第7章 邂逅 20

 
「それまでにしておけ」


 静かな声が、路地裏に響いた。
 声がした方へと顔を向ければ――呆れた表情をしたシェイルが、右手を軽く振っている所だった。
 途端に、フィオナを苦しめていた氷が音を立ててはじけ飛ぶ。
 上半身の片側を氷に覆われていたフィオナは、氷が消えた瞬間膝から崩れ落ちた。
 そこへ、エメリナさんが駆け寄って、治癒魔法で凍傷になりかけた腕を治療していた。
「……全く」
 そんな2人を見つつ、チラリと、感情が抜け落ちた表情でフィオナを見つめるリュシーとロズウェルドを見たシェイルは、深い溜息をついた。
「おい。この人がどんな方なのか、知っててやっているのか?」
「知ってるけど?」
「トオルを傷付ける人間は、誰であろうと許さないよ」
「…………お前ら、そんな性格だったか?」
 もう一度溜息をついたシェイルは、今度はエメリナさん達の方へ声を掛けた。


「フィオナ姫。それに、エメリナ・オルセクト嬢。こんな場所で護衛も付けずに、何をされているのですか?」


 右手を腰に置いて、呆れた表情で2人を見ているシェイル。
「…………姫?」
 私はまじまじとフィオナ姫と呼ばれた人物を見詰めた。
 透き通る様なまっ白な肌と、純白に輝く長い髪。
 苦痛に歪むオレンジ色の瞳は、鋭いながらも宝石の様に輝いている。
 確かに、姫と言われれば姫なんだけど……。


「てめぇ! よくもやりやがったなっ!?」


 エメリナさんに腕を治してもらった『姫』は、ギンっとロズウェルドを睨み付けて殴り掛かろうと駆け出した。
 まぁ、シェイルの魔法によって直ぐに止められていたけど……。
 口が悪く、般若の様に顔を歪めるお姫様。
 私の中のお姫様象が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた瞬間なのであった。




「残念だけど、僕はこの困ったお姫様を、この近くにいる護衛騎士に届けに行ってくるよ」
 魔法で両手両足を縛られたお姫様――フィオナを米俵を担ぐ様に肩に乗せたシェイルは、本当に残念そうな表情をしながらそう言った。
 細身な外見なのに、思ったより力持ちらしい。
「トオル、何かあったら直ぐに駆け付けるからね」
 リュシーに抱えられた私の前に来たシェイルは、私の頭をグリグリと撫で回すと、エメリナさんを連れて転移魔方で消えてしまった。
 あぁ、エメリナさんともう少し話したかったな。
 消えたシェイルとエメリナさんの後を見詰めながらそんな事を思っていたら、

「やっといなくなったか」

 リュシーの後ろから仏頂面のレインが顔を出した。
 ビクリと体が反応する。
 レインを地面に沈めた爽快感は今は無く、だらだらと冷や汗が背中を伝う。
 無意識にリュシーの服を掴んだら、ポンポンと背中を撫でられた。
 そうだった。今はリュシー(味方)がいるんだ。レインを恐れることは無い。
 平常心を心掛けながら、私は思った事を口にする。
「あのさ、リュシー。ここにレキを呼んでもいいかな?」
「レキを?」
「うん。レキなら、皆を『白い家』に転移魔法で送れると思うんだけど」
「そうね……ジーク、どう思う?」
「ん? いいんじゃないの? その方が早く帰れるし」
「トオル、いいって」
 と、言う事で私はレキを呼んだ。

 途端に、黒い風が舞い上がる。

「ぶわっぷ!?」
 顔に強風が直撃して一瞬息が出来なくなるも、誰かの手が顔に当てられ、呼吸を確保してくれた。
「――すみません。大丈夫ですか?」
 ふわりと、リュシーの腕の中から抱き上げられて、違う人間の腕の中に収まる。
 まるで壊れ物でも扱うかのような慎重な手付きだ。
 ん? と思いながら目を開くと――。


「お呼びですか? ご主人様」


 金色に輝く瞳が、私を見詰めていた。
「レキ、あのさ? 来てもらって早々で悪いんだけど」
「はい、何でしょうか?」
 強風で乱れた私の髪を手でササッと直したレキは、ほにゃりと笑った。
 うぅ〜ん、犬耳と尻尾がブンブンと振られている幻が見えるのは気のせいであろうか?
「魔力を大量に使っちゃって大変だと思うんだけど、ここにいる皆を『白い家』まで連れて行ってくれないかな? ――次いでで悪いんだけど、乗ってきた馬も一緒に」
「――2、4……自分も入れて6人と5頭か」
「……出来る?」
 流石に、この人数で長距離を転移するにはキツイかな、と思って見上げてみたら――。


