今そっちに行く」
 ヴィンスは陸地にいる2人にそう声を掛けると、私を落とさない様に抱き直し、水を掻き分けるようにして歩く。
 私が落ちた場所は、陸地からそんなに離れていなかったらしく、直ぐに湖の中から出ることが出来た。
「どうしたんだ? その子供」
「うん、どうやってこの場所に来たのかは分からないけど……どうやら、兄の知り合いらしい」
「は? アイツの知り合い?」
「それは多分、間違いないと思うけど……それよりも気になることがあるんだ」
 ヴィンスはそう言うと、私の腕を取る。
「ねぇ、君が嵌めているこの腕輪。この腕輪から、僕の魔力が感じられるんだけど……どうして?」
 直ぐ側にあるヴィンスの顔は、優しそうな顔をしているのに、今私に向けられている瞳や声音からは、

 嘘は許さない。

 そんな思いが込められていた。
 コレは本当の事を直ぐにでも言った方がいいな、と口を開きかけた時――。
「ぶぇっくしゅっ!!」
 体がブルリと震え、盛大なくしゃみが出た。
 ズズズっと鼻を啜れば、ヴィンスが自分の体から私をほんの少しだけ離した。
 ちょっとショックを受ける。
「おぃヴィンス、話を聞く前に服を乾かしてやれよ――って……服の中で何か光ってるぞ?」
「光?」
 私の胸元を見ながらそう指摘してくるディオに、ヴィンスやもう1人の少年も視線を落とす。
「……あ、これは」
 水に濡れて、肌にぺったりと張り付く服の中から、赤くて淡い光を発するネックレスを、私は胸元から取り出した。
 取り出したネックレスは、以前ディオから貰った物であった。
 そのネックレスは、私の魔力が半減しているのに反応して発光していたのだった。
 私はその初めて見る淡い光を見て、綺麗だな〜と悠長に眺めていたのだが。

「何で、ソレをお前が持ってんだよ」

 ディオの、やや警戒した感じの声が静かな森の中に響く。
 ん? と、石から声がした方へ顔を向ければ、眉間に皺を寄せて、難しい顔をしたディオと目が合う。
「ソレは王族――しかも、直系の者かそれに連なる者しか持てない物なんだぞ」
「…………へ?」
「それを、なんでお前みたいなガキが持っているんだよ」
「王族? は? え? えぇ〜っと……それはぁ〜……」


 コレは、(大人になった)貴方から(ある意味無理やり)貰ったモノですが――ってか、王族ってなに!?


 と、声を大にして言いたいのを我慢する。
 この場にいたのがヴィンスとディオの2人だけだったら、私が未来から来たという事を話していた。
 信じてもらえないかもしれないが。
 でも、ここには見ず知らずの少年がいるのだ。
 下手に話さない方がいいのではないのかと考えてしまうのも、当然だと思うんだけど……。
「どうしたんです?」
「おぃ、早く答えろ」
「………………あうぅぅ」
 どう説明すればいいんだろう。


「ディオもヴィンスも……そんな事よりも、先にやることがあるだろう」


 私が言い悩んでいる原因でもある少年が、溜息を吐くと同時に私に向かって手を振った。
 途端に、私の周りがポワンと暖かくなる。
「お?」
 気が付けば、私とヴィンスの服や髪がすっかり乾いていた。
 魔法ってホントに便利だ。
 自分の体を見ながらそんな事を思っていれば、乾かしてくれた少年が私の前へと歩み寄る。
 ヴィンス達よりも少し年上っぽい少年は、私の前に来ると、私の視線に合わせるかのようにして少し屈む。
「僕の名はシェイル。君のお名前は?」
「えっと……透です」
「トール? トオル?」
「トオルの方」
「そうか、トオル君か。――ねぇ、トオル君、君はどこから来たの? それに、どうしてその石を持っているのかな?」
「……それは、それはね」
「うん」
 小さな私が恐がらない様にと、優しい声で語り掛けてくる少年に、何故か懐かしさが込み上げて来た。
 目の前にある少年の顔は、誰しもが振り向くようなそんな綺麗な顔で……着ている服も、そんじょそこらの物とは違い、貴族の子息だろうと一発で分かるような立派なものであった。

 そんな人を見て、何故、懐かしい気持ちになったんだろう?

「ディオもヴィンスも、別にトオルを怒っているんじゃないんだ。ただ、君が何故そのネックレスに付いている石を持っているのか――そして、ヴィンスの魔力が込められている腕輪を嵌めているのか知りたいだけなんだ」
 だよな? と2人に確認を取るシェイルの――その瞳を私は見詰める。
 

 母さんや兄ちゃん……それに、じいちゃんと全く同じ色の――明るくて透明感のある緑色の瞳を持っているから、だから懐かしく思うのだろうか?


 どうしてそう感じるのかは分からなかったけど、私の“直感”は、シェイルは『信頼に値する人間』だと告げていた。
「あのね――」
 直感を信じて、私が口を開いた時。
 私達が立っていた場所の直ぐ側の地面に、転移魔法陣が突如浮き上がった。
 銀色に輝く魔方陣の光が眩しくて、咄嗟に腕で目を覆う。
 警戒態勢を取る様に3人がそれぞれ腰に佩いていた剣の柄に手を置くも――魔方陣の光が無くなり、そこから現れた人物を見ると直ぐに剣から手を離した。
 光が収まったので、私は顔から腕を外してそっと目を開ける。
「んげっ!?」
 しかし、そこから現れた人物を見た瞬間、私の口元は盛大に引き攣った。

 な、何でレインがここに!?

