第7章 邂逅 30

 
 魔法の光が届かない影から、大きな狼の姿で出て来たレキとルヴィー。
 体には至る所に傷が出来ていて、黒く光り輝いていた毛も血が附着している為にべったりと体に張り付いている。
 興奮のせいか、鋭い牙がガチガチと鳴り、口の端からは涎がぽたぽたと垂れていた。
 その、余りにも哀れな姿に泣きたくなってきた。
「……なんて……酷い事を」
 零がぐっと拳を握りながら呟く。
 私が1歩前へ進めば、同じ目線だった彼らの大きさが、更に大きくなった。

『……我らに仇なす人間よ』

 私と零は頭に直接響いてくる声に顔を顰めた。
 どうやら、レキが私達の脳に直接語りかけているみたいだ。


『これ以上我らに近付いてみろ……その細首、我が牙で噛み裂いてくれるっ!!』


 レキが、その金色の瞳に憎しみの炎を纏わせながら私を鋭く睨んだ。
 ルヴィーも、まるで射殺さんばかりの眼光で零を睨みつけている。
 今までこんな目を向けられたことが無かった私達は、胸が痛くなった。
 悲しい気持ちを抱きながら更に1歩前に出る。
 ジャリッ、と右足が前に出た瞬間───レキが鋭く吠えたと思ったら、目にも留まらぬ速さで飛び掛って来た。
 グワッと開いた口から覗く、唾液で濡れた牙が私の首に届く前に。


『止まれっ』


 魔法で、レキの動きを止めた。
 首を横に傾け、あと少しで私の首を噛み切る所だったレキは、その状態のまま唸り続ける。
 ポタポタと、肩に涎が落ちるのを感じながら、私はレキから少し離れてその額に掌を当てた。
 ビクリッ! と跳ねる体を見て、増々悲しくなる。
「大丈夫……怖く、ないよ?」
 私はレキの頭を撫でながら、傷だらけの体を治す為に治癒の魔法を掛け、“いつものレキ”の大きさにすべく、もう1つの魔法も掛けた。
 大きかったレキの体が、スルスルと縮んでいって、仔狼サイズになる。
「ウ゛ゥゥゥッ」
 ちっちゃくなったからか、唸り声も可愛い物になっている。
 ほにゃっと顔の頬が緩みそうになるが、頭を振って正気に戻る。いかんいかん。
 私は膝を折ってしゃがみ、立てた膝の上に顎を置いてレキに笑い掛けた。
「どう? 傷は全部治したと思うんだけど……痛い所とかないかなぁ?」
「ウ゛ウゥゥウゥッ!」
「私はキミに危害を加えたりしないよ?」
「……ウ゛ゥゥ」
「大丈夫、怖くない怖くない」
「………………」
「ほら、んね?」
 人差し指で眉間の所をぐりぐりと撫でてあげると、私が本当に何もしないと気付いたレキは大人しくなった。
 私はそんなレキに笑い掛けると、両脇に手を差し込んで抱き上げ、胸元でぎゅーっと抱き締めた。
 そんな私の急な行動に、緊張で四肢をぴーんっと伸ばすレキ。
「あー……やっぱ、仔狼の姿がかわええわぁ〜癒されるぅ〜」
 ほっぺでレキの頭をぐりぐりしていたら、レキは固く真っ直ぐに伸ばしていた四肢を、だらりと落とした。
 諦めの境地に入ったのか、レキは私のやりたい様にやらせてくれている。
 ほっぺでぐりぐり(元気の補充)をひと通りして、満足しながら辺りを見回すと───零がルヴィーの傷を治している最中であった。
 零も私と同じ様にルヴィーの動きを止めてから治療をしたみたいだ。
 しかし、レキよりも酷い傷を負っていたルヴィーは、そうそう直ぐには治らないらしい。
「……何故、我らを助ける」
 何かこんな事前にもあったような気がするなぁ〜と思っていたら、腕の中にいるレキがそう呟いた。
 あれ? 普通に喋った? と思いながら下を向くと、金色の瞳が零に治療されているルヴィーを静かに見詰めていた。
「我らは獣人の中でも“忌子”と呼ばれる双子だ」
「いみご?」
「獣人は母親から生まれる時、必ず1人しか生まれぬ。しかし、稀に魂を分けた半身───人間で言う、双子として生まれて来る場合がある。が、それは不吉な事とされ、我ら獣人の中ではそのような存在を“忌子”と呼んでいる」
 そして、我らはその“忌子”でもある、と言ったレキは、少年の様に明るく屈託の無い笑顔で笑う男の子ではなく、まるで色々な経験を積み重ね、老成した人間が話す喋り方であった。
「“忌子”であった我らは自我が出来て直ぐに『狼族』の領地から出された。幼い我らは1人では生きては行けぬゆえ、常に共に行動していた。時として、『狼族(仲間)』からは“忌子”だからとの理由で蔑まれ、不吉な存在は消すべきだと言われては攻撃され……命からがら逃げたと思ったら、人間にまるで獣のように追い掛け回されて、捕まれば一生奴隷の様な生活を送らねばならぬなど……」
 レキは一度言葉を区切ると、私を見上げた。