「オレは『ヴァンデルッタ』ですよ? これぐらい、朝飯前です」


 そう言うと、レキは不敵に笑った。
 そして不思議な言葉を呟く。

『アディギィエル』

 あでぃ……? 舌が回らないような言葉を喋ったな、と思った瞬間。
「はい、着きました。馬は厩舎に置いておきましたよ」
 私達は見慣れた場所――『白い家』の客間の中央に立っていたのだった。
 顔を左右に向けてみれば、ちゃんとリュシーもジークもレインもロズウェルドもいた。
 流石に皆、驚いた顔をしていた。
 そんな彼らを見ながら、レキの腕の中から床に下ろしてもらった時。
「トールだ!」
「トール!」
「お帰り、トール」
 目を輝かせて走り寄って来るカーリィーとエドとルルに、タックルを食らった。
「ぐほぅっ!?」
 子供とはいえ、ちびになった私より大きな体を持つ3人に突っ込まれ――彼らの体重を支えきれなかった私は、そのまま3人に潰される様にしてた床に転がった。
 ゴチンと、頭を盛大にぶつけた。痛い。
 涙目になって頭を摩ろうとしても、体の上に乗っかる3人が重くて身動きが取れない。
 人の体の上で「えっとね? あのね? さっきね?」と、私がいない間にあった事を色々と喋ろうとしているのだが……大人の私であればそのままの状態でも聞いてあげられたのだが、今の私にはそんな余裕は無い。
 ハッキリ言って、重いから早くどいて欲しい。
 そんな事を思った時。

 バシン、バシン、バシーン!

 派手な音と共に、私の上に乗っていた3人が左右にぶっ飛んで行った。
 何が起きたのかと驚いて顔を上げたら――。


 巨大ハリセンを手に持ったハーシェルが、私を見下ろしていた。


 どうやら、巨大ハリセンでエドとカーリィーとルルを張り倒したらしい。
 今朝方、ロズウェルドの家に行きたいと愚図るちび共の遊び道具として作った巨大ハリセンだ。
 横を見たら、頭を押さえて蹲っている3人が目に入った。
 ルルは女の子なのに……手加減しないんだね。
 そういや、未来でもルルの事を女扱いしている所を見た事ないな――と頭を抑えているルルを見ていたら、
「大丈夫? トオル」
 ハーシェルは手に持っていたハリセンを床に置くと、私の服に付いた埃を払って立たせてくれた。
「ありがと」
「どういたしまして」
 ふわりと笑い、私の頭を優しく撫でるハーシェルに、(ちび共へのハリセン攻撃も忘れ)私の顔も自然と綻ぶ。
 今(過去)ではない――私が知っているハーシェルが見せていた笑顔を漸く見る事が出来て、私は安心する事が出来た。

 あの感情が一切抜け落ちた様な表情は……ハーシェルには似合わない。

 2人でウフフアハハと笑っていると――にゅっと横から手が伸びて来た。
 そしてその手は、私の頬をグニッと抓り上げる。
 びにょ〜んと伸びる頬。これが結構痛いのですよ!
「あいでででっ!?」
「なーに呑気に笑ってるのかな?」
 痛さに涙目になりながら上を向くと――にっこりと笑うレインと目が合った。
 すっかりこの人の存在を忘れておりましたよ。
 たらりと、額に汗が流れ落ちる。
 ビクビクしながら見上げていると、スゥっと目を細めたレインが口を開いた。
「走っている馬から急に飛び降りる行為。魔力が少ないにもかかわらず、無闇やたらと魔力を使う行為。そして、俺達を頼るのでも無く勝手に走り出して、相手がどんな人間なのかも分からないのに突っ込んで行く行為」
 喋りながら、ほっぺ抓る指の力が微妙に強くなって来る。
 痛いですってば!
「何か言い訳は?」
「…………えーっひょ」
「言いたい事があれば聞くけど?」
「あうぅ〜」
 ほっぺを抓られながら、私はどうしたものかと回りを見渡したのだが――リュシーもジークもロズウェルドも、誰も助けてはくれなかった。
 皆、その事について怒っているみたいだった。
 普段だったら速攻で怒鳴り散らすレキも、現状を見守っていた。
「ご、ごめんなひゃい」
 私は素直に謝った。だって、皆の顔が「本当に心配したんだよ」と言っていたからだ。
 しゅんと項垂れながらそう言えば、レインは頬を離してくれた。
 私はもう一度、心から謝った。心配掛けてごめんと。
「あんな事はもう絶対にしないでくれないかな? 心臓が何個あっても足りない」
「……うん」
 俯いていると、そっと、抓られた頬を撫でられた。


「心配した。……怪我がなくて、本当に良かった」


 普段、そんな事を言わないであろうレインから出た言葉に、私がどれだけ彼らに心配を掛けたのかが分かった。
 いくらエメリナさんの危機が迫っていたからと言って、1人で突っ走るべきではなかったのだ。
 きゅっと胸が苦しくなる。
 頬に添えられた手を、私はそっと握り締めた。
 頬に触れる――まだそんなに大きくない手に、少しだけ力が加わった。
「もぅ、あんな事は絶対にしないから」
「……あぁ」


 とまぁ、殊勝な態度で、珍しく私が反省の色を表していたそんな時――。


『リュシーナお嬢様』
 部屋の中に、1匹の連絡蝶が出現した。
 私はレインの手を離して、現れた連絡蝶に目を向ける。
 ヒラヒラと、その蝶はリュシーに向かって飛んで行く。
『お久し振りで御座います、リュシーナお嬢様』
 聞き覚えのある声に、もしやと思う。
 ここ(過去)では無い、未来で何度かお世話になった事がある人――確か、執事長のセバノスティーさんだ。
 セバスチャンじゃないのがオシイ!
 そんなセバノスティーさんの声を発する蝶は、リュシーが伸ばした人差し指に止まった。
 そして、ヒラヒラ羽を動かしながらこう言った。


『お嬢様、旦那様がお帰りになられました。一度、屋敷にお戻り下さい』


 その言葉にリュシーの顔が強ばったのを、私は見逃さなかった。
 

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