 ってか、レインに何も言わずに転移魔法で移動して来たのに、なぜ私がここにいると分かったのだ!?
 ヴィンスの腕の中にいる私を見たレインは、ディオとシェイルが話し掛けるのも無視して、そのまま私達の方へ歩いて来る。
「兄さん?」
 訝しげに問いかけるヴィンスも無視したレインは、私に両手を差し出すと――ヴィンスから奪い取るようにして私の体を抱き上げ、自分の腕の中へと閉じ込める。
「まさか、1人でこんな遠くまで行っているとは思わなかったよ」
 レインはそう言うと、びにょ〜んと私の頬を引っ張った。
「俺に何も言わずに――しかも、犬も連れずにどうして1人で行動するのかな?」
「いひゃいょ!」
「痛くしてるんだから、当然でしょ? それとも、小さな子供のように、本当にお尻を叩いて欲しいわけ?」
 頬をパッと離し、ニヤッと笑いながらそんな恐ろしいことを言うレインに、私はブンブン首を振る。
 コイツなら、本気でやりかねない。
 私がレインの腕の中で首を降っていると、シェイルが私とレインを交互に見ながら困惑した感じで声を上げる。
「君の魔力から……僅かにだけど、トオルの魔力が流れている様に感じたんだけど」
「それは、トオルが俺の主になったからだろう」
 レインは視線を私からシェイルに向けると、平淡な声で答える。
 それに1番反応したのは弟である、ヴィンスであった。
「兄さん、本当なの!?」
「嘘を言ってどうする」
「だって……兄さんは……」
「俺はコレと契約を交わし――誓を立てた」
「本当に……この子の専属封環師になったの? 兄さんが?」
「まぁな」
 レインは適当にそう言うと、皆から距離を取る。
 そして、来た時と同じく地面に転移魔法を展開した。
「ま、待ってよ兄さん! その子の事をもっと詳しく聞かせてよ!」
「それに、その石の事もまだ聞いて無いぞ!」
 慌てたようにレインを止めるヴィンスとディオに、レインはさらりと簡潔に答えた。
「トオルは未来から来た。未来では、あのリュシーナ・オルグレンやジークウェル・オルデス、それにロズウェルド・オルデイロとも面識があるらしい」
「はぁ!? 何でまたあんな一癖も二癖もありそうな人物ばかりと面識があんだよ」
「そんなの俺が知るか」
「じゃあ……私の魔力が込められている腕輪を持っているのも、未来で私と会っているからですか?」
「さぁね。そんなのは本人に聞けば」
 レインのこの言葉に、ヴィンスの視線が私に落ちてくる。
 しっかりと合わさった瞳に、私はコクリと頷く。
「うん。未来でこの腕輪をヴィンスから貰ったの。これに言葉と魔力を込めると、ヴィンスの元に行くことが出来るんだ」
「へぇ……未来での私は、そんなモノが作れるのか」
「じゃあ、その石は?」
「これはね、ディオ、君から貰ったんだよ」
「はぁ!? 俺ぇ?」
「ホントだよ。あ、それにね、ディオは未来で会った人達の中で、唯一結婚している人だったよ」
 奥さんの名前は「エメリナ」だと告げれば、ポケッと呆けた顔になる。
「もういいだろ?」
 徐々に顔を赤くするディオを見ていたら、レインがそう言って片手を振り上げ転移魔方陣を発動させた。
 足元に、銀色に光る不思議な文字が浮かび上がる。

「待ってくれ!」

 何故か焦った様子のシェイルが呼び止めた。
「トオル、君に聞きたいことがあるんだ!」
 しかし、発動してしまった転移魔法は待ってくれるわけも無く。
「明日、ロズウェルドの所に遊びにいく約束してるの! だから、話があるならそこへ――」
 私がシェイルに話し終える前に、私達は一瞬にして転移してしまった。




 白い家に帰って来た私達は、家の中に入るのではなく、少し離れた場所に置いてあるベンチに座っていた。
 とくんとくんとくん、と、一定のリズムで鼓動を刻む心臓の音。
 私はレインの胸に凭れるようにして、その音を聞いていた。
 気分は怠く、体に力が入らない。
 指一本動かすにも、相当な疲労感が溜まる。
 息をするのも億劫だ。

 そんな私の頭を、レインが優しく撫でる。

「魔力を止められるのって、結構キツイだろ?」
「………………」
 優しい手の動きとは反して、声はどこまでも冷たい。
 ふと、視線を下に下げれば――胸元で揺れるネックレスが、今まで見た事もないくらいに真っ赤に輝いていた。
 そう、今の私は、レインによって魔力を極限まで封じられていた。
 魔力を封じられるのが、こんなにキツイものだとは思いもせず。
「ごめんなさい」
 素直に謝ると、フッと、急に身体の倦怠感が無くなるのが分かった。
「次に又こんな事したら、今度は1日中魔力を封じるからそのつもりで」
「……鬼だ」
 口を尖らせ、唸るようにしてそう言えば――。


「オイタが過ぎる子供には、罰が必要だからね」


 見た事も無いような微笑を浮かべながら、そんな恐ろしい事を言うレイン。
 ただの脅しだと思ったけど、目はマジだった。
 私はその目を見た瞬間決意する。

 コイツには逆らうまい――と。
 

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