「我らの存在する理由は……何処にある」


 私はレキを抱く腕に力を込めた。
 私が過去で出会う人達は、なぜこんなにも心に悲しみを抱いている人達が多いんだろう。
「うーん。私は、別に双子だからって不吉な存在だとは思えないけどなぁ。だって、私やそこにいる零も双子だし。それにそうだなぁ、キミの存在理由だってちゃぁ〜んとあるよ」
「今し方出会ったばかりの人間が、何を……」
 金色の瞳が、困惑したように私を見詰める。
 私はそんなレキを笑いながら持ち上げ、顔と顔が正面を向くように抱き変えた。
「キミが、大好きだよ。本当だよ? 信じれないかもしれないけど、私、未来でキミと出会っているんだ」
「未来……」
「そう。そこで、私達はキミ達と契約を交わしてるんだよ」
「……まさか」
「ホントだって」
 更に困惑するレキを見ながら、私は人差し指でレキの鼻をちょんちょんと突っついた。
「ねぇ、『我』とか『我ら』とかそんな難しい言葉を使わないでよ。私が知ってるキミは、いつも『俺』って言ってたよ?」
「本当に?」
「ん?」
「本当に、我らを……俺達の事が……好き?」
「ぐほぁっ!?」


 ぷるぷる震えながら、下から見上げるようにしてそう言ってくれちゃうレキくんや! どんだけ私を萌え死にさせる気ですかっ!


 しかも、言葉が小難しいおっさん言葉から元の言葉に戻ってるし。
 私はそのままレキにガバッと抱き付き、レキの顔が激しく動くほど自分の頬でぐりぐりした。
 そんな私の行動に、一瞬体を硬くするも……後にレキの尻尾がパタパタと反応する。

「ふいぃ〜、終わったぁ」

 そんな私達の横から、零の声が聞こえて来た。
 視線をそちらに向ければ、額に浮かぶ汗を腕の袖で拭う零と、その零の足元に頭を擦り付けるようにして寄り添うルヴィーが見えた。
 どうやら、治療が終わったみたいだ。
 レキを腕に抱きながらそちらに向かうと、頭を上げたルヴィーが警戒するように私を見たが、ふりふりと尻尾を振るレキを見てその警戒を解いた。
 零に頭を撫でられ、嬉しそうにその手に頭を擦り付けるルヴィーを見てて、ふと、レキとルヴィーに初めて会った時を思い出す。

 暗い洞窟の中も、怪我をしていたことも、あの時と変わらない。

 懐かしさに浸っていると、腕の中でジッとしていたレキがもぞもぞと動いたので、私はどうしたんだと思いながらそっとレキを地面に下ろした。
 レキは私から少し離れると、くるりと方向転換して私に向き直ってお行儀良く座る。尻尾はそのままパタパタと揺れたまま。
「……人間」
「ん? 何?」
「お前は誰か……契約を交わした獣人はいないのか?」
「いるよ」
 レキの問いに間をおかず答えると、振り子の様にゆらゆら揺れていた尻尾がピタリと止まった。
 ん? どうしました?
 まるで不幸のどん底に突き落とされたかの様な顔をしたレキに首を傾げる。
「いるけど……それはレ───っととと、えーっと……キミだよ」
 危ない危ない、危うく『レキ』と言う所だった。
 名前を付けたのは『未来』でだ。『今』は言っちゃいけないでしょ……多分。
 内心ヒヤヒヤしていると、大きな目を更に大きくして驚くレキに私は大きく頷く。
「本当に俺と契約を?」
「本当だよ」
「証拠は?」
「え? 証拠?? んーそうだな」
 私は思いつく限りのレキの『日頃の行い』を説明して行く。
 手始めに、寝相が最凶に悪いことと、鼻ぴー(寝息)が煩いこと。そして、呼んでも叫んでも揺らしても叩いても起きなかった───と説明した所で「や……もぅ分かりましたんで」と言われた。
 あらそう? こんなの序の口で、まだまだありますけどね。
 横を見たらい、ルヴィーが溜息をつきながら首を振っているのが目に入った。
 どうやら、レキの『日頃の行い』はこの時からそう変わっていないらしい。




「俺達と、契約して下さい」
 ちょこんと目の前におすわりするレキとルヴィーが、私達を見上げながらそう言った。
 私と零は顔を見合わせながらアイコンタクトする。

『ちょー、どうすればいいと思う?』
『や、今は契約しない方がいいんじゃないかなぁ? だって、私達がルヴィー達と契約したのは、あのレクサス君達の護衛をしている最中のことだったから、そこは変えない方がいいと思う』
『だよね』

 意見が一致した私達は頷いてから、目の前で期待に目を輝かせている彼らに視線を戻す。
「やぁ〜、今は契約出来ないんだ。ごめんね?」
 2人で顔の前で両手をパンッとくっつけて謝ると、がぁ〜んっ! ってな顔をする。
 まさか拒否されるとは思ってなかったみたいだ。
 そんな顔をする彼らに苦笑しながら説明する。今は無理だけど、いつか必ず契約をすると。
 しかし、ルヴィーは傷ついた瞳で首を振る。
 曰く、人間は『忘れる』生き物だと。
 そこで私達は考えた。ない頭から知恵を絞り出すように考えた。
 そして、出した答えはこうである。
 私達は右手の薬指に付けていた指輪を外した。魔法で銀のチェーンを作り出してそれに指輪を通すと、レキとルヴィーの首に取り付ける。

 首元で揺れる指輪を見詰めるレキとルヴィーに、私達は魔法を掛けた。
 それは、対物理、魔法攻撃からレキ達を守る絶対防御魔法である。
 指輪に埋まる紫色の宝石が私達の魔力を吸収したことによって一段と輝いていた。
「これは何?」
 ルヴィーが、鼻をぴすぴす動かしながらレキの指輪と自分の指輪を眺めている。
「これね? 私達にとって、とぉーっても大事なものなの」
「仕事の依頼主から『信頼の証』として頂いたもので、初めて他人から認められたものでさ……」
「それにコレ、価値も価格もすんごい高いんだからっ」
 私達がレクサス君から『信頼の証』として貰った指輪を力説すると、それがどれほど私達にとって大切な(金銭的な意味でも)物であるか理解したらしい。
「……分かった。そんなに大切な物を俺達に託してくれたのなら、俺は信じる」
「うん、私も信じます」
 再び揺れる尻尾を見て、ふぅ、と溜息が出る。


 ───と、ここでまた……。


「うぉっ!?」
「どぅおわぁ!?」
 私達の足元に、またしてもアノ魔方陣が出現してきたのだ。
 零と2人、乙女(と言う年齢でも無いけど)としてあるまじき声が出てくる。
 てか、何でこんな時に出てくる? しかも今回早すぎねーか?
 そんな事を思っている私達の目の前では、レキとルヴィーが驚いて魔方陣から飛び退いていた。
 背中の毛を逆毛立てて、ぴんっと尻尾も立っている。
「なっ、なんだこれは!?」
「嘘、魔法が効かない!」
 魔方陣に近付いては弾かれ、攻撃魔法をぶけようとしてもそれが魔方陣に届く前に無効化される事に、驚いていた。
 きゅーんきゅぅん、と鼻を鳴らしながら、私達を囲む魔方陣の周りをグルグルと行ったり来たりしている。
 私達は、自分の体が光の粒子に変わる前に言葉を彼らに送る。
「寝る時は腹を出して寝ちゃ駄目だよ!」
「ヤラれた時は10倍返し、コレ基本ねっ!」
 自分で言うのもなんだけど、こんな時に送る言葉では無いと思う。
 こう……もっと良い事が言えないものかと後々になってから思ったんだけど、急な別れに何を言っていいか分からずこんなものになってしまった。
 そんな不甲斐ない私達であるが、魔方陣が更に光り輝きここから消えると言う時───。
「近い将来……我と契約を契る者として、人間。汝に我が『真名』を教えよう」
 私の前で大きな姿に変化したレキが、金色に輝く瞳で私を見詰める。


『我が真名は『ヴァレンクォーレ』』

『私の真名は『エルネスティーディ』』


 初めて語り掛けて来た時みたいに、脳に直接レキの声が響いて来る。
 どうやら、レキは私に。ルヴィーは零にそれぞれの『真名』を伝えたらしかった。
 全身が徐々に透けてくる。
 自分の手を前に持ち上げると、輪郭だけ残して手の甲から向かい側にいるレキが見えた。
「これから、どれ位の時が過ぎるかは分からないけれども……でも、又出会える日が絶対に来るから! その時は、キミに名前を付けてあげる」
「だから、私達を信じて待っててね!」
 そう叫んだのを最後に、私達は光の粒子となって地面の魔方陣に吸い込まれていった。




 瞬きをした瞬間、今までの光景がガラリと変わり、暗い洞窟の中から、緑と鮮やかな色を持つ花々が床一面に咲き誇る光景が目の前に広がっていた。
 零と2人、目をぱちくりさせながらその光景を眺める。
 それは、過去に行った時に『白い家』からいつも見えていた花畑の光景と一緒で……。
 ふわり、と風が後ろから吹いて来た。
 風に吹かれて流れた髪を押さえながら、ふと、後ろを振り向き───そこにいた人達を見た私達は、駆け出した。


「ただいまっ、皆!」
 